三十話 二十三日目ーー循環
朝。
目を覚ますと、最初に視界へ入ったのは山羊だった。
昨日解体できなかった胴体が、木陰に吊るされている。
夜のうちに獣が来るかとも思ったが、火のおかげか、その形は昨日のままだった。
海は静かに立ち上がる。
「……やるか」
今日は、一日仕事だ。
◇
まず火を起こす。
炭を整え、小枝を足す。
炎が安定してから、山羊の前へ座った。
ナイフを握る。
昨日は、生きている命と向き合った。
今日は、その命を無駄にしないための時間。
◇
首元からゆっくり刃を入れる。
皮を剥ぐ。
思っていた以上に力がいる。
腕が疲れる。
汗が落ちる。
途中で何度も休みながら、少しずつ進める。
「……こんなに大変なんだ」
スーパーで並ぶ肉は、最初から切り分けられている。
骨もない。
皮もない。
血もない。
だから忘れてしまう。
ここまで来るのに、どれだけの手間があるのかを。
◇
昼過ぎ。
ようやく肉を部位ごとに分け終えた。
脚。
肩。
背。
肋の周り。
思った以上に食べられる。
「しばらくは困らないね」
自然と笑みがこぼれる。
◇
次は保存だ。
全部を一度には食べられない。
海は細長く切り分けた肉を枝へ吊るした。
焚き火から少し離す。
炎ではない。
煙で乾かす。
燻製。
煙がゆっくり肉を包んでいく。
時間はかかる。
でも腐らせるより、ずっといい。
◇
骨も捨てない。
石で割る。
中から白い髄が現れる。
少し炙る。
口へ運ぶ。
「……濃い」
少量なのに、体へ染み込むような味がした。
骨は煮込めば出汁になる。
皮は乾かせば敷物になる。
角も、何かに使えるかもしれない。
昨日の「ありがとう」は、こういうことなんだと思った。
全部使う。
全部、生きてもらう。
◇
問題は、内臓だった。
胃。
腸。
肺。
食べられなくはない。
だが知識が足りない。
寄生虫の可能性もある。
「……ここは無理しない」
海は拠点から少し離れた場所へ穴を掘った。
埋めるためではない。
置くためだ。
時間が経てば腐る。
虫も来る。
臭いも出る。
普通なら避ける。
でも。
ふと、昔見たサバイバル番組を思い出した。
「……そういえば」
腐った肉。
蛆。
魚。
頭の中で一本の線が繋がる。
◇
「蛆って……魚の餌になるんだっけ。」
半信半疑だった。
正直、できれば触りたくない。
でも、この島では好き嫌いを言っていられない。
内臓を木の枝へ引っ掛け、風通しのいい場所へ置く。
魚は腐った匂いに集まる。
虫も集まる。
その虫を魚が食べる。
自然の循環。
「……気持ち悪いけど」
小さく苦笑する。
「これも、命か」
◇
夕方。
燻煙の香りが拠点を包む。
肉は少し色を変え始めていた。
火の前へ座る。
今日は串焼きではない。
山羊の骨を缶で煮込む。
白く濁った湯気が立ち上る。
一口啜る。
「……優しいねぇ……」
派手な味じゃない。
でも、体が欲しがっていたものが、そこにはあった。
肉を食べる。
骨を煮る。
皮を乾かす。
内臓は魚を育てる。
何一つ無駄にしない。
海は炎を見つめながら、静かに呟いた。
「命って、終わらないんだね」
燃え尽きる薪。
煙になる木。
灰になる枝。
その灰は、やがて土へ還る。
山羊もきっと同じだ。
今日、自分は命を奪った。
でも。
その命は、別の命を生かしていく。
二十三日目。
私は、生きることより少しだけ深く、
命は巡るものだと知った。




