二十七話 二十一日目ーー1歩先へ
朝。
目が覚めて最初に聞こえたのは、風ではなかった。
鳥の声。
「……静かだ」
いや、違う。
静かなのではない。
台風の轟音を三日間聞き続けた耳には、この森本来の音があまりにも穏やかすぎた。
葉が揺れる。
虫が鳴く。
どこかで鳥が羽ばたく。
「……帰ってきた」
思わず笑みがこぼれた。
ようやく、この島が呼吸を取り戻した気がした。
◇
朝食は昨日捕れた魚の残りを炙る。
火は今日も素直に育った。
炎を見る。
もう、怖くない。
いや。
怖さを知ったからこそ、大切にできる。
炭を均しながら、小さく頷いた。
「今日は、次の一手だ」
◇
拠点の隅に丸めて置いていたナイロン網を広げる。
昨日拾った漁網。
ところどころ破れている。
でも、指で引っ張っても簡単には切れない。
「やっぱり強いな」
ツタとは比べものにならない。
これなら…
海の視線が森の奥へ向く。
白い影。
台風が来る前に見かけた、あの山羊。
「次は、お前だ」
もちろん追いかけはしない。
走れば逃げられる。
罠は、追うためのものじゃない。
待つためのものだ。
◇
まずは獣道へ向かった。
踏み固められた細い道。
雨で一度流れたはずなのに、もう新しい足跡が残っている。
「ちゃんと戻ってきてる」
山羊も、生き延びた。
自然は平等だ。
生き残った者だけが、また歩き出す。
◇
今日は輪罠を作り直す。
以前のツタでは強度が足りなかった。
締まる前に切られる。
だから今回は違う。
ナイロン網を細く裂き、何本も束ねる。
一本では細い。
束ねれば、ロープになる。
「文明と自然の合作、ってやつかな」
少しだけ笑う。
最近、独り言が増えた気がする。
でも構わない。
返事をしてくれる人はいない。
なら、自分で返せばいい。
◇
輪を作る。
結び目を確認。
滑る。
もう一度。
締まる。
「よし」
今度は納得できた。
輪を獣道に置き、落ち葉をそっと被せる。
自然に。
違和感なく。
山羊の目線になって見る。
……悪くない。
二か所目。
三か所目。
最後は網を広く張り、逃げ道を狭めるように枝へ固定した。
捕まえるというより、誘導する。
逃げる方向を限定するための壁。
「これで少しは確率が上がる……はず」
◇
作業を終え、近くの岩に腰掛ける。
額から汗が落ちる。
空を見上げる。
雲は高い。
青い。
数日前まで、この空が牙を剥いていたなんて信じられなかった。
自然は、本当に気まぐれだ。
奪う。
与える。
そのどちらにも理由はない。
だから人は、備えるしかない。
◇
拠点へ戻る途中。
ふと、白いものが動いた。
山羊。
昨日より近い。
二十メートルほど先。
若い雌だろうか。
こちらを見る。
逃げない。
海も動かない。
しばらく、見つめ合う。
「……またね」
その一言だけ残し、海は歩き出した。
追わない。
今日は、その日じゃない。
森の奥で葉が揺れ、白い姿は静かに消えた。
◇
夕方。
火の前で魚を焼く。
煙が空へ昇る。
穏やかな一日だった。
でも、それでいい。
大きな変化は、いつも静かな準備のあとにやってくる。
海は串を返しながら、小さく呟いた。
「明日は、会えるかな」
炎が、ぱちりと音を立てる。
二十一日目。
私はもう、獲物を追わない。
向こうから来るように、道を作る。




