二十六話 二十日目――進化
朝。
風は完全に止み、昨日まで荒れていた海は何事もなかったかのように穏やかだった。
拠点の前に、業務用サイズのペットボトルを三本並べる。
海は腕を組み、しばらく眺めた。
「……まずは、確実にいこう」
昨日拾ったナイロン網。
使えそうではある。
だが破れも多く、魚を追い込むような漁をするには経験が足りない。
今の自分には難しい。
なら、無理はしない。
成功した方法を伸ばす。
それが一番確実だ。
◇
大型ペットボトルをナイフで切る。
上部を逆さに差し込み、入口を作る。
構造は、小型のものと同じ。
違うのは容量だけ。
餌には昨日の貝の残りと、森で捕まえた虫を潰して入れる。
ぐしゃり。
「……もう躊躇なく潰せるようになっちゃったな」
苦笑する。
都会にいた頃なら悲鳴を上げていたかもしれない。
今では貴重な餌だ。
少しだけ、自分が変わった気がした。
◇
向かった先は、大きなタイドプール。
台風で海と切り離された天然の水槽だ。
昨日、漂流物を探している時に見つけていた。
岩場を慎重に進み、覗き込む。
「……いた」
小魚。
カニ。
そして、少し大きな魚影。
逃げ場は限られている。
ここなら勝負になる。
二本の大型ペットボトル罠を沈め、石で固定した。
あとは待つだけ。
◇
待ち時間は無駄にしない。
外の拠点を作り直す。
台風で吹き飛んだ屋根も、今なら迷わず組み立てられる。
流木を支柱にする。
骨組みを作る。
昨日拾ったナイロン網を細く裂き、ロープ代わりに使う。
ツタより丈夫で、結びやすい。
結び目が緩まない。
作業の手が止まらない。
「……早い」
初めて拠点を作った三日目。
何度も結び直し、手の皮を擦りむいた。
あの頃とは違う。
考える前に、体が動く。
夕方には屋根まで完成した。
簡素だが、前より丈夫だ。
そして何より、壊れてもまた作れる自信があった。
「成長したなぁ、私」
思わず笑みがこぼれる。
◇
夕方。
タイドプールへ戻る。
少しだけ胸が高鳴る。
一本目を持ち上げる。
ばしゃっ。
水が跳ねた。
「……入ってる」
鮮やかな色をしたベラが二匹。
小さなカニが一匹。
十分だ。
二本目。
ゆっくり引き上げる。
ずしり、と少し重い。
覗き込む。
「おっ」
手のひらほどの魚が一匹。
小魚が数匹。
これなら夕食には十分だった。
偶然ではない。
罠が、機能した。
「獲れた、じゃない」
海は静かに呟く。
「獲る方法が分かった」
この違いは大きい。
◇
拠点へ戻る。
火を強める。
魚を捌き、串に刺す。
脂が火へ落ち、香ばしい匂いが立ち上る。
今まで食べた魚より、少しだけ大きい。
それだけで満足感が違う。
焼き上がった身を頬張る。
「……うん、美味しい」
自然と笑顔になる。
食べながら、視線は森へ向いていた。
あの先には山羊がいる。
台風前は不発だった輪罠。
でも今は違う。
丈夫なナイロン網もある。
漂流ロープもある。
作れる罠の幅は確実に広がった。
「次は、あれだね」
焦らない。
でも、止まらない。
◇
火は安定している。
水は十分ある。
食料も、毎日確保できる見通しが立ってきた。
台風は多くを壊した。
けれど同時に、海へ新しい武器も運んできた。
そして何より。
変わったのは、道具じゃない。
自分自身だった。
都会で暮らしていた出版社勤務の山田海は、もういない。
目の前にいるのは、自然を観察し、考え、工夫し、生き抜く術を身につけ始めた一人のサバイバーだった。
炎を見つめながら、海は静かに息を吐く。
二十日目。
生き延びるだけの時間は、終わった。
この島を、攻略する時間が始まる。




