二十三話 十七日目ーー直撃
夜は、長かった。
いや、正確には――夜という感覚そのものがなかった。
眠っていない。
一秒たりとも。
目を閉じようとするたび、轟音が岩壁を揺らした。
ゴォォォッ!
風が唸る。
ドンッ!
何かが岩に叩きつけられる。
ミシ……バキッ!
森のどこかで、大木が悲鳴を上げる。
そのたびに海の身体は反射的に起き上がる。
けれど、慌てない。
火は生きている。
柵は崩れていない。
窪みに雨水は入り込んでいない。
その三つを確認するたび、小さく息を吐く。
判断は、間違っていなかった。
◇
朝。
夜が明けたはずなのに、外は薄暗い。
空は灰色ではない。
黒に近い鉛色。
太陽の位置さえ分からない。
雨は横から吹き込み、柵を細かく叩いていた。
岩壁が風を受け止めるたび、低い振動が背中へ伝わる。
自然そのものが唸っているようだった。
海は入口を見つめたまま動かない。
外へ出ない。
様子も見に行かない。
飛ばされた物が気にならないわけじゃない。
罠も。
屋外の拠点も。
乾かしていた薪も。
全部気になる。
それでも動かない。
「見に行っても、守れないものは守れない。」
だから待つ。
待つことも、生き残る技術だ。
◇
昼。
眠気が襲う。
瞼が落ちる。
意識が途切れそうになる。
そのたびに海は炭をかき混ぜた。
赤く残る熾火を確認する。
煙の流れを見る。
空気が淀んでいないか確かめる。
一酸化炭素は匂わない。
だからこそ、確認を怠らない。
喉が渇けば湧き水を口に含み、バナナを少しずつ齧る。
食べ過ぎない。
保存食の燻製も必要最低限だけ。
台風がいつまで続くか分からない以上、備えは残しておきたい。
「焦ったら負け」
独り言が、狭い窪みに吸い込まれていく。
◇
正午。
ドゴォンッ!!
これまでで一番大きな衝撃音が響いた。
地面がわずかに震える。
反射的に身体が動きかける。
何が起きた。
木か。
岩か。
それとも拠点か。
知りたい。
確かめたい。
だが海は膝を抱え直した。
外へ出れば、風に身体を持っていかれるかもしれない。
飛来物が直撃するかもしれない。
それで怪我をすれば、これまで積み上げた十六日が終わる。
「……今じゃない」
確認したい衝動を押し殺す。
外を守るより、自分を守る。
その優先順位だけは、一度も揺らがなかった。
◇
夕方。
風はまだ衰えない。
窪みの外では雨が岩を叩き続けている。
それでも。
火は生きている。
柵も耐えている。
海も、ここにいる。
ふと空を見上げる。
もちろん空なんて見えない。
岩しかない。
だから炎を見る。
揺れる橙色だけが、この狭い世界の時間を教えてくれる。
不思議だった。
怖くないわけじゃない。
眠くないわけでもない。
それでも、心は静かだった。
編集者として何度も修羅場を経験した。
締め切り直前。
トラブルに徹夜。
焦った人間ほど判断を誤る場面を、何度も見てきた。
だから知っている。
一番危ないのは、状況じゃない。
焦った自分自身だ。
◇
普通なら。
泣く。
叫ぶ。
神に祈る。
助けを願う。
けれど海は、何にも縋らなかった。
信じるのは、自分が積み重ねてきた十六日間だけ。
準備した。
考えた。
選んだ。
だから、耐える。
それだけだった。
十七日目、終了。
台風は、まだ島の上に居座っている。
そして今夜もまた――
風は、この島に眠ることを許さなかった。




