二話ーー怪しい誘い
キャンプの翌日は嫌いだ。
山の澄んだ空気を吸った翌日に、満員電車へ押し込まれる。
こればかりは何年経っても慣れない。
「あぁ……昨日に戻りたい」
窓の外を流れる灰色のビル群を眺めながら、小さくため息をつく。
土日は最高だった。
ライターを使わず火を起こし、川で魚を釣り、焚き火を眺めながら飲むコーヒーは格別だった。
なのに今日は月曜日。
夢から現実へ引き戻される日だ。
「次の特集、どうしようかなぁ……」
キャンプ特集を出せば編集長に却下される。
かと言って、興味もない流行の記事を書いても面白くない。
そんなことを考えているうちに会社へ着いた。
「おはようございます」
「……おぅ」
いた。
鬼編集長・権田。
(その『おぅ』だけで会話成立すると思ってる?)
心の中だけで悪態をつき、自分の席へ向かう。
すると早速、権田が声を掛けてきた。
「次の特集は考えてんのか」
「まだです」
「キャンプは禁止だ」
「先に言われた……」
がっくり肩を落とした、その時だった。
編集長の内線が鳴る。
「……はい。権田です」
数秒後。
編集長が私を見る。
「山田」
「はい?」
「社長がお呼びだ」
「……え?」
社長室に入るのは、入社して初めてだった。
分厚い扉の向こうには、落ち着いた色合いの応接セットと、大きな執務机。
その奥に、この出版社の社長・黒川が座っている。
そして、応接ソファにはもう一人。
六十代ほどの、上品なスーツ姿の男性だった。
「失礼します」
「入りなさい」
私と編集長は軽く頭を下げ、中へ入る。
「急に呼び出してすまなかったね」
黒川社長は穏やかな口調で言った。
「今日は山田さんに、お話があって来ていただきました」
「……私ですか?」
思わず自分を指差す。
まったく身に覚えがない。
締め切りは守っているし、会社のお金を横領した覚えもない。
(……たぶん)
すると、応接ソファに座っていた男性が静かに立ち上がった。
「初めまして。帝蘭コーポレーションの若林と申します」
名刺を差し出される。
帝蘭コーポレーション。
誰でも知っている超大企業だ。
(え、本物……?)
「突然ですが、山田様に弊社主催のイベントへご参加いただきたく、本日お伺いしました」
「イベント、ですか?」
「はい」
若林は穏やかな笑みを崩さない。
「内容は、無人島でのサバイバル生活です」
「…………はい?」
一瞬、思考が止まった。
無人島。
サバイバル。
今、この人はそう言った。
「弊社では複数の無人島を所有しております。その島を利用したイベントを開催する運びとなりまして」
(無人島を複数所有……?)
スケールがおかしい。
さすが大企業。
やることまで桁違いだ。
「参加者を探していたところ、鳥川商店の店主から山田様のお話を伺いました」
「あ……。」
あのおしゃべりマスター。
「『明日にでも無人島へ放り出されても生きていける』と」
(盛ったな……。)
いや、かなり盛った。
私はキャンプ好きなだけであって、遭難経験なんてない。
……ない、はず。
「もちろん、いきなり信用してくださいとは申しません」
若林は一枚の書類を差し出した。
「概要はこちらです」
そこには開催期間や報酬、会社名が記載されていた。
しかも報酬欄には、
『勤務扱い』の文字。
思わず二度見する。
(え、本当に仕事扱いなの?)
私が書類を見つめていると、黒川社長が口を開いた。
「会社としても了承している。イベント期間中は勤務扱いとし、給与も通常どおり支給する」
「編集長も了承済みだ」
横を見る。
編集長は腕を組みながら頷いた。
「社長の判断だ」
珍しく反対しない。
ということは、本当に会社ぐるみなのだ。
……つまり。
(仕事で無人島に行けるってこと!?)
心臓が跳ねる。
怪しい。
怪しすぎる。
でも……
無人島。
仕事。
給料あり。
頭の中で、その三つだけが何度もぐるぐる回る。
「……一つ、よろしいですか」
「どうぞ」
「これ、詐欺とかじゃありませんよね?」
聞かずにはいられなかった。
若林は少しだけ目を丸くすると、小さく笑う。
「当然のご質問です」
そう言って社長へ視線を向ける。
「弊社だけでは信用に欠けるでしょうから、黒川社長にもご同席いただいております」
社長も静かに頷く。
「私が保証しよう」
そこまで言われたら、断る理由はない。
いや。
正確には断れる空気ではなかった。
「……承知しました」
そう答えると、若林は満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
その瞬間だった。
「では、参りましょう」
「……はい?」
「会場へご案内いたします」
「えっと、日程とか準備とかは……?」
「必要ありません」
即答だった。
「本日、そのままご参加いただきます」
「…………え?」
今日?
今から?
無人島?
頭の処理が追いつかない。
「ご予定がおありでしたか?」
「い、いえ……特には」
「でしたら問題ございません」
若林は穏やかな笑顔のまま言った。
「それでは参りましょう」
私は編集長と社長を見た。
二人とも止める様子はない。
(……本当に行くんだ。)
困惑よりも先に、胸が高鳴る。
仕事で。
給料をもらいながら。
無人島へ行ける。
(最高じゃん。)
私は荷物をまとめると、そのまま若林の待つ車へ乗り込んだ。
まだ、この選択が人生を大きく変えることになるとは、夢にも思っていなかった。




