十一話 七日目――漂流物
朝の潮は低かった。
いつも海に隠れている岩場が大きく姿を現し、島の輪郭が少しだけ広がったように見える。
海は焚き火の熾を整え、岩壁に設置した取水装置を確認する。
ロープを伝った水滴が、ヤシ殻へぽたり、ぽたりと落ちていた。
「よし、今日も働いてるね」
ペットボトルに水を移し、火の様子を確かめる。
火がある。
拠点がある。
水も確保できる。
最低限、生きるための土台は整った。
だから今日は、少しだけ余裕を持って島を歩いてみることにした。
「何か使えるもの、流れてきてないかな」
◇
岩陰で最初に見つけたのは、一本のペットボトルだった。
透明な樹脂は日に焼け、ラベルはほとんど剥がれている。
それでも、一目で何か分かった。
「……文明だ」
思わず笑ってしまう。
拾い上げる。
空っぽ。
でも、それでいい。
「軽い」
水を運べる。
雨水を貯められる。
切ればコップにもなる。
小物入れにもなる。
「万能か?」
少し考えて、
「……万能だ」
思わず一人で頷いた。
文明、強すぎる。
さらに歩く。
今度はアルミ缶が転がっていた。
少し凹んでいるが、穴は開いていない。
「鍋だ…」
今までは石を熱して調理していた。
もちろん、それでも火は通る。
でも、石は割れる。
缶なら水も沸かせる。
煮ることもできる。
文明の安心感は、やはり大きい。
さらに岩陰には、大きなシャコガイの殻が三つ。
両手で抱えるほどの大きさで、内側は滑らかだった。
「これも使える」
水を溜められる。
洗い桶にもなる。
食器にもなる。
自然が作ったキッチン用品だ。
海は一つずつ拠点へ運び始めた。
重い。
それでも足取りは軽かった。
◇
文明って、案外流れ着くものなんだ。
そう思った瞬間、海の手が止まる。
この島にコンビニはない。
スーパーもない。
ゴミ収集車も来ない。
それなのに、目の前にはペットボトルや空き缶がある。
誰かが使い、
誰かが手放し、
海を渡ってここまで流れてきた。
出版社で働いていた頃。
毎朝コンビニでコーヒーを買い、飲み終わればゴミ箱へ捨てていた。
ちゃんと分別もしていた。
それで終わった気になっていた。
もちろん、多くは適切に処理され、資源として生まれ変わる。
でも、中には海へ流れ着くものもある。
そして今、その一つが自分の命を支えようとしている。
「……人が作ったエゴか」
ペットボトルを見つめる。
自然には存在しないもの。
便利で、丈夫で、軽くて、腐らない。
だからこそ、ここまで流れ着いた。
憎い。
でも、ありがたい。
「ありがとう」
一拍置いて、海は笑った。
「ありがとう、ゴミ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
海の向こうにいる誰かか。
文明そのものか。
それとも、こちらを見ているドローンか。
波だけが静かに返事をした。
◇
拠点へ戻ると、さっそく拾った物を使い始める。
シャコガイの殻を二つ並べ、雨水を受けられる位置へ置く。
ペットボトルは海水で丁寧に洗った。
アルミ缶には湧き水を入れ、岩場で採ってきたムラサキイガイと小さなカニを放り込む。
火にかける。
やがて湯気が立ち始めた。
磯の香りが辺りに広がる。
「いい匂い……」
缶を火から下ろし、少しだけ冷ます。
恐る恐る一口すすった。
「……やば」
思わず声が漏れる。
醤油もない。
味噌もない。
ただ貝とカニを煮ただけのスープ。
それなのに、貝の旨味とカニの風味がじんわりと口いっぱいに広がった。
身体が喜んでいるのが分かる。
自然の恵みと、拾った文明。
その両方があって生まれた一杯だった。
◇
火がある。
水がある。
寝床がある。
そして、容器も増えた。
ほんの一週間前まで、コンビニがない生活なんて考えられなかった。
でも今は違う。
自然だけでも生きられる。
だけど――
海は空になったアルミ缶を眺め、小さく笑う。
「やっぱり文明って、最高だね」
夕日に照らされた缶が、きらりと光った。




