十話 六日目――水源
目が覚めた瞬間、最初に確認したのは喉だった。
乾いている。
だが、昨日までのような焼けるような渇きではない。
ペットボトルを手に取る。
軽い。
残っているのは、あと数口。
「今日で飲み切りかな……」
六日目。
まだ生きている。
火は絶やしていない。
寝床もある。
ヤシの実も残り二つ。
カサガイのおかげでタンパク質も補給できた。
だが、水だけは違う。
今日見つからなければ、本当に厳しい。
昨日までに島の地形は把握した。
湿地はない。
川もない。
雨水が溜まりそうな場所も見当たらなかった。
残る可能性は、一つだけ。
四日目、丘の上から見つけた黒っぽい岩壁。
あそこだけ妙に色が違っていた。
「頼むから、当たっててよ……」
海はナイフを腰に差し、岩場へ向かった。
◇
北側の岩礁帯は今日も潮風が強い。
鋭い岩が無数に突き出し、足元は決して良くない。
一歩踏み外せば怪我では済まない。
慎重に歩き、昨日目印にした岩壁へたどり着く。
手を当てる。
「熱っ……」
日に照らされた岩は熱を持っていた。
違う、ここではない。
さらに奥へ進む。
日陰になった場所。
岩の色が少しだけ黒い。
よく見ると、薄く苔が張り付いている。
「……ん?」
指で触れる。
ひんやりしていた。
もう一度、触る。
指先が、少しだけ湿る。
「……え?」
汗じゃない。
海は息を止め、岩の割れ目を覗き込んだ。
ぽたり。
一滴。
透明な雫が落ちる。
数秒後。
また、ぽたり。
「うそ……」
さらに一滴。
間違いない。
岩の奥から、水が滲み出している。
海は恐る恐る指先についた水を舐めた。
塩辛くない。
苦くもない。
ただの水だった。
「……見つけた」
その一言と同時に、膝から力が抜けた。
思わず岩へ寄りかかる。
量は少ない。
笑ってしまうくらい少ない。
それでも。
ゼロではない。
ゼロと一の差は、死と命の差だ。
海は岩壁を見つめた。
「ありがとう……なんて言わないけど」
「助かった」
◇
問題は、ここからだった。
滴る水をそのまま飲むことはできる。
だが、効率が悪すぎる。
一滴ずつ口で受けていたら日が暮れてしまう。
「どうやって集めよう……」
考える。
岩壁を見る。
海岸から拾ってきた漂流物を見る。
その時だった。
「あ…」
漂流物を探した際に拾ってきたロープ。
建築用に使おうと思っていた太いロープだ。
海はロープを手に取る。
「……そういえば」
学生時代。
理科の授業で見た実験を思い出す。
ティッシュが水を吸い上げる。
布が水を伝う。
「名前なんだっけ……」
少し考え、
「あ、毛細管現象だ」
思わず笑った。
「こんなところで役に立つなんて」
ロープの先端をほぐし、繊維を広げる。
それを岩の割れ目へ押し込む。
反対側をヤシの殻へ垂らした。
待つ。
一分。
二分。
何も起きない。
「やっぱりダメかな……」
そう思った瞬間だった。
じわっ。
ロープの色が変わる。
濡れている。
「……!」
海は息を呑んだ。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
水がロープを伝っていく。
そして。
ぽと。
ヤシ殻へ一滴。
また一滴。
さらに一滴。
海はしばらく動けなかった。
ヤシ殻へ少しずつ溜まっていく透明な水を、ただ見つめる。
そして、小さく呟いた。
「……勝った」
◇
一時間後。
ヤシ殻の底がしっかり濡れていた。
二時間後。
ようやく飲めるだけの量が集まる。
両手でそっと持ち上げる。
ゆっくり口へ運ぶ。
透明な水が喉を通る。
「……おいしい」
ほんのり果汁の甘味がついているが、ほぼ味はしない。
それなのに。
こんなにも美味しいと感じた水は、生まれて初めてだった。
身体の奥へ、命が戻っていく。
自然と笑みがこぼれる。
「これで……まだ戦える」
空になったペットボトルにも水を移す。
これからは、この場所へ来れば水が手に入る。
時間はかかる。
それでも、生きられる。
◇
拠点へ戻る頃には、夕日が海を赤く染めていた。
ペットボトルの中では、透明な水が静かに揺れている。
火がある。
寝床がある。
食べ物も少しずつ確保できるようになった。
そして、水もある。
六日前。
砂浜で目を覚ました私は、ただの遭難者だった。
でも、今は違う。
この島で、生きる術を少しずつ手に入れている。
空を見上げる。
ドローンがいつものように静かに旋回していた。
「どう?」
ペットボトルを掲げて笑う。
「これで水道代、無料だよ」
返事はない。
それでも、海は満足そうに笑った。
「……なんとか、生きていけそうだ」
波音だけが、静かにその言葉へ応えていた。




