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第29話 パスコの呪縛

 約八百年前、ドルティアの魔王が封印されたあと、天嶮山脈の東側の魔族領は内紛を繰り返し、さながら日本の戦国時代のように小国が乱立する地域であった。


 その数ある国の一つ、デレク国にパスコ夫妻の研究使節団がテントを張っていた。夫妻は粘性流動体型ゴーレムに搭載する思考固定化魔法の術式を求め、古代魔族の遺跡を探索していたのである。


「のう、エイダ、どうしても、男の子の形にするのか? 儂は女の子が良いと思うのじゃがな」


 すると、魔導書に制御術式を書き加えているエイダ・パスコが顔を上げ、眼鏡をクイッと上げて答えた。


「もう、娘はエレサとセリルで十分。私は男の子が良いの。だって、栗色のモシャモシャした髪の毛の男の子って、若い頃のアランそっくりでしょう?」


 栗色の髪の男の子とは、若き日のアランの容貌を指す言葉であるが、今の彼には見る影もなかった。エイダはアランと馴染みがあったのだ。


「なら、お前の若い頃でもよかろうと思うのじゃが」


「私? 嫌よ。そばかすだらけの自分の姿など見たくないわ。それに制御術式は粗方完成しているわ。アラン・パスコに合わせてね」


 彼女が発明した制御術式は、ゴーレムの操作方法に革新的な発展をもたらした。今、アランの考案したゴーレムに自立思考を入れる最終段階に達していた。


 それを完成させるには、古代魔族の大賢者が考案したとされる思考固定化術式が必要であった。夫妻はそれを求めて、遺跡がある魔族領内のデレク国へ危険を承知でやって来ていた。


 お茶を飲みつつ研究員が発掘を進めるのを待っていると、護衛騎士団長ゼルシウス・()()()()()()()がやって来た。


「先生、どうもデレク内がきな臭くなってきました。反乱が起きる可能性があります。なるべく早く撤収した方が良いかと」


 アランは眉をひそめて答えた。


「ありがとう、ゼルシウス。うーん、そうか。残念じゃが、団員を危険にさらすわけにはいかぬ」


 この派遣に漕ぎつけるまで、数年を費やした。魔族領の国は反乱や戦争が起きれば政権がすぐに変わるため、フリージア王国政府は正式な国交を結べなかった。デレクが安定してからも、安全確保や対価のやり取りなど煩雑な交渉が続いたのである。


「そうですね。団員の安全優先で行きましょう」


 エイダもアランの考えに賛同した。


「団長、すまぬが撤収の準備をしてくれぬか。儂は研究員たちに指示するでな」


 そこへ団員の一人が息を弾ませ飛び込んできた。


「教授、ありましたよ。地下への入り口が。いま、解除術式を試しています」


 運命は皮肉だ。撤収を決めたその時、研究員たちの好奇心を誘う『飴』が落ちる。知識欲の塊である研究員たちは、多少の危険と軽視する傾向がある。説得は難しくなった。


「アラン、私も行くわ。こうなると説得するのに骨が折れるだろうから」


 夫妻は魔導書を手に地下への入り口に向かった。


◇ ◇ ◇


(ゴー)


 地下宮殿へ通じる扉が開くと、研究員たちは色めき立ち、これから得るであろう知識に希望を膨らませた。研究団には考古学、建築学、民俗学、魔法学の権威者が揃っており、獲物を前にした猛獣のように闇を見つめていた。


 アラン・パスコは言った。


「いや、今日のところは撤収じゃ。デレク内で反乱が起きる兆候があるらしい」


 案の定、反対の声が上がる。『虎穴に入らずんば虎子を得ず』の論調が大半だ。魔法使いは我こそが権威と考える傾向があり、意見はまとまりにくい。狼の包囲を前にして羊の毛を刈る方法を議論するようなものだ。


「とにかく、一度出るのじゃ」


 アランの一声で、今度は如何に封印するかの議論になった。知識を独占したいという利己心が議論を支配する。狼の包囲は静かに狭まっていった。


「先生方、反乱軍が近くの魔族の護衛隊に攻撃をしかけました。ここも戦場になります。すぐに脱出を」


 ゼルシウスが声を上ずらせて報告する。しかし、戦闘の喧騒をまだ感じない面々は封印手順を議論し続ける。


 やがて鮮やかな閃光が遺跡内を走り、耳を劈く爆発音が鳴った。


(ドーン)


 狼が柔らかい喉笛に牙を立てるときが来た。議論していた者たちは我先に遺跡から出ようとするが、外では反乱軍に操られたオーガと護衛兵の死闘が既に始まっていた。研究団員は準特級以上の魔法使いたちで高度な魔法で対抗するが、相手は魔族から強力な耐魔法化を受けており、魔法が効きにくい。研究員達の犠牲者が増えていった。


(ドーン)


 二度目の爆風で地下入口は塞がれ、不幸は瞬く間に襲来する。撤収を提案した者が犠牲になるなど、運命は残酷だ。


「エイダ、エイダ、大丈夫か?」


 最初の爆風でアランとエイダは吹き飛ばされ、階下へ転げ落ちた。アランは暗がりでエイダを抱えると、その体に違和感を感じた。異常に軽い。目を凝らし、状況を確認すると、アランは息が止まった。


 下半身がない。アランはポーションを取り出し飲ませようとするが手が震える。


「ああ、何と言うことだ。エイダ、ポーションだ。もう少し待てば助けが来る」


 回復魔法をかけるが殆ど効かない。治癒師を呼ぶが瓦礫に塞がれた地下室からは声が届かなかった。

 弱々しい声でエイダは魔導書を指差した。もうそれを持ち上げるだけの力もない。


「私は、幸せでした。あなたと研究ができて、本当に幸せでした。どうか、最後の……これをあなたに」


 エイダは魔導書を差し出すように指を伸ばす。アランは魔導書に一瞥の視線を向けるが、直ぐにエイダに向かって語りかける。


「喋るな、ここを出るんだ!」


 パスコは瓦礫を魔法で吹き飛ばそうとするが、エイダは手で止めた。


「だめよ。そんな大魔法を使っては。遺跡が壊れて、あなたにも被害が……わ」


 エイダは弱々しく首を振る。アランは滅多に口にしない悪態を漏らした。


「ちくしょう!」


 アランは嗚咽しながらエイダを抱き続けた。


 一つ一つの思い出が、胸を押しつぶすように蘇る。幼い頃、村の畑で互いに泥だらけになって走り回り、夜に分け合った干し果実の甘さで未来を語り合った。学問の道に入ってからも、二人は競い合う仲だった。ある学期、同門の首席の座を巡って激しく争い、最後に勝負を賭けたのは“結婚を賭けての首席”という無茶な約束だった。勝負の直後、互いの書き損じを指摘し合いながら笑い合った日のことを、アランは忘れられない。


 論文を書けば、エイダは容赦なく返書を寄こした。文章の粗を突き、揚げ足を取り、夜を徹して討議したことも数え切れない。だが同時に、誰より深い賞賛を彼女から受けたのも事実だ。アランが最も疲れた時、研究の行き詰まりを見抜いたエイダが、静かに「あなたの理は正しい」とだけ言って寄り添ってくれた瞬間、彼は初めて自分の仕事と向き合い直す力を得た。子供の教育方針一つとっても、激しい議論の末に互いの信念をぶつけ合い、笑って食卓を囲む日々だった。すべてが懐かしい。


 そばかす顔で赤毛を三つ編みにした彼女は、時に厳しい批判者、時に最大の後援者であった。学術会議で彼の拙筆を公然と斬って会場を凍りつかせたあと、控え室で一番熱い拍手を送ってくれたことを、アランは何度も噛みしめた。抱きしめた体の重みは冷たく、だがその温もりは色褪せない。しばらく彼は、言葉にならぬ感謝と悔恨とを抱えて、ただ泣き続けた。


◇ ◇ ◇


 どれほど経ったか分からない。外の状況が、どうなったか興味は無かった。アラン・パスコは冷たくなったエイダを抱えたまま、二人で作ってきた魔導書を手に取った。

 聖山羊の革と編み目状に細工されたオリハルコンのカバーに守られ、その表紙の中央付近に半球形のホーリークリスタルを埋め込んだ鍵付き本。開くとエイダが書き込んだ制御術式の文字がぎっしりと並ぶ。

 最初、この魔導書の説明をしたとき、エイダは目を輝かせて本の表紙を撫でて、そしてパスコの首に抱きついてきた。


「凄いわ。ホーリークリスタルで空中のマナを集めて、ゴーレムの動力源にするなんて、誰も考えつかなかったわ。これに制御術式を書けば、自律型ゴーレムが出来るわ」


 こう言って喜んでくれたエイダの声がアランの耳の奥で蘇った。アランはそれに応えるように、エイダの耳元に顔を近づけて語りかける。


「そうだ。エイダ。これを完成させよう。儂の意識を入れ分身ができるか試そうな」


アランはユックリとエイダを置き、完成させるために奥へ進んだ。


◇ ◇ ◇


 並べられた松明が次々灯り、来訪者を誘う。やがて何も仕掛けのない部屋に出る。そこには石盤が並び、暗号化も隠蔽もされていない。丁寧にも効果の説明まで書かれている。


「何じゃ、これは」


 パスコの目は吊り上がった。そこには人の知恵とは思えぬ悪意に満ちた拷問と刑罰の術式が並んでいた。


 列挙すれば、以下の通りである。


* 感覚の感度を制御する魔法

* 口に入れた物が砂になる魔法

* 内臓を吐き出す魔法

* 体が永遠に燃える魔法

* 悪夢を見せる魔法

* 皮が剥ける魔法

* 虫に喰われる魔法 等々


 パスコは内心でぞっとした。全て拷問と刑罰である。ここは古代の裁判所だったのだ。そして、そこには()()()()()()()()()()|があった。その効果の説明はこうある――『精神を生物から静物へ移し、本体の生命活動を極端に遅くする。本体が朽ちるまで、静物に移された精神は尽きることがない』。つまり静物に移された精神は自らの意思で動けず、長寿の魔族にとっては()()()()()()()()となる。


「皮肉なものじゃな。妻を死なせた罰か」


 アランは術式を魔導書に書き込み完成させた。そしてふらふらとエイダの元へ戻り、奥の部屋でのことを語った。妻との共同研究を完成させるためなら、刑を受けることも厭わないと決意した。


 アランは()()()()()()()()()()を発動した。意識が体から離れ、いつの間にか自分の姿を遠目に見ていることに気付く。


◇ ◇ ◇


(ガラガラガラ)


 瓦礫が取り除かれ、灯火の魔法で階下が照らされる。国境付近に待機していた国軍が反乱軍を蹴散らし、犠牲者や生存者を収容した。


「パスコ先生はいらっしゃいますか?」

「夫人は駄目だ」

「先生は、息があるようだ。非常に弱いが、脈はある。鍵付きの魔導書があるが、どうするか?」

「とりあえず救助と遺体収容が先決だ。敵の第二波が来る前に撤収する」


 こうしてアランの抜け殻とエイダの遺体が運び出された。


◇ ◇ ◇


 小次郎は少年の姿となったパスコの話をじっと聞いていた。


「先生は、その……先生の精神の入った本のまま置き去りにされたのですか?」

「そうじゃな。それから数日。儂は身動き一つ出来ず、暗い遺跡の中で過ごした。たまに野鼠がやって来たり、蛇が儂の上を這ったこともあった。じゃが、そのあとオーガの娘が入ってきて儂を自宅に持ち帰ったのじゃ」


 パスコはホットミルクを一口飲む。口の周りが白くなるが気にしていない。小次郎の横ではベルグランが船を漕いでいる。


「ところが、その父親は儂を見て大騒ぎじゃった。何せ鍵付きの魔導書じゃからな。魔法が使えぬオーガには厄介物でしかない」


 小次郎は、この世界の住人たちが『鍵付き魔導書』に抱く警戒感が相当なものだと理解した。パスコは話を続ける。


「結局、その主人である魔族に渡され、その後も獣人、亜人、人族など様々な人種の手を転々とし、ついにある人物の手に渡った。イシア・ヴェイラ・グラディア。当時十歳の少女じゃったが、すでに一国を手中に収めた女傑じゃ。今は東の魔族領の半分を統一し、現魔王と呼ばれておる。そこに出入りしていたもう一人の不思議な女性が、何故か本に宿る儂のことが分かり、この屋敷まで運んでくれたのじゃ。その女性は最後にこう言った。『珍しい付喪神よ。本当の持ち主のところに帰るが良い』とな」


 小次郎は「珍しい付喪神」という言葉に不思議さを覚えた。パスコの魔導書は、生き物に近い緑がかかった色合いの光を放っている。


「こうして儂は長い旅の末に戻って来た。儂より年を取った娘セリルが居ったのじゃ。後はセリルが、儂の抜け殻の首にかけていたガラスの鍵を使い、先ほどサリーがやったようにしてこの体を作ったのじゃ」


 パスコは一息つき、船を漕ぐベルグランをちらりと見て微笑んだ。小次郎がベルグランを起こそうすると、彼は手で制した。


「そのセリルは間もなく他界し、孫も五年前に他界した。ひ孫はまだ健在じゃが、儂が本に精神を入れた時より歳を取っておる。友人知人はすでにいない。長命種族は周りの親兄弟、その友も長寿じゃ。しかし短命種族である人族の中で、儂だけが取り残されておる」


 パスコの顔には深い悲しみが滲んでいた。


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