テープカット
貴賓室での懇談を終え、春田が用意した案内人の案内で空港を視察した。石山が気にしていたのは、客からは見えない燃料施設・排水施設・場内移動用の新交通システムの整備体制などであった。
全体の印象としては巨大すぎて、使い勝手が悪くなっているものであった。巨大であるが故にターミナルビルが幾つかの工期に分かれて継ぎ足しで建設された。
その際、各ターミナルビルの設計時に当時の時点で最適化する設計が行われた。結果、全体にまとまりがなくなり、継ぎ接ぎ状態となった。そして飛行機の乗り換えで場内を移動する際、新交通システムで延々と場内移動しては、更に延々と歩くという使い勝手の悪い空港となった。
それでも4,000m滑走路を6本有し、その内2本が横風用ということもあって大量の飛行機を捌くことができるというのは、当空港の最大の強みであった。春田が自慢するだけのことはあった。春田にしたら、この空港はあの男の作品に他ならなかった。
最後に案内されたのが新幹線ホームであった。既に部分開業をしているため、ホームには利用者が頻繁に往来していた。
常磐新幹線の東京駅地下ホームは島式ホームが2面4線と狭いものであった。それに対して、ここは広大な用地を活用して島式ホームが4面8線と巨大なものであった。
しかし石山が案内された時点で使用されていたホームは中央の2面4線で、両端ホームは未使用の状態であった。そんな未使用のホームでは、翌日の開業式典に向けての準備作業が行われていた。
利用が中央の2面4線に留まっていたのは、東京駅からのピストン輸送に限られていたからである。これが翌日以降の常磐新幹線全線開通となれば、全ホームが稼働状態になる。更に将来、東京―新宿―池袋―大宮と新幹線が接続すれば、東北・上越新幹線が乗り入れるため、よってこの規模は過剰というものでなかった。
こうして視察は一通り終わり、翌日の全線開通式に臨むことになった。
1983(昭和53)年11月18日、石山は式典会場である新幹線ホームに立っていた。ホームには招待された関係者たち集まっており、更にマスコミ関係者がテレビカメラなどを構えて1番列車の発車を待ち構えていた。
1983年は新たな新幹線が立て続けに開業した年であった。オイルショックで建設が中断・縮小されていた新幹線がようやく開業に至ったのである。新たに開業する新幹線は東海道・山陽新幹線と異なり、そのいずれもが原子力関連施設に対する見返りの原発新幹線であった。
「東北新幹線」
開業日:1983(昭和58)年4月15日
東京―上野―大宮―小山―宇都宮―那須高原―新白河―郡山―福島―白石蔵王―仙台―古川―栗駒高原―一ノ関―水沢江刺―北上―新花巻―盛岡―北岩手―二戸―八戸―七戸十和田―新青森
今回の開業区間:大宮―小山―宇都宮―那須高原―新白河―郡山―福島―白石蔵王―仙台
<関連する原子力施設>
・陸前原子力発電所
・陸中原子力発電所
・陸奥原子力発電所
・下北原子力発電所
・下北核燃料サイクル基地
「上越新幹線」
開業日:1983(昭和58)年6月23日
新宿―池袋―大宮―熊谷―本庄早稲田―高崎―上毛高原―越後湯沢―土市―新柏崎―弥彦―新潟―新鶴岡―新酒田―羽後本荘―秋田
今回の開業区間:大宮―熊谷―本庄早稲田―高崎
<関連する原子力施設>
・新潟原子力発電所
・鶴岡原子力発電所
・能代原子力発電所
「常磐新幹線」
開業日:1983(昭和58)年11月18日
停車駅:新宿―東京―舞波―千葉学研都市―関東国際空港―鹿島―鉾田―水戸―日立―磐城(うち先行開業区間:東京―舞波―千葉学研都市―関東国際空港)
今回の開業区間:関東国際空港―鹿島―鉾田―水戸―日立―磐城
<関連する原子力関連施設>
・茨城原子力発電所
・磐城第一原子力発電所
・磐城第二原子力発電所
どの新幹線も計画通りの完成ではなかった。最も完成度が高かった常磐新幹線にしても、東京駅と新宿駅間が残っていたため、完全な完成ではない。そのため厳密には全線開業ではないが全線開業という扱いで式典が行われることになった。
都心において、大宮以南(東京方面・新宿池袋方面)の工事が完成されておらず、新宿にて常磐新幹線と東北・上越新幹線が相互乗り入れする体制が整っていなかった。
大宮以南の用地は石山による用地買収で確保していた。常磐新幹線の駅が京葉電鉄のテーマパークの最寄り駅となり、東北・北陸地方の客を取り込もうとした。そこで、日鉄の用地取得に石山が積極的に関わり、新幹線の建設用地を確保した。
しかしビル・道路・鉄道と錯綜し、同時に稼働しながらの都心部においては難工事となり、工事が遅々として進んでいなかった。
常磐新幹線で先行開業していた東京と関東国際空港間は、順調に利用者を伸ばしていた。そして京葉電鉄の空港アクセス特急も、横浜方面からのアクセスがあったため、利用者を増やしていた、
これは関東国際空港が国際線だけでなく、首都圏における新幹線と競合しない国内線の殆どを担っていたことが大きかった。首都圏から北海道や沖縄方面に向かうには、当空港を多少遠くて不便でも、利用しなければならなかったからである。
尚、新幹線と競合する近畿・中国・九州北部は羽田空港から利用である。これは運輸省の役人の天下り先である航空会社の強い要望と競争政策として新幹線に独占させないようにするためである。何よりストライキを繰り返す日鉄労組に対する牽制であった。
ホームで式典を待っていた石山に声を掛ける者がいた。
「よく来てくれた。これが本当の完成式だ。この空港は君のおかげ出来たようなものだ」
砂岡である。
砂岡も運輸大臣として式典に参加していた。他にも日鉄総裁・空港公団総裁・千葉県知事・下総市長などが参加している。
「いえ、私は大したことはありません。微力を尽くしたまでのことです」
石山は恐縮して答えた。
式典が始まった。石山はテープカットで鋏を入れる立ち台に案内される。運輸大臣砂岡を始めとして、日鉄総裁・空港公団総裁・千葉県知事・下総市長などに並んでのテープカットである。
これは当空港建設において石山が多大な貢献をしたことに対して、砂岡が栄誉として配慮したものだった。石山は場違いではないかと思いながらも立ち台に立った。
振り袖姿の若い女性が新幹線の運転手に花束を贈呈した。そして運転手が運転席に乗り込んだ。
定刻となり一斉にテープカットをした瞬間、くす玉が割れ「祝 常磐新幹線全通開業」という帯が紙吹雪とともに舞った。そして千葉県警音楽隊が華やかに「鉄道唱歌」を演奏し、それを背にしながら一番列車は磐城駅に向けて発車した。




