ノーパンパチンコ
大阪泉州地域は例によって、パチンコ店や性風俗店、そして消費者金融の店が立ち並んだ。更にノミ屋まで並んでいた。まさしく関東国際空港の用地買収の再現VTRの様相であった。ただ関西国際空港の用地取得と異なり、消費者金融は担保に土地でなく漁船を求めた。
そして、その漁船を石山が音頭をとって設立した地上げ屋集団のペーパーカンパニーが買い上げるという仕組みであった。
パチンコ店にしても、射幸心を煽るため敢えてプレイヤーが勝てるように設定して、次に通わせるように仕向けた。そしてギャンブル中毒になった者たちを量産し、多くの者たちから毟り取っていった。
更に「ノーパンパチンコ」と称してホール内の女性従業員がミニスカートで下着を履かず床は鏡張りと女性器が見えるようにしたものが出現した。時にノーパン喫茶が流行っていたため、それをパチンコに取り入れたものだった。
本来であれば警察が取り締まるべき件であるが、何故か取り締まりは行われなかった。尚、大阪泉州地域を管轄していた警察署の署長たちは、砂岡の息が掛かる企業や山海電鉄系または宝急電鉄系の子会社の重役として迎えられている。
ちなみに乱立していたノーパンパチンコは、それほど利益を上げていなかった。乱立していたことや特別なサービスを提供する女性従業員へ手当が嵩んだこと、何より射幸心を煽るため通常よりも大当たりを増やしていていため、利益は殆どない有様であった。しかし、その分については件のペーパーカンパニーが補填をした。
それだけでなく、地元の中学高校に臨時教員を大量送り込んで学生の学力向上で漁師の後継者をなくしていく策も行われた。最盛期には教師で1人が生徒3人程度をきめ細かく教え、かなりの者が大学進学するようになった。進学以外にも漁師の跡を継がずに公務員や例によって砂岡の息が掛かる企業に次々と就職していった。
これらの施策効果は、関東国際空港の用地買収時ほどではないが、それなりにあった。該当する地域の漁業経営体数は凡そ2000件の内、600件が漁業を廃業するに至った。
結果が関東国際空港の用地買収ほど劇的でないのは、該当する地域が大阪都心に比較的に近く、千葉の農民よりも遊興についての免疫を備わっていたからであった。
こうして漁業を巡って工作活動が行われていた中で、ある法律が改正施行された。それが漁業法の改正である。
1981(昭和56年)12月、改正漁業法が施行された。内容を簡単に言えば大企業参入を促すものである。これは砂岡が推し進めていた改正であった。
主な改正点は「漁業権の入札制の導入」「漁船のトン数制限の撤廃」「資源保全のための漁獲量監視お徹底」である。いわば大企業の参入を促し、個人的な漁業経営体を潰しに掛かるものであった。
これは全国の沿岸に原子力発電所を建設する際に漁業補償交渉が難航して、吊り上げられたり、建設妨害に遭ったりした経緯があった。そこで沿岸部の開発を容易迅速化するため、中小漁業経営者を潰しに掛かるために漁業法を改正した。
翌年の1982(昭和57)年には早速、入札が通った水産の大企業が大型漁船を使って空港建設が想定される水域で操業を行う。結果、地元漁師の漁獲量が減少して苦境に立たされるようになった。
この状況に対して、地元漁師は大阪府や水産庁に大型漁船に漁の差し止めを訴えるが、結局無視された。そこで裁判に訴えることで、何とか差し止めようとした。また一部の漁師は大企業の漁船に抗議のため、漁の妨害行為を行った。それに対して大企業の漁船は高圧ポンプで海水を妨害抗議する漁船に叩きつけた。
その様子は、さながら海戦の様相であった。そして地元では「泉州沖海戦」と揶揄されるようになった。




