固定資産税
政府はオイルショック後に原発を大量建設する決意を表明する。それに受けて労農党は反原発運動の体制を整えだした。反対運動は三本柱で構成されていた。一つ目は反対住民の組織化による反対運動、二つ目は予定地の用地の一部買収、三つ目は地方選挙である。
労農党は各地の支部を通じて、反対運動を展開するよう指示を出した。各支部は党中央からの指示を受け、先に挙げた三本柱の手法で反対運動を展開していった。
こうした労農党の動きは事前に想定されていた。そして石山の対抗策を打ち出す。それが土地価格を吊り上げ、それに伴う固定資産税を増額させ手法であった。
二束三文の価値しかない予定地の土地の一部を銀座並みの価格で買い取る。これによって固定資産税の算定基準となる実勢価格を吊り上げた。そして翌年には地権者の所得では支払い不能な固定資産税が掛かるようにした。
そして地権者が土地を手放すように追い込んで、本来の地価の2倍程度で買い取るという手段を用いた。自身で値を銀座並みに吊り上げながら、実際に買うときは2倍程度に抑えた。本来は寒村で誰も購入する者などおらず、石山が率いる地上げ屋しかいなかった。結局、石山の言い値で売却していった。
この土地価格の吊り上げは、地権者が土地を手放すように追い込むだけでなく、副次的な効果もあった。それは労農党が反対のための土地購入を制限させ、更に購入できても吊り上がった固定資産税の支払い窮するようにした。
これは資金力が乏しい労農党にとっては苦しいものがあった。購入できる土地はごく少数に留まり、実際に石山の狙い通りに購入した土地の固定資産税の支払いも窮するようになった。
こうして、石山は電力会社及び金融機関からの資金力で押し切ろうとした。正しくマッチポンプである。その効果は絶大で、予定地が全国各地にあるにも関わらず買収開始2年目で殆どの用地を買収することが出来た。
一応、売却した地権者へのアフターフォローは行った。地元から離れての就職斡旋や就学支援を行った。これは地権者を地元から離すことで、後々の反対運動に加わらせないようにするためである。
当然のことながら、労農党は強く反発した。労農党は国会で政府が地上げ屋を通して、恣意的に固定資産税を吊り上げていると追及した。
それに対し、政府は実際に取引された価格に基づいての税の算出であり、何ら恣意的なものではないと回答した。
それでも労農党は、この固定資産税の吊り上げは不当であるとして、支払いを拒否し続けた。全国各地の労農党支部は固定資産税の取り立てに来る税務署職員に対して、反対住民を使って、
「原発反対、税金反対」
と叫ばせ、組織的かつ暴力的に支払いを拒否した。
労農党にシンパシーを持つマスコミは当初、労農党に主張の通り固定資産税の吊り上げを非難した。そのため、労農党の組織的および暴力的な取り立て妨害を擁護していた。しかし、太陽新聞社において税の申告漏れが指摘された瞬間、マスコミ各社は沈黙をするようになった。
こうした組織的な滞納し続けた労農党に対して、政府は国税庁査察部を投入することを決断する。これに対して、労農党は土地の売却と固定資産税の滞納分全額と延滞金を支払う声明を発表した。
土地は結局、石山が率いる地上げ屋に売却され、その売却益をもって滞納分と延滞金を支払うことで終息した。
こうして石山は前哨戦を制した。しかし、ここからが本格的な戦いが始まる。




