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順風

 1975(昭和50)年、この年は世界的にも国内的にも、そして京葉電鉄にとっても大きな節目の年であった。

 世界的には15年の長きに渡り続けていたベトナム戦争がアメリカの敗北によって終結した。国内においては山陽新幹線の博多までの全線開業や沖縄海洋博覧会が開催されるといった出来事があった。


 そして京葉電鉄にも、大きな出来事がいくつもあった。まず京葉グループが深く関わり続けている関東国際空港の滑走路が4本(内、横風用2本)となった。

 これにより如何なる風向でも2機同時離陸同時着陸が可能になる。これによって発着枠が飛躍的に向上、年間40万回が可能になる。

 その結果、北海道方面や沖縄方面のような新幹線と競合しない国内路線は完全に羽田から移管された。何より海外航空会社が次々と乗り入れることができるようになった。こうして、運輸省が計画時から目論んでいたアジアのゲートウェイ空港として地位が確立した。

 これに伴い空港アクセスとして京葉電鉄の需要が高まり、アクセス特急も追加が導入されるようになる。また空港関連の業務を請け負っている京葉グループ企業も増収増益に繋がった。


 次に常磐新幹線誘致が叶ったことだった。東京ドリームユートピアの交通アクセスを目的に誘致をしていたが、それが実現することになったのである。それも京葉電鉄側が提示した要望の全てが実現するという満額回答であった。

 東京ドリームユートピアの商圏が飛躍的に向上する。それは在来線による関東近郊を商圏にするだけでなかった。東北・北陸地方の人々が新幹線で東京観光する観光スポットとなった。それだけでなく空港のアクセス路線にもなっているため、空港を通して日本全国が商圏になったと言っても良かった。

 それでいながら京葉電鉄は日鉄から賃借料も得ることができる。自社で路線を建設すること出来ず、これ自体は残念であった。しかし、それ以上の利益が見込めることになり井出としては喜ばしいことであった。


 そして何より、京葉電鉄にとって喜ばしい出来事があった。それは長年交渉していたドリームユートピアの誘致が実現に至った。

 当初、ドリームユートピアは奈良マジックランドによる著作権侵害で日本に対して不信感を抱いていた。しかし新幹線の誘致に成功したことで、鉄道好きであったダニエル・アダムズが態度を軟化させ交渉が進展した。もちろんのことだが鉄道趣味だけが交渉進展に繋がった訳でなく、新幹線及び在来線整備による商圏の拡大が大きな理由であった。


 しかしダニエル・アダムズは契約に入る1か月前に鬼籍に入った。そのため契約はドリームユートピア社長のジョン・ゴールドウォーターが行うことになる。

10月5日にドリームユートピア本社にて、京葉電鉄社長井出とドリームユートピア社長ゴールドウォーターと間で契約の調印式が行われた。調印式にはドリームユートピアのキャラクターの着ぐるみたちが、調印する二人の後ろ取り囲んで調印を祝う演出をした。

 これは京葉電鉄にとっても重要な契約であると同時にドリームユートピアとしても、初の海外進出にもなる特別な事業であると認識していたからであった。


こうして東京ドリームユートピアが建設される運びとなった。

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