応接室
「随分と難しいお話ですな」
日本鉄道総裁藤山武治は怪訝な表情を浮かべて言った。
「確かにそうでしょう。ですが、お互い利益になる話ではあります」
井出は淡々と話す。
日本鉄道本社ビルの応接室で井出と石山たちは、新幹線誘致を巡っての交渉をしていた。出席者は以下の通りである。
・日本鉄道
総裁 藤山武治
新幹線総局長 服部清治(後のNR東日本初代社長)
・京葉電鉄
京葉電鉄社長及びイースタンアイランド社長 井出康介
イースタンアイランド社取締役 石山正明(仮名)
京葉電鉄の提案は砂岡を通じて日本鉄道に伝えられた。当初、日本鉄道は京葉電鉄の案に対して否定的であった。
日本鉄道が計画しているルートに比べて遠回りとなり、時間を要することが理由である。ただ、それは表向きの理由で実際は日本鉄道よりも格下の京葉電鉄ごときから提案されるのが不愉快であったためである。何より、砂岡からを通じての提案が気に障った。
元々、砂岡は日本鉄道のノンキャリアの職員で政界に転身して栄達した男である。そんな元ノンキャリア出身の砂岡からの話はキャリア組の彼らからすれば、生意気なことであった。日鉄の理事たちは露骨に「何で砂岡ごときに指図されないといけないのだ」という声が上がったほどである。
しかし、結局は京葉電鉄からの渋々ながらも提案を受け入れた。理由は日本鉄道が数々の問題で満身創痍であったからである。そして起死回生の策として新幹線に望みを掛けていたからだった。
当時、日鉄は内憂外患の状態になっていた。内部からは莫大な赤字と労使関係に悩まされ、外部からはモータリゼーション・飛行機の普及・私鉄の躍進という脅威に苛まれていた。
そんな日鉄にとって、起死回生の切り札が新幹線であった。新幹線で飛行機に奪われつつあった旅客シェアを取り戻し、さらに新幹線での通勤を普及させることで私鉄に対して優位に立とうとした。
この起死回生の切り札である新幹線を最大限に生かすために計画が大新宿駅計画であった。新宿駅の貨物ターミナルを廃止して、そこに新幹線の駅を建設しようとした。
新たに建設される新幹線の駅は、東北・北陸・上越・常磐新幹線が乗り入れるものである。将来的には当時研究を始めたばかりのリニアモーターカーも乗り入れ、新宿から日本全国を高速で移動できること目指した。
その第一歩が関東国際空港にアクセスするための常磐新幹線である。そんな日鉄にとって重要な新幹線計画が住民の反対運動で暗礁に乗り上げており、どうにもならない状態であった。
こうした事情により日鉄は不愉快ながらも、格下の京葉電鉄の提案と彼らからすれば生意気この上ない砂岡の指図を受け入れなければならなかった。ただ受け入れるにしても、京葉電鉄の提案をそのまま受け入れるつもりはなかった。日鉄にとって最大限有利な条件を京葉電鉄に突きつけようとした。
「服部君、この案だと時間はどうなる」
「東京駅から関東国際空港まで、最短で40分になるかと思われます」
服部が答えた。藤山はわざとらしく
「時間が掛かりますな。計画通りであれば30分。それが10分も伸びる。それにそれ以外にも条件があって、難しいことを仰りますな」
と言った。




