常磐新幹線
新幹線用ホーム21番線に関東国際空港方面から列車が入線してきた。列車にはラッピング塗装でドリームユートピアのメインキャラクターたちが彩られている。
停車した列車から東京ドリームユートピアに向かう人たちが一斉に下車した。下車する人の群れに中には多種多様な外国人の姿もあった。新型コロナの収束に伴い、外国人入国を認められるようになったためである。
ここはNR東日本舞波駅で東京ドリームユートピアの最寄り駅で、常磐新幹線と在来線ある湾岸線の駅となっている。駅の構造は北側が常磐新幹線で南側が湾岸線となっており、新幹線ホームは島式3面6線で湾岸線は島式2面4線となっていた。
新幹線ホームは常磐新幹線だけでなく、東北・北陸・上越新幹線も乗り入れており、一部の車両はここで折り返していた。これは常磐新幹線東京駅ホームが島式2面4線で東京駅での折り返し運転が難しいため、当駅がその役割を担ってのことである。
湾岸線は主に通勤電車が運用されている。新宿・渋谷方面からのお台場を経由して当駅に入り、そして千葉方面に向かうルートである。また湾岸線は地下鉄有楽町線と相互乗り入れ運転をしていた。
主に通勤電車が運用されているが、時折NR貨物の貨物列車も運用されていた。これは元々湾岸線が貨物線として計画された名残である。東京都品川区にある東京貨物ターミナル駅と千葉方面を結ぶことを目的としたものが、通勤電車も運用するように計画が改められ今に至っている。
この埋立地は京葉電鉄が建設したものである。当然、ここは京葉電鉄の路線が建設される計画であった。しかし、オイルショックによる景気後退で京葉電鉄が新線建設を断念せざる負えなくなった。
相乗りする形で1970年代の日本鉄道は貨物線の建設を構想した。目的は当時新設された東京貨物ターミナル駅の機能を強化するためである。当初は貨物専用として計画であったが、京葉電鉄の新線建設断念を受けて旅客輸送も行えるよう計画が拡大した。
この舞波駅に常磐新幹線の駅が設置されたのは、京葉電鉄社長の井出が誘致したためである。井出が京葉電鉄の社運を掛けての事業である東京ドリームユートピアを成功させるため、新幹線を誘致する大胆な構想を思い描き実行した。
オイルショックによる景気後退は京葉電鉄の経営に悪影響を及ぼした。東京湾湾岸に新たな新線建設をする余裕をなくした。しかし埋立地の開発をするため、何より社運を掛けた東京ドリームユートピアを成功させるには、鉄道の建設が必須であった。
そこで井出は日本鉄道の貨物線構想と空港のアクセスの新幹線であった。これらを埋立地の鉄道路線にすることで、自社の埋立地の開発に活用しようしたのである。
この構想に対して、京葉電鉄社内から猛烈な反対が発生した。社内では今は景気後退で建設できなくても、いずれ景気回復をすれば新線建設が出来るとされていたからである。それをみすみすとライバルである日本鉄道に譲るというのは裏切りに他ならなかった。
しかし、井出はそのような社内の反対派に対して
「新幹線を通して、全国から客を集める。東京と千葉だけを相手にするのは時代遅れだ」
と言って抑え込んだ。
こうして、井出は空港アクセス線となる常磐新幹線の誘致活動を行うことになった。その口利きとして、当時科学技術庁長官となっていた砂岡が再び関わるようになる。
都内の料亭で井出は砂岡を呼び出し話し合いがもたれた。石山はその席に同席する。井出が砂岡に語り掛ける。
「先の新首都建設計画がなくなってしまい残念です」
砂岡は通り一遍で
「あれは私の力不足でした。井出社長にはご迷惑をお掛けして申し訳ない」
と答えながら頭を下げた。それに井出が
「いやいや先生そんなお顔を上げて下さい。もうあれは仕方ないですから。流石にオイルショックとなれば、どうにもなりません。弊社もオイルショックでひどい目に遭っています」
これまた通り一遍の話をした。
「井出社長、そんな消えた新首都の話をするために私を呼んだのではないでしょう。本当の要件は何でしょう」
最初に口火を切ったのは砂岡であった。そして井出は待っていたとばかりに話を始めた。
「その代わりと言う訳ではないですが、例の空港新幹線をうちの埋立地に誘致したいのですがね。何とか日鉄に口添えして貰えませんでしょうか」
砂岡はいぶかしく井出を見ながら、料理を口にする。
「井出社長、何を考えておられるのです。それに新幹線誘致なら、私でなく直接日鉄に話をしたらよろしいではないですか」
井出は、そんな砂岡を意に介さずに
「私は、今度建設する東京ドリームユートピアを成功させたいだけです。元々は弊社が新線を建設することになっていましたが、今回のオイルショックで駄目になりました。それでせめてものということで新幹線を誘致しようと思った訳です。それで、この新幹線は先生が大きく関わっている。その先生を通さずに話をするのは失礼だと思いまして、先に話をさせてもらいました。それにそんな悪い話ではないと思います」
井出の説明に砂岡は少し納得したようである。
「ほう、悪くない話ですか」
砂岡は興味を持ったのか眼光が鋭くして井出の顔を見る。井出は淡々と語る。
「今、空港新幹線は江戸川区での反対運動で立ち往生している。それを新しい埋立地に建設すれば反対もなく建設できるでしょう」
砂岡は鋭い眼光を崩さずに問いかける。
「なるほど、それなら反対運動を避けての建設が出来ますな」
「弊社とすれば、東京ドリームユートピアの前に新幹線の駅を造って貰えれば、集客に弾みが付く。更に将来、新宿で東北や北陸と繋がれば、そこからも集客ができる。それが私の狙いです」
当時、砂岡は科学技術庁長官として原子力政策を推し進めていた。何よりオイルショックによる恐怖心が拍車を掛けていた。そして将来において、日本の電力の殆どを原子力で賄うことを目指すようになった。
そのためには原発立地に対する見返りが必要であり、新幹線は見返りとしての贈答品として必要であった。
だが贈答品である原発新幹線の先駆としての常磐新幹線計画で障害が発生していた。それが江戸川区を中心に発生していた新幹線建設反対運動である。




