オイルショック
1973(昭和48)年10月6日、第四次中東戦争が勃発した。その十日後に石油輸出国機構(以後OPEC)が原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルに引き上げる。いわゆる第一次オイルショックである。
当時、日本は中東戦争に対して中立の立場を取っていた。しかし米国がイスラエル側で日本は米国の属国という立場から、アラブ諸国より非友好国と認定される。結果、原油輸出の削減を受けた。
日本はパニック状態になった。消費者物価指数が1973年は11.7%で74年には23.2%まで上昇した。そのため「狂乱物価」という言葉が生まれる。
物価を抑え込むため、日銀は公定歩合を9%までに引き上げる。こうした金融引き締めによる景気抑制と石油不足が重なり、スタグフレーションが発生した。
経済成長率が1972年には前年比で9.1%だったのに対して、73年には5.1%になり74年には0.5%にまで落ち込んだ。こうして日本の高度経済成長が終焉する。
省エネルギー、略して「省エネ」が国を挙げて行われた。デパートのエスカレーター運転停止、デパート・スーパーの営業時間短縮、電車の最終列車の繰り上げ、ガソリンスタンドの日曜休業、工場の操業時間短縮などである。
そんな世相で象徴的な出来事が発生した。1973(昭和48)年11月に全国でトイレットペーパー買い占め騒動が発生。瞬く間にトイレットペーパーが品薄となった。
発端は当時の通商産業大臣風見儀一郎が「紙節約の呼びかけ」を発表したことであった。この発表によって紙がなくなる噂が広がってしまう。
そして一部の小売店で主婦たちがトイレットペーパーを買い占める現象が発生した。その様子を新聞テレビが大きく報道したことから、騒ぎが全国に波及する。こうして全国規模のトイレットペーパー買い占め騒動に発展してしまった。
実際の紙の生産は安定的に行われていた。しかし、物不足になる不安とマスメディアによる報道が相まっての大パニックに発展した。
こうした物不足の不安が満ちていた世相で、ある小説が出版された。小説「石油沈没」(鶴屋正一著)である。この小説は石油が断たれたに日本が絶望的状況に立たされるかをシミュレーションした小説である。
内容はセンセーショナルなものであった。石油が断たれることで国民資産の7割が消失し、餓死凍死者が300万人になるというものであった。これは荒唐無稽の話でなく、当時の通商産業省内で行われたシミュレーションに基づく内容であった。それだけに鬼気迫るものであった。
オイルショックの最中にこの内容は余りにも刺激が強すぎ、国民は益々もって不安に陥ってしまう。この国民の不安は政府を突き動かし、石油消費を抑制に益々もって拍車を掛けた。
政府は石油消費を抑制するため、更なる総需要抑制策が行った。これにより全国の公共事業が抑制され凍結や縮小が相次いだ。
これで地方が割を食ってしまった。地方は長らくインフラが貧弱で高度経済成長から取り残されていた。それがようやく地方にもインフラ整備が始まろうとした矢先に凍結や縮小に追い込まれた。
<凍結及び縮小した公共事業の例>
・新首都建設の凍結
・本州四国連絡橋着工の延期
・青函トンネル建設の無期限凍結 凍結したことにより湧水を止めることができず、採掘済みのトンネルが水没した。
・新幹線の規模の縮小 東北新幹線が東京―盛岡間が大宮―仙台間に短縮 上越新幹線が新宿―新潟間が大宮―高崎間に短縮
・高速道路整備の縮小 関越自動車道が高崎ICより以北は建設凍結
こうした相次ぐ公共事業の縮小でも、関東国際空港とその関連の建設は最優先とされる。そして規模を多少縮小しながらも建設は進められた。
京葉電鉄もオイルショックの波を被ってしまう。そのため東京駅から浦安埋立地を介した新線建設が難しい事態となった。
公定歩合引き上げによって、住宅需要が鈍る。よって新線によるニュータウン開発が覚束ない状態となる。
そして何より最も影響を受けたのが新首都建設の凍結という事実上の中止であった。オイルショックを契機に首都移転は凍結され事実上の中止となる。結局、学術研究機能が移転に留まり、これが現在の千葉学術研究都市となる。
石山はこのときのことを語る。
「地方選出議員から新首都建設について、強い反対があった。議員たちはオイルショックによって地方の公共工事が止まっているのにも関わらず、新首都建設など許されないと主張した。でも本音は首都移転で、銀座の高級クラブに遊べなくなるといったところだ。あのときほど馬鹿馬鹿しいと思ったことがない」
新首都計画がなくなり、折からスタグフレーションが合わさったことで、京葉電鉄の新線計画が暗礁に乗り上げてしまった。




