難航
1972(昭和47)年11月に米国ドリームユートピアと交渉開始した。交渉に当たっては丸井商事をパートナーとした。
丸井商事は空港用地買収の際に海外視察のアテンドを担った商社である。アテンドの後、丸井商事はドリームユートピアに出資しており、その関係を辿ってドリームユートピアと交渉するに至った。
丸井商事はアテンドを契機にドリームユートピアを徹底調査したところ、将来性が極めて高いということで出資を検討する。そしてドリームユートピアがフロリダに2つ目の施設となるドリームユートピア・フロリダの建設で丸井商事は出資した。
イースタンアイランドは丸井商事の繋がりを辿って、米国ドリームユートピアとの交渉に至った。丸井商事にしても、出資した動機がドリームユートピアのビジネスモデルを日本に導入することを念頭にあったため、イースタンアイランドの誘致に積極的に協力する。
そして交渉は難航した。
当時、ダニエル・アダムズを筆頭に米国ドリームユートピアは日本に悪印象を持っていた。そもそもダニエル・アダムズは丸井商事の出資を当初拒んでいたくらいであった。しかし、ドリームユートピア・フロリダの建設費が青天井になっていたことから、少しでも資金を集めるべく不本意ながら出資比率2%を上限に認めた。
丸井商事の出資を嫌々受け入れたためにイースタンアイランドとの交渉をしなければならなくなったダニエル・アダムズは不機嫌極まりない態度であった。
第一回目の交渉メンバーは以下の通りである。
<日本側>
・イースタンアイランド(京葉電鉄)
井出康介 石山正明
・丸井商事
担当者2名
<ドリームユートピア側>
ダニエル・アダムズ(創業者 会長)
ジョン・ゴールドウォーター(社長)
石山は当時のダニエル・アダムズの様子を語った。
「丸井商事の尽力で何とか、話を聞いてもらえるところまでは漕ぎ付いたが、そこからが大変だった。ダニエルから奈良マジックランドの写真を見せられて、『お前たち日本人は信用できない』と言われ、どうしたものかと思った」
ダニエル・アダムズを激怒させた奈良マジックランドはドリームユートピアの著作権を侵害していた。奈良マジックランドのオーナーである松山銀二は、以前にダニエル・アダムズとの面会した時に著作権使用の承諾を得たと主張していた。
しかし、これはダニエルが好意で遊園地の経営ノウハウや技術支援をしたくらいで、ライセンス契約を取り交わした訳ではなかった。実際、奈良マジックランドはラインセンス使用料を支払っていない。
それにも関わらず松山は「日本のドリームユートピア」と積極的に広告宣伝をした。こうした経緯から、ダニエルは激怒し日本に対して強い不信感を持った。
また別に九曜グループの九曜地所が富士山麓に誘致する活動を行っており、誘致合戦は激しいものになろうとしていた。
こうしてイースタンアイランドは、ドリームユートピアの強い不信感と九曜地所の誘致合戦を抱えながら、難しい誘致活動を行うことなる。
ただドリームユートピアとしても、イースタンアイランドからの誘致を無碍に断ることができない事情があった。それがドリームユートピア・フロリダの建設である。そもそもジョン・ゴールドウォーターがアダムズの反対を押し切って、丸井商事の資本参加を受け入れたのは、兎にも角にも資金が必要であったからである。
ドリームユートピア・フロリダは交渉開始時点で、一部開業していてがまだ完成には程遠いものがあった。何より、アダムズの完璧主義と建設に手間が掛かる湿地帯により、費用が嵩んでしまう。
これに強い危機感を持っていたのがジョン・ゴールドウォーターである。ゴールドウォーターは資金繰りのため、転換社債を大量発行するなどして資金調達に必死であった。そして丸井商事からの出資をこれまで以上に引き出したいゴールドウォーターは、アダムズの説得に尽力する。
石山は当時の交渉を振り返る。
「何度か、交渉でアダムズとゴールドウォーターと同席をしたが、それは緊迫したものだった。何より交渉中に資金繰りについて、アダムズとゴールドウォーターが口論になるなど、とにかく難しい交渉だった」
交渉を重ねる従いダニエル・アダムズの日本に対する不信感は交渉前よりは弱まって来た。しかし完全に拭えるものではなく、交渉が行き詰まる。
そんな中でアダムズから、妙な提案を持ち掛けられた。それはドリームユートピアに新幹線を乗り入れるものであった。それを最初に聞いたとき、交渉の席にいた者たち一同が驚いた。
日本側はアダムズが冗談で言っているのかと思ったが、どうも真剣な様子であった。新幹線をドリームユートピアに引き込むことが出来るなら、ライセンスを提供するというのである。
アダムズは無類の鉄道マニアで自宅の庭に線路を引いてミニ機関車を走らせるほどであった。そもそもドリームユートピア開業の動機の一つとして、アダムズが本格的に蒸気機関車を運転したいという思いがあってのことであった。そんなアダムズは世界初の高速鉄道である新幹線に強い興味を持つのは当然であった。
日本側の交渉団は、この提案を極めて難しいと回答した。このときの様子を石山は語る。
「最初、交渉を断わるための無理難題かと思った。しかし、話を進めると本気の提案だったことが分かった。何より驚いたのが、彼らから『君たちは関東国際空港のための新幹線建設に協力しているそうだな。だったら交渉はできるはずだ』と言ってきたことだった。彼らもまた我々の事情を調査していた」
この思いがけない提案に日本側は、出来るか出来ないかは分からないが新幹線の誘致活動を行うと約束した。




