奈良マジックランド
閑静な住宅地にそれがあった。周囲は有刺鉄線のフェンスで囲まれて、中には物々しい電力機器と電力貯蔵用のタンクが並んでいる。正門は閉じられている。
「近畿電力法蓮佐保山電力貯蔵所」
正門のプレートにはそう記されていた。
現在、ここは奈良市域の電力貯蔵施設となっている。関東国際空港の電力貯蔵施設とは異なりバナジウム溶液型のレドックスフロー電池である。
原発が夜間発電する余剰電力を貯蔵し、奈良市の昼間ピーク時に使用される。最近では太陽光や風力などで発電された不安定な電力の平準化に使われている。
当初はウラン溶液型の設置が検討されたが、当地が住宅地でもあるためバナジウム溶液型となった。
今は電力貯蔵施設となっている場所は、かつて「奈良マジックランド」という遊園地だった。
奈良マジックランドは実業家松山銀二が1961(昭和36)年に開業させた。最盛期には年間160万人の入場者数を誇る奈良県を代表とする遊園地であった。
しかし娯楽の多様化や2001(平成13)年に大阪湾岸でワールド・スタジオ・ジャパンが開業で客足が取られて業績が低迷する。結果、2004(平成16)年に閉園した。
この遊園地がドリームユートピアのダニエル・アダムズを激怒させ、京葉電鉄のドリームユートピア誘致活動に暗い影を投げかけた施設だった。
アジア総合はイースタンアイランド株式会社(以後イースタンアイランド)に名を変えて活動を再開した。名前を変えたのは空港用地買収を巡って日本労農党が国会で追及し、アジア総合の名前が広く知れ渡る。結果、裏工作活動ができなくなったためであった。
イースタンアイランドに名称変更する直前のアジア総合の社長は田所直人であった。田所は京葉電鉄からの出向者である。前任の市村と違い、その役割は本社の連絡将校だった。
前任の市村は謀を巡らしての用地買収や新首都建設の宣伝活動を行うように積極的な活動を行っていた。それに対して、田所は本社の役員の方針をアジア総合に徹底させることを使命としていた。
人となりは石部金吉そのもので、本社役員の意向に沿わないことは絶対に認めない男だった。石山は語る。
「田所さんは、本当に堅物のサラリーマンで融通が利かない男だった。最初、本社は何でこんな男を送り込んできたのか訝った。まあ何かと過剰なことをするアジア総合に対する鈴だったのだろう」
そんな田所も会社名称の変更を機に京葉電鉄に戻されて、総務部長になる。代わりにイースタンアイランドの社長になるのが京葉電鉄社長井出康介その人自身であった。これには石山も驚いたという。
「まさか井出社長自身が出て来るとは思わなかった。井出社長は『ドリームユートピアとの交渉は難しいものになるだろう。トップでなければ決断できないことが多々出てくる。よって私が直接交渉をする』と言ってね。その気迫を肌身で感じた」
こうして米国ドリームユートピアと交渉が行われる。




