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開港

 笛・太鼓・三味線・つづみ囃子はやしが旅客ターミナルビル内に響き渡っていた。特設ステージには黒い幕を背景に十一代目島波大五郎と十代目島波菊山が連獅子の毛振りを熱演している。

 観覧席には要人が居並んで座っていた。内閣総理大臣 田岡栄太郎を始め閣僚が一同に出席している。石山は観覧席の末席に座り、彼らと伴に連獅子を観劇していた。このとき石山は40歳手前にして、アジア総合経営研究所の重役となっていた。


 1972(昭和47)年9月4日 関東国際空港が開港した。開港式典には空港の所在地に所縁を持つ歌舞伎役者が招かれ連獅子を披露していた。

当時菊山として父と伴に舞った十二代目島波大五郎は後にテレビ番組のインタビューで、最も難しい芝居は何だったのかと聞かれたときに、このときの連獅子を上げた。

「空港開港式典の連獅子が一番難しかったですね。式典なので時間はいつもより短い30分程度なのですが、とにかく緊張しました。何せ国家事業の式典ですからね。空港の場所が私どもの一門に所縁がある場所ということもあって、一門としましては特別な思いで挑みました。特に父は『この舞台で死ぬれば本望』とまで言う始末で、それはもう大変でした」

 

 曲調が速くなり連獅子の毛振りが激しくなる。舞台が最高潮に達し連獅子が見栄を切った瞬間、背後の黒い幕が落ちて空港を一望する風景が辺り一面に広がった。観客一同は盛り上がり一斉に拍手をした。

 

 田岡が壇上に上がり挨拶をした。

「今年は沖縄返還され、更に関東国際空港の開港の年であります。本年は戦後日本の総決算と言えます。日本が戦後を脱し、更なる飛躍をする記念すべき年となります。この関東国際空港がその飛躍に大きく貢献することは疑いの余地はありません。それは日本の発展のみならず、全人類の発展に必ず貢献すると私は確信しております」


 空港は滑走路1本に5つのサテライトを従えた旅客ターミナルが1棟で、後は貨物ターミナルがある程度だった。

総理大臣が挨拶するほどの国を代表とする空港にしては、それほど大きいものではなかった。それでも今後発展して日本ひいてはアジアの玄関を目指す空港であったため、その期待の大きさから総理大臣を始めとして全閣僚が出席するものであった。


 滑走路1本で開港である。当初第一期工事は滑走路2本が建設されるものだった。しかし最低限の施設が揃ったということで開港となった。羽田空港の運用が限界を超えており、急ぎでの開港が求められたためである。


 旅客ターミナルビルは白鳥章夫の設計で当時のメタボリズムを反映した外観であった。搭乗用のサテライト棟が5棟あり、それに囲まれ形で窓口がある中央棟があった。中央棟と搭乗するサテライト棟との間は動く歩道による地下道で結ばれている。搭乗用サテライト棟は5棟合わせて30機分の搭乗橋が設置された。翌年には横風用滑走路が1本完成し、これで第一期分が完了する。


 開港後すぐに、全ての国際線が羽田空港から関東国際空港に移管された。長年の問題であった羽田空港の容量不足が緩和される。今後、拡張を続け順次国内路線が移管される予定である。

 しかし当空港は羽田空港に比べて都心から離れている。そのため、国内航空各社は国内線については、都心に近い羽田発着を希望としていた。そこで新幹線と競合しない国内路線が当空港に移管される運びとなった。


 開港時、空港アクセス路線も完成ではなかった。一般道は完成していたが、高速道路は未だ建設中で完成は2年先である。

 鉄道アクセスについては、京葉電鉄京葉本線が延伸する形で乗り入れている。当面は空港内に3つの駅が設置される。整備場駅・空港第1ターミナル駅・空港第2ターミナル駅である。空港第1ターミナル駅は1面2線の島式ホームで中央棟の地下に設置される。尚、空港第2ターミナル駅は第二期工事で完成することになっているため、開港時点ではまだ運用していない。

 新幹線は江戸川区の用地買収で難航しており、いつ建設されるか全くの目途が立たない状態である。当面は鉄道アクセスについては京葉電鉄が独占的に担うことになる。

 航空燃料については将来千葉港からパイプラインで輸送されることになっているが、開港時には完成されていなかったため、当面は日本鉄道によるタンク輸送となった。


 用地買収の尖兵として奮闘した石山の仕事はこれで一区切りをついた。アジア総合経営研究所は発展的に解散してイースタンアイランド株式会社として再スタートを切ることになった。トップは井出自身が社長になった。

当初、空港用地買収のためにダミーとして掲げた遊園地開発を本格的に始動することになったのである。石山はこのときのことを振り返る。

「井出社長から開港式の後に突然『今度、浦安の埋立地に遊園地をする。今、極秘でドリームユートピアに誘致交渉をしている。君は国内側の整備に回ってくれ』と言った。薄々、噂では聞いていたが本当であったことに驚いた」

 正しく噓から出た実であった。ダミーだった計画が本当になる。石山はこうして、次なる修羅場に身を投じていく。

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