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葛藤

 こうした状況で勇作は葛藤に苛まれていた。反対派で農民側のリーダーであった父清が学生によって殺害され、その殺害した学生も農民たちよって殺される。そして発生した内紛劇で多数の人間が殺される。

 この一連の騒動に勇作は嫌気を差していた。そして土地の売却を考えるようになる。土地を売って、どこか遠くで新しい人生を歩みたいと思うようになっていた。


 母タエは、この地に土地を売らないことを強く望んでいた。亡くなった夫の形見であり、苦楽を共にした思い出が詰まった土地であったからであった。

 更に勇作が土地の売却に二の足を踏んだ理由があった。当時結婚したばかりの妻、佐知子の存在である。

 佐知子は国立弥生大学文学部仏文科に在学していたが、当時の学生たちと同様に活動に身を投じた。その活動で農民の勇作と関係を持つようになり、子供を宿して結婚するに至った。そして結婚と機に東大を中退した。宿した子供は三丸丘闘争後の内ゲバ騒動による心労のためか流産してしまう。


 佐知子は学生活動家たちに対して鬱屈した気持ちを持ったが、勇作には土地を売らないことを願った。勇作は語る。

「佐知子はあの事件(三丸丘闘争)以来、学生たちに対して嫌悪感を持っていました。しかし私が土地を売る話をしたときは、止めて欲しいと言った。佐知子にしたら、土地を売ったら自分の人生が否定されると思ったのでしょう。それにワシも農民以外にやっていく自信もなかった」

こうした事情から、勇作は土地を売らないことにした。

 やがて佐知子との間に再び子ができる。それが今、勇作の跡を継いで農業に勤しんでいる息子文雄である。

 文雄の誕生後に母タエは亡くなり、勇作は土地を受け継いだ。勇作には弟がいたが農業を捨て、航空自衛隊に入隊する。父清と伴に政府に楯突いた勇作からすれば、弟の所業は裏切りに他ならなかった。

 勇作からすれば自衛隊は政府の犬であり、しかもよりによって飛行機と関係する航空自衛隊というのが許せなかった。結局、弟とは入隊後ほぼ絶縁状態となり、母タエの葬式で会ったくらいで、それが最後となった。こうして勇作は肉親を事実上失ってしまった。


 勇作は佐知子と落花生の有機栽培を行うようになる。それを独自に販売することで生計を成り立たせた。1980年代に入り自然派志向が浸透するようになって、多少価格が高くても売れた。

 販路開拓には佐知子が大きな役割を果たした。佐知子は全国各地に講演会に呼ばれ、空港闘争に関しての講演を行う傍ら、有機栽培した落花生の販路を広げた。

更に勇作と佐知子との間には娘が誕生した。娘は才女で日本原子力教育財団(現 日本学術奨励財団)から奨学金を受け取り、国立弥生大学理学部に入学する。

 この日本原子力教育財団は砂岡が音頭を取って、原子力関連企業からの資金で設立したものであった。目的は奨学金を通して原子力関連企業への人材供給を行うものである。大学等の卒業後9年の年季奉公をすれば、生活費を含めた奨学金が免除されるというものであった。言わば貧困層における立身出世の登竜門である。


 ここで大きな問題が発生した。娘が奨学金を受けることに佐知子が激烈な反対した。佐知子にとって何より気に食わなかったのは、当財団を設立したのが砂岡であり、その目的が原子力関連企業への人材供給であったことだった。

 砂岡は関東国際空港建設における主要メンバーであり、佐知子にとって不俱戴天の仇ともいうべき人物である。更に左翼思想の流れから佐知子は反原子力思想を有していた。

 それに対して娘が財団から奨学金を受け取って、卒業後は原子力関連企業に就職するなど、決して許される話ではなかった。そのため佐知子と娘の間に大きな亀裂が走り、結局は娘が家を出て絶縁となった。


 結局は息子の文雄だけが残って、両親の思い引き継いで農業に勤しむようになる。やがて文雄も妻を娶って娘が授かる。勇作と佐知子にとっての初孫であった。孫娘は祖母佐知子に勉強を教えて貰ったためか、才女として育った。

 佐知子が弥生大学文学部仏文科に在籍していた影響か、孫娘もフランス語に関心を持つようになった。そして関東外国語大学言語文化学部フランス語科に入学する。


 ここで佐知子に不幸が訪れる。佐知子は膵臓がんを患っていることが発覚して、闘病生活に入る。千葉学術研究都市にある関東重粒子線治療センターで重粒子線治療を受ける。

 結果は良好で膵臓がんは治っていった。しかし1年後がんが肝臓や腎臓に転移し再発し、2年の闘病経て2年前死去した。

 佐知子の通夜のとき、佐知子の弟が参列する。そして弟の口から、佐知子の夢について告げられた。佐知子は嘗てフランス留学を希望していた。しかし運動に身を捧げるようになって、フランス留学を捨て勇作と結婚する道を選んだという話である。


 勇作は、それを聞き益々以て辛くなった。自分との結婚で才女であった佐知子の夢を諦めさせてしまったことに負い目を感じた。それだけでなく、これまで50年近く一緒に暮らしていながら、佐知子の思いに気付けなかった自分の鈍感さにつくづく嫌気を差した。

「あのときは、本当に自分が馬鹿だと思い知らされた。ワシは佐知子にずっと甘えていたのだと思い知らされた。佐知子はワシにとっては余りにももったいない妻だった」

勇作は一年たった今でも自責の念に苛まれていた。


 取材の最後に勇作が言った。

「今度、孫が大学卒業してフランスに留学することになった。佐知子の分も頑張って欲しいし、出来るだけ応援もしたい」


 取材後、関東国際空港株式会社は関東電力が推し進めるスマートグリッドに本格的に参加すると表明した。プレスリリースには以下のように記載される。

「関東国際空港株式会社は以前より空港内の一部電力使用において、レドックス・フロー電池を用いて深夜電力や再生可能エネルギーを平準化し活用しておりました。これを関東電力と共同で大規模化することで、空港内の使用電力の全てと周辺地域への電力供給を行います。スマートグリッドを通じてサスティナブル社会に貢献します」

 プレスリリースには使用するレドックス・フロー電池は発電用ウラン燃料精製に発生する劣化ウラン溶液を用いるとされた。一般的に使用されるバナジウム溶液よりも性能がよく、廃物の有効利用として活用されると記されている。

 そしてプレスリリースの図面には与那城勇作の土地が設置場所として記されていた。つまり土地を空港会社に売却したのであった。


 このことについて、再度取材を申し込もうとしたが連絡が取れず、再取材はできなかった。人づてによる話では、土地の売却金の一部を孫の留学費用に充てたようであった。そして勇作たちは土地を離れ、何処かに移住したとのことであった。


 こうして、勇作の闘争は終わりを遂げた。

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