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農家

 ウミガメの塗装が施されたA380がジョット音を轟かせながら着陸した。西風が強いためか航空機が横風用のD滑走路に次々と着陸する。

 空港のフェンス沿いにはタンクが並び、航空機用の燃料タンクや蓄電池用の溶液タンクが並んでいる。中でも放射能標識が描かれ「蓄電用劣化ウラン溶液タンク」と書かれたレドックス・フロー電池のタンクが目を引いた。

 これは原子力発電所や石炭火力発電所が夜間に発電した余剰電力を蓄電して昼間に使用するものである。空港会社が10年前に導入した。最近ではレッドクス・フロー電池と併設されている風力発電機の不安定さを緩和するためにも活用されている。


 空港の外は農地が広がっているが、所々でフェンスに囲まれた農地があった。それらは空港用地取得で購入した土地で、現在は空港会社の子会社である農業法人が農地として運営している。

 フェンスに囲まれた農地は自動化が進んでおり、人の姿はなかった。ロボットが文字通り機械的に農作業をしている。


 そんな機械の森に囲まれた中に一軒の農家が佇んでいた。向かう先は空港建設に反対運動を行い、そして空港公団に計画変更を通させた農家であった。名前は与那城勇作という。 与那城勇作は20歳ごろに頑なに反対運動を繰り広げた。そんな彼も今では73歳となり、農作業を引退し跡を継いだ47歳の息子が落花生を栽培している。


 家の周囲は滑走路に囲まれていた。しかも24時間運用されているため、ジェット機の轟音が止むことはない。

「酷い騒音でしょ。これが四六時中だから、たまったものでない」

人口密集地がある空港西半分の滑走路(A滑走路、E滑走路、横風用B滑走路)は23―6時まで原則使用禁止である。しかし人口がそれほどでない東半分(B滑走路、F滑走路、横風用D滑走路)は24時間運用とされる。

 以前に飛行差し止めの訴えを行ったが、公共利益を優先するとして14年前に最高裁にて上告棄却となった。その代わり空港会社が補償金を出すことで和解とした。


 部屋に案内されると思ったほどうるさくはなかった。家は防音設備が施されているため、外部の轟音を抑えられていた。ただ就寝するにはまだ響くため、寝室には特別な防音設備により完全防音をしていた。

「裁判しても夜間飛行を止めることが出来ず、せいぜい補償金を得るだけ。納得できない」

与那城は苦々しい表情で語る。


 与那城は当時を振り返り語り出した。

「忘れもしない。最初に彼らと合ったときのこと。何せ格好がヤクザ丸出しだった。白い背広に黒のシャツに白のネクタイで髪はスポーツ刈りの男でね、そんな男が札束を詰めたボストンバッグの口を開けて、『これで土地をお譲り下さい。ワシを男にして下さい』と土下座して、親父に詰め寄った。しかし親父はヤクザを叩き出した」

与那城勇作の父与那城清は沖縄県の農家出身で、満蒙開拓団として満州(現中国東北部)の撫順市の郊外で農地の開墾に尽力していた。清は三男坊で農地を相続できなかったため、新天地の満州に人生を掛けた。

 満州で清は死に物狂いで働いた。やがて妻を娶り、女子一児を授かる。しかし日本の敗戦によって開拓した土地を失い、失意の内に日本に戻ることになる。その帰国の途において、授かった子を亡くし、夫婦は更なる失意に苛まれた。

 苦難の末、九州上陸を果たすも、沖縄に居場所はなかった清は途方に暮れる。そんな折、政府が旧満州開拓団を対象にした開拓事業の募集に応じる。満州で土地を失った清は政府に対して懐疑的であったが、しかし他に行く当てもなく致し方なく参加したのであった。それが今の農地がある千葉県冨里成田地区であった。


 土地は痩せており、風は常に吹きすさぶという農地には向いていない土地であった。それでも清は持ち前の根性で死に物狂いに働き開墾をしていった。そうした中で新たに子を授かることになる。それが勇作である。


 勇作は語る。

「親父は、それこそ朝から晩まで身を粉にして働いていた。いや、親父だけでないお袋も子育てをしながら親父の農作業を手伝っていた。そして村の皆も一生懸命に働いていた。皆が助け合って働いていた。しかしあいつらが来て、何もかもがおかしくなった。あいつら、こんな田舎に飲み屋や博打や置き屋を一杯作った。最初は誰も相手にしていなかったが、誰かが村の男ども連れて行くようになると、途端に通い続けるようになった。それで借金まみれになって、折角の土地をあいつらに明け渡さないといけなくなった。親父はこういった汚い手で土地を巻き上げていく様子は戦前の地主がやっていた手口だと言っていて、物凄く怒っていた」

アジア総合の目論見通りの展開であった。何せ娯楽が乏しいところだけに多くの者がこの泥沼に嵌るのは時間の問題ですらなかった。

 清はこのアジア総合のやり口に強い嫌悪感と警戒心を持つようになった。このように警戒しているところにアジア総合の下請けが土地を買いに来たところで叩き出されるのは当然のことであった。それだけなくアジア総合の協力者となった地元有力者からの説得にも頑なに拒むほどになっていた。清から見れば、そのような有力者たちは裏切り者にしか見えなかったのである。


 そんな清に追い打ち掛けるがごとく怒髪冠を衝く出来事が起きた。それは運輸省が突然に滑走路8本を有した巨大空港構想を発表したことである。このとき清はアジア総合が運輸省の手先であったこと知り、怒り狂った。

「何が遊園地の建設じゃ。お上はとことんワシらをバカにしておる。こうなったら意地でも土地は売らん」

清の半生を考えれば、それは当然でもあった。しかもアジア総合を使って、清から見て汚い手で用地買収を行う政府に対して怒りが爆発したのである。政府は農家を守るどころか弄んでいたということに怒りが爆発した。

 これに怒りを爆発させたのは清だけなく、取得対象地域でまだ土地を売却していなかった農家も清と同様に怒りを爆発させる。


 程なく清は集会所で反対の決起集会を開くが集会所には人が入りきれなかった。後日、小学校の体育館を借りて決起集会を行う。集まった人数は300人ほどで家にして100軒ほどであった。そこで清は訴える。

「ワシらは、散々お上に好き勝手されてきた。満州にしても、この地にしてもだ。そして国は汚い方法でワシらを借金漬けにして土地を巻き上げようとしている。これじゃ昔の地主と同じじゃ。それでワシらの仲間が次々と借金漬けにされて土地を手放してしまった。これが国のやり口か。ワシは許せん。皆もそう思うじゃろ」

清の涙ながらの怒りの訴えに聴衆は共感した。聴衆は清の言葉に涙しながら聞き入った。

勇作は語る。

「あのとき、親父の言葉で一つなりました。集まった者たちが親父と同様に満州帰りやあっちこっちの村から半ば口減らしで追い出された者たちで、人一倍苦労を持った者たちでした。それだけに親父の言葉が自分のことと思って泣いてくれたのだと思う」


 こうして、反対農民たちによる空港建設の反対運動を展開するようになった。

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