第一期着工
丹沢「あの空港の設計を白鳥君に任せて、本当に正解だった」
白鳥「先生にそういって頂き光栄であります」
丹沢「あのとき、私は大阪万博の基幹設計をしていて、空港の設計ができない状態でね。白鳥君なら間違いないだろうと思って推挙したのだよ」
白鳥「先生の推挙には本当に驚きました。こんな国家プロジェクトに僕が請け負って良いのかと思いました」
丹沢「白鳥君なら役所の無茶苦茶な要 求でもこなしてくれるだろうと思ってね」
白鳥「本当に無茶苦茶で振り回されました」
丹沢「だから白鳥君に押し付けたのだよ」
白鳥「先生、それは酷いですな」
~「国土デザイン対談」丹沢洋三・白鳥章夫対談集 より引用~
関東国際空港の旅客ターミナルビルの設計に当たって、運輸省と公団は東京五輪の屋内競技場の設計で世界的業績を上げた丹沢洋三に依頼をした。しかし当時、大阪万博の基幹設計に取り掛かっており、空港の設計ができる状態でなかった。そこで丹沢は門下であった白鳥を推挙した。
こうして白鳥は当空港の旅客ターミナルビルの設計に当たるが、数多くの問題に苛まれた。度重なる計画変更、利害関係者の調整などにより、設計が非常に難航した。
当初計画では滑走路5本で、この概略図は白鳥が請け負う前から存在しており、昭和38年運輸白書に示されていた。U字型の巨大旅客ターミナルビルが中央に配され、同様に貨物、整備、ホテルなどが集約されたものであった。
ところが運輸省が突然滑走路を8本としたため根本的に設計概要の見直しが行われる。その結果、4,000m滑走路が2本で1セット(間隔1,500m)としたものを空港の中心から四方に4セット東西南北方向に配する構成になった。
滑走路の配置を上からみれば、右卍のような構図で空港の中央部に旅客ターミナルや貨物ターミナルなどがあるレイアウトであった。(現在のデンバー国際空港がこれに近いレイアウトである。)
これは当空港が日本の玄関の役を担うだけでなく、アジア地域の玄関の役を担うことを目指したからである。そのためどの風向でも、航空機を4機の同時着陸と同時離陸を目指した
白鳥が設計で請け負うようになるのは、計画が8本滑走路になったころである。当初、白鳥は8本滑走路を前提にした設計を行っていた。しかし反対運動により、設計の見直しに迫られる。
反対運動により滑走路8本の計画が事実上とん挫、敷地の形状すら流動的なものとなる。こうして現在に至るH型の滑走路配置になるが、それまでに幾度の変更が繰り返されていた。
この敷地ですら確定されない計画に白鳥は困惑する。それでも運輸省は限界に達している羽田空港の問題を解決しなければならなかった。そこで取り敢えず確定しているところから、何期かに分けて建設することになる。
順次、柔軟に成長する空港というコンセプトで白鳥は挑むことになる。それは白鳥が提唱していたメタボリズム建築の思想そのものであった。
しかしメタボリズム建築で挑む白鳥を悩ませることがあった。それが複雑に錯綜した利害関係者たちの思惑である。
運輸省、航空会社は元より用地買収を担った京葉電鉄やアクセス用の新幹線を建設する日本鉄道、更には航空貨物を担う運輸事業者などの思惑が複雑に絡み合ったからである。
本来であれば、これらの調整は運輸省や空港公団が担う。しかし建物の具体的な配置に深く関わるため、設計者である白鳥もその調整を担わされることになった。
白鳥はこのときのことを対談で語っている。
白鳥「8本滑走路から6本滑走路となり、しかも当時において建築可能な用地に沿っての設計となったため、大きな変更を迫られましたね。ただそれ以上に大変だったのが利害関係者たちの調整でして、これには本当に難儀しました」
丹沢「確かに大変だったと思う。私も万博で関係者たちの調整をしていたから分かるよ。白鳥君の場合は、規模が万博よりも巨大で反対運動も重なっていたから、私よりも大変だったと思う」
白鳥「いや、先生の前でこういうのはおこがましいですが、本当に大変でした。ころころと計画変更していましたから、何せまだ用地が確定していない中での設計でしたから、何となく当たりを付けて設計しました」
~「国土デザイン対談」丹沢洋三・白鳥章夫対談集 より引用~
何より配慮しなくてはならなかったのが京葉電鉄であった。当空港の用地買収において中心的な役割を果たしたのが京葉電鉄であったためである。つまり論功行賞として、京葉電鉄が利益を得られるようにしなくてはならなかった。
それとは別に空港内での交通も留意する必要があった。空港利用者はもちろんのこと、空港スタッフなどの通勤手段の確保が求められる。
そこで白鳥は京葉電鉄を空港内の場内移動交通として活用することにした。これは京葉電鉄を活用することで利益をもたらすためであり、同時に空港内の移動手段の確保であった。
また空港アクセスの新幹線は計画段階で何時建設されるかは未定であった。そのため新幹線駅については、将来建設される予定の新ターミナルビルに設置するとした。
未確定で不明瞭な状況でも設計が進められて、第一期分の設計が仕上がった。第一期分の概要を纏めると次のようなる。
1.滑走路 主滑走路1本、横風用滑走路1本の計2本
2.敷地の西半分が旅客ターミナルで東半分を貨物ターミナルとし、空港の北部を整備場とする。
3.旅客ターミナルは中央に円筒型のターミナルビルがあり、周囲には5つのサテライトが配される。
4.5つのサテライトへは地下道に設置された動く歩道で結ばれる。
5.1つのサテライトには6機分の搭乗橋が設置されており、ターミナル全体で最大30機の航空機に接続できるようになっている。
6.中央のメイン旅客ターミナルは搭乗窓口の機能だけでなく、立体駐車場や京葉電鉄の駅が設置される。
7.乗り入れる京葉電鉄は延伸され、空港内ではほぼ地下を走行する。そして整備場駅、旅客ターミナルビル駅が設置される。
空港内の移動において地下道や地下路線が多いのは、航空機の移動と干渉しないようにするためある。それと同時に元炭鉱労働者の活用を図ったものであった。
こうして第一期工事が昭和42年4月に着工された。




