切り崩し
当初は反対派農民たちが団結して土地を売らないようにする程度のものであった。実際に運輸省の役人が買収交渉に来たとき、反対派農民が集まって役人を追い返すという程度のものだった。
しかしアジア総合が運輸省に代わって、改めて土地買収に乗り出すと徐々に反対派農民が切り崩され農地を売るようなる者が出てきた。その者たちは裏切り者として反対派農民からの襲撃を恐れため、アジア総合が用意した新天地に転居していった。
このときの様子を勇作は語る。
「運輸省の役人は偉そうに踏ん反り返った様子で土地を売れという態度だったので、それに皆むかついたから誰も売ろうとしなかった。しかしアジア総合は違った。最初に来たときは先に言った通り厳つい男が土地を売れという単純な話だった。しかし、アジア総合が再び土地を買う際は、あいつら人の弱みを突いてくる。そうして土地を手放す者が出てきた」
アジア総合は微に入り細を穿つものであった。程度の低いものであれば、男の天国などで借金漬けにして土地を手放させた。しかし程度の高い者たちには、土地を売ることで農業を続けるよりも明るい未来が見られるようにした。
具体的には都内の大学院生をアルバイトで雇い、空港予定地付近の中学や高校に派遣させて勉強を教えさせた。その結果、付近の中高の学生の学業成績が伸び、大学進学を意識するようになってきた。そして進路選択のタイミングで用地買収を持ち掛けた。つまり、学費捻出のためや進学で農業継承ができない事情で土地を売るように仕向けたのである。
尤も、この仕掛け自体は運輸省が8本滑走路の空港計画を発表する前から、アジア総合で行われていた。この仕込みは既に実っていて、先に大量買収した土地も、この仕込みによるものが多かった。
勇作は振り返る。
「ワシが通っていた高校に大学生が一杯やってきて、大学生たちが丁寧に勉強おしえるようになった。それで友達が成績良くなって進学するようになった。ワシは駄目だったがな」
役人と違って、アジア総合はこうした人の懐に入る工作して土地を買収していった。またアジア総合は民間企業にも関わらず、自衛隊や警察への就職斡旋までした。運輸省の役人は縦割り行政のためか、このような他省庁への就職斡旋は行う発想がなかった。
「ワシの場合、学校の先生から自衛隊に行かないかと言われたが、最初から農業を継ぐつもりでいたから関係なかった。でもワシより成績が悪い奴は陸上自衛隊に入って北海道に行ったようだ。それでその家も農地を売った」
こうした甘く優しい工作活動もあれば、汚い工作活動も行ったとされる。それは農作物を荒らす害虫の散布であった。勇作は怒りをこみ上げながら、そのときの様子を語った。
「あいつらは買い取った土地で虫をばら撒いた。買った土地なら何をしてもいいという理屈でね。でもそれをされると、虫が湧いてこっちの畑にも虫が移って畑が荒らされる。あいつらそれを見越して、そういう嫌がらせをした。正しく外道の所業。それで残っていた畑が虫にやられてしまった。それで降参して、あいつらに畑を売る人が出た。とにかく悔しかった。それでもワシは何とか生き残った」
これに対して、当時アジア総合の実質的トップであった石山は否定している。実際のところは闇の中ではあるが、この害虫散布によって農業を諦めて土地を売却するようになったことは事実であった。
こうしたアジア総合の切り崩しよって、当初100軒ほどあった反対農家は50軒ほどになってしまう。これに対して、残った反対農民たちはより一層の団結をして対抗することになった。
とにかく彼らは、土地買収交渉に訪れたアジア総合の交渉担当者や虫を散布する者たちを見つけると、直ぐさまに集結して数の力で追い返すといったことを繰り返した。
ただ、ここまでは素人的な方法で反対運動であり、農作業をしながらの運動では限界もあった。そこに反対運動に協力する者が出てきた。それが日本労農党である。




