説得
井出は話を続けた。
「東京は過密です。弊社も通勤ダッシュ時には大量の乗客をすし詰めにして運んでいます。このまま人が集まれば、すし詰めも無理になるでしょう。何も弊社だけではありません。このまま人が東京に集まれば、人で溢れて東京が麻痺してしまうでしょう」
このとき日本は高度経済成長期で地方から大量の人々が大都市に集まっているときであった。とりわけ首都圏への人の流入は凄まじいものがあり、都市インフラの能力を超える事態なっていた。
住環境の悪化、土地代の急騰、通勤地獄、学校の不足、大気汚染と数え上げればきりがない状態で、もはや限界を超えていた。
これを打開するために政府は教育や研究機関を東京から別の地へ移転させる計画を持つようになる。それが筑波に新都市を建設して、移転させるものであった。
料亭での会合時には、それはまだ伏せられていたもので世に公開はされていなかった。
しかし井出は独自の情報網から、その情報を仕入れていたようであった。そして井出はより進めて、遷都を砂岡に提案したのである。
砂岡は言う。
「井出社長、話が大きすぎる。国家機関を移すとなるとね」
砂岡は井出の話に呆れた様子を隠さない態度で話した。それに対して井出は静かに返す。
「数年前でしたでしょうか、富士の樹海に新首都を建設するという話がありましたよね。それに比べれば、こっちの方が現実的です」
「まあ、確かに、しかしあの話は一部の物好きが勝手に言っていた話、政府の見解ではありません」
砂岡は尚も呆れた様子を隠さない。しかし井出は意に介さない。
「ええ、その通り。ただ東京の過密を解消しなければ、東京が麻痺してしまうのは必至。現にそこかしこで問題が噴出している」
砂岡は、そんな分かり切った話をされて詰まらなそうな表情を隠さない。
それで政府が行おうとしている弥縫策を話す。
「まあ、東京への人口流入を抑えるため、田舎に税金をばら撒くことを考えています。ばら撒いた税金で地方が食べていければ、東京への流入も収まるでしょう」
井出はすかさずに言う。
「先生は、それに納得されておられるのですか。田舎に税金をばら撒いても、地方出身の議員や田舎の豪族は喜ぶでしょうが、先生が得られる利権は小さいですよ」
このとき砂岡の目が鋭くなった。井出はそんなこと意に介さず、
「巨万利権は田舎でなく、金を生み出す都会でしょう。それに当たり前すぎて、夢がないでしょう」
砂岡は鋭い視線を井出に向ける。
「確かに社長言う通り。都会の方が金になる。ましてや首都移転となれば利権は莫大。しかし政府を動かすとなると、そう簡単ではない。ましてや皇居を移すとなると」
砂岡は面倒臭い表情を浮かべて言う。それでも井出は話を続ける。
「戦前、皇居を多摩あたりに移転させる話があったじゃないですか。戦争で話がなくなりましたが。だから皇居の移転なんて、特段変な話ではないでしょう」
「確かに変な話ではないが」
「今、東京は毎日のように光化学スモッグ警報が出ています。天皇陛下を光化学スモッグに晒させるなど、不敬の極みと思いませんか」
砂岡は今までにない厳しい目つきで
「もうよろしいでしょう。社長おっしゃることは分かりました。確かに首都を変えなくてはならない」
砂岡は堰を切ったように井出を制した。
井出は温厚な表情と声色で話す。
「ご理解、頂けて嬉しいです。もちろん砂岡先生を全面的に支援します。どの道、弊社が新しい線路を建設するに当たっては先生の会社に請け負って貰いますし、元よりグループ会社の警備もして貰っていますが、弊社の規模が大きくなれば当然守る場所が増えますから、その分の警備もお願いすることになります」
「それであれば、総理を始めとした重鎮の方々に話をすることができます」
総理や政界の有力者たちと話をするには、土産が必要であるのは常識であるため、土産代を京葉が出すという話だった。
次に世論工作の話に移る。
「そうして頂きますと助かります。尚、世論工作も行っていきます。世論の盛り上がりがないと遷都なんて、大きなことはできませんから」
「確かにそうですな。世論の支持がなければ、議員が動きませんし予算も付けられませんからな」
「その工作活動は、この市村がします。学者、新聞社、最近ではテレビなどに働きかけます。その際、市村が頼み事することがあるかと思います。そのときはご助力のほど、お願いします」
市村が深々と頭を下げる。その姿を見た砂岡は
「もちろん」
と、快諾した。そして場の緊張感がなくなった。
和やか中で会食も進み、砂岡は井出に尋ねた。
「それにしても、いつそんな遷都など大胆なことを思いつかれたのですか。昨日今日ではないでしょう」
「空港の用地買収の話が来たときからです」
井出は平然と答えた。
「随分と早い時期ですな」
「弊社の電車も無理が出ていますからね。そこに空港建設の話が来た。では、その近くに首都を移せば丁度いいだろうと思った訳です」
「なるほど」
「そうでなければ、あんな大量の土地をアジア総合に買わせはしません。適当なところで止めまさせます。尤も空港計画が当初よりも巨大化したことには、流石に驚きましたがね」
「では、新幹線ができることも見越していたと」
「見越していたというより、造るように働き掛けようかと思ったくらいです」
「ほう」
砂岡は井出の意外な回答に僅かにではあるが驚いた。そして、その場にいた砂岡以外の出席者たちも驚いた表情をした。
「何せ、首都ですからね。新幹線は必要でしょう」
井出は当たり前のように言った。
「なるほど。それで首都を移せば、空港への連絡線よりも儲かると」
砂岡は意地の悪い微笑を浮かべる。それに対して井出は
「確かに連絡線よりも儲けることが出来ますが、それだけが動機ではありません」
「ほう。それでは何が動機なのですか」
砂岡は井出の真意に興味を持ったのか、身を乗り出して訊く。
井出は、箱庭で遊ぶ子供のような表情で
「遷都には日本の明るい未来があるじゃないですか。それをしたいだけです。まあ酔狂です」
こうして新東京構想が動き出した。




