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【第2話①】剣と魔法とクラウド保存

「カタカタカタカタ……ッターン!」


「……」


 薄暗い、木造りの酒場。


 壁には紋章入りの旗と、交差した剣。掲示板には羊皮紙の依頼書がびっしり貼られ、昼間からエールを呷る冒険者たちがいる。


 どこからどう見ても「冒険者ギルド」な空間。


 そこに、場違いな高速タイピング音が響いていた。


 音の主は、白ヒゲをたくわえた鎧姿の初老の男。腹の肉が鎧の隙間から堂々とはみ出しているが、肩と腕は現役のそれだ。


 このギルドを仕切る、ギルドマスターである。


 見た目は暑苦しいおっさん。中身もたぶん暑苦しいおっさん。なのに目の前には、なぜか年季の入ったキーボード。


「おい、親父」


「あぁ?」


「おかしいと思わないか」


「何がだ」


「この世界、剣と魔法のファンタジーだよな」


「そうだな」


「なんでパソコンのキーボード叩いてんだよ」


 カウンター越しに、今日で百回目のツッコミを入れる。同じ問答を百回続けている時点で、おかしいのはたぶん俺のほうかもしれない。


「あぁ? 何言ってやがる、ああああ。冒険者のデータ管理に決まってんだろ」


「データ管理」


「受注履歴、討伐数、報酬の支払い、ランク昇格。全部クラウドにバックアップ取らねぇと、本部に怒られんだよ」


「クラウド」


「先月、隣町のギルドが手書き台帳を火事で燃やしてな。マスターが本部に三時間説教された挙句、始末書をデータで提出させられたらしい」


「……説教より、データ提出のほうが地獄だろ。あの世代には」


「だろ? うりゃ、会心のッターン!」


 人差し指を高々と振り上げ、エンターキーに全力で叩きつける。


 バァンッ!


 カウンターが震え、ジョッキが跳ね、近くの冒険者が肩をびくつかせた。


 キーボードは、無傷である。


「……なんで壊れねぇんだ、あれ」


「ミスリル製だからな」


「キーボードに使う素材じゃねぇんだよ。世界の貴重な鉱石の使い道、絶対に間違えてるだろ」


 深く考えるのは、もうやめた。考えるだけ、精神が削れる。


 この世界に放り込まれて、数ヶ月。最初は、いちいち混乱した。


 なぜ魔法陣の横に充電器があるのか。なぜ宿屋がポイントカードを勧めてくるのか。なぜ教会の懺悔室に「録音中」の札があるのか。


 剣と魔法の王道ファンタジー。そう見せかけて、この世界にはところどころ、現代文明の残骸が混ざっている。


 神の趣味が悪いのか、世界がバグっているのか。


 どちらにせよ、俺の名前が「ああああ」の時点で、まともな世界でないことだけは確定している。あの百円のクソゲーに名前を打ち込んだ夜から、俺の常識はずっと、置き去りのままだ。


 そして、この数ヶ月で学んだ最重要事項がひとつ。


 ――【勇者】の称号は、絶対に表に出さないこと。


  あの筋肉神のせいで、俺のステータスには、本当にそれが刻まれている。能力値もおかしい。荷物を運べば荷馬車ごと浮きかけるし、初級魔法も、加減を間違えれば地形が変わる。


 石橋を叩いて渡るのが信条の俺としては、自分の足元が、叩く前から崩れそうな規格外スペックというのは、控えめに言って心臓に悪い。慎重に生きたいのに、生まれ持った装備が慎重を許してくれない。


 この世界の「勇者」は、希望の星であると同時に、極上の獲物だ。


 王国は外交カードに。教会は広告塔に。本部は実績に。貴族は派閥に使いたがる。


 冗談ではない。俺は神様公認の、筋金入りのぼっちだからな。組織に担がれて笑顔で手を振る人生なんて、想像しただけで蕁麻疹が出る。


 だから表向きの俺は、Eランクの駆け出し冒険者「ああああ」。薬草を摘み、ゴブリンに適度に手こずったフリをして、迷子の猫を探す。


 地味に、目立たず、平穏に。それが、俺の生存戦略だ。


 ……戦略としては完璧なのだ。問題は、規格外のスペックが、地味な仕事ほど隠しきれないことくらいで。


 ギルドマスターが帳面――ではなく、ミスリル製キーボードを叩いているあいだ、俺は自分の財布を開いた。


 銅貨が数枚。


 以上。


 ……以上、である。


 寂しすぎる中身の隅で、先日、川辺で拾ったまんまるい石ころが、ころりと音を立てた。


 手のひらに収まるくらいの、妙にすべすべした石ころだ。値打ちなんてなさそうだが、握ると、なぜか少しだけ手になじむ。


 金はない。運もない。名前も変えられない。


 ならせめて、お守りくらい入れておいても、罰は当たらないだろう。


 ちなみにその石ころを拾った帰り道、森の外れで、やたら大きい羽つきトカゲに絡まれた。


 分類は知らない。知りたくもない。


 あれを正式名称で呼んだ瞬間、俺の平穏なEランク生活が終わる気がするからだ。


 崖際まで追い詰められ、半泣きで放った初級魔法が、なぜか崖の一部ごと吹き飛ばした。


 おかげで、命からがら助かった。


 勝った、わけではない。

 死ぬかと思った末に、たまたま生き延びた。それだけだ。


 俺は何も見なかった。


 魔物も見なかった。


 削れた崖については、自然災害ということで処理してほしい。


 現在の俺の全財産は、銅貨が数枚と、この石ころ一個。


 ……我ながら、泣けてくるラインナップだ。


 ……なのだが。


「で、今日の納品はそれだけか?」


「あぁ、ゴブリン三体ぶんの討伐証明と――」


 俺は革袋を逆さにした。


 耳が、ぽとぽととカウンターに転がる。


 その最後に、革袋の縫い目に引っかかっていた何かが、ぴん、と外れた。


 緑がかった、大きな鱗だった。


「…………」


「…………」


 ……しまった。


 俺は鱗を見下ろし、そっと目を逸らした。


 あの羽つきトカゲもどきは、どうやら俺の革袋に、思い出したくもない証拠品を引っかけていったらしい。


 なかったことにして逃げ帰ったのに。

 証拠だけが、後から追いかけてきた。


 石橋を叩く男の革袋から、叩いた覚えもない――いや、叩いた瞬間に崩落した橋の破片が出てきた格好である。


 平穏なEランク生活は、いつもこういう、小さなミスから崩れていく。


挿絵(By みてみん)


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