第4節:能力転移
白髪交じりの老人との会話は、なぜか驚くほど弾んだ。冷たく湿った牢屋の中だというのに、不思議と居心地が悪くなかった。
「オホホ、お前さんはこの世界の人間ではないんじゃな」
老人は皺だらけの顔をほころばせながら言った。その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥に溜まっていた不安が少しだけ軽くなる。
ようやく信じてくれる人に出会えた。俺は身を乗り出した。
「じいさん、さっき自分は魔法使いだって言ってたよな? 何の魔法を使うんだ?」
老人は一瞬だけ口を閉ざした。何かを迷うような沈黙。
だが、やがて小さく息を吐く。
「……もう長くは生きられんからな」
そう呟くと、老人は諦めたように笑った。
「わしは記憶を司る魔法使いじゃ」
思わず目を見開いた。本物の魔法使い。異世界に来てから散々振り回されてきたが、まさか実際に会えるとは思わなかった。老人はゆっくりと続ける。
「人の記憶を覗き、消し、書き換える。そういった力を持っておる」
「すげぇ……」
思わず声が漏れた。すると気になっていたことを聞いてみる。
「魔法って、やっぱり呪文とか唱えるのか?」
老人は首を横に振った。
「そんなものはない」
「え?」
「ただし、制約はある」
そう言うと老人は口を閉ざした。どうやらそれ以上は話すつもりがないらしい。
「そっか……」
少し残念だったが、それでも異世界の話は面白かった。俺たちは時間を忘れて話し続けた。
気付けば牢屋の小窓から差し込む月明かりが薄くなり、深夜零時が近付いていた。
「もう寝るかのう」
「ああ」
会話を終え、それぞれ横になる。硬い床に背中を預け、俺は目を閉じた。
その時だった。
「ウオオオオオオオオオオオッ!!」
隣の牢屋から凄まじい絶叫が響いた。俺は飛び起きる。
「じいさん!? どうしたんだよ!」
鉄格子に駆け寄る。老人は床の上でのたうち回っていた。全身を痙攣させながら苦しそうに喉を震わせている。その異変に気付いたのか、廊下の奥から近衛兵たちが駆け込んできた。
だが、その時。老人の身体から何かが飛び出した。
――黒い影だった。まるで闇そのものが形を得たような存在。
龍にも蛇にも見える巨大な影が、ゆらゆらと空中を漂っている。その姿を見た瞬間、全身の毛が逆立った。
(な、なんだ……あれ……)
だが、近衛兵たちは誰一人として反応しない。老人だけを見えている。まるでその影が見えていないかのように。
次の瞬間。黒い龍のような影がゆっくりとこちらを向いた。金色にも見える双眸。俺と目が合った。
ゾクリ――
背筋に氷を流し込まれたような悪寒が走る。逃げなければ。そう思った。だが身体が動かない。
影は音もなく近付いてくる。
そして――俺の口の中へ飛び込んだ。
「がっ!?」
喉の奥を何かが通り抜ける感覚。胃の底まで冷たいものが落ちていく。激しい吐き気が込み上げた。
「おぇっ……!」
その場で何度も嗚咽する。しかし何も出ない。
近衛兵たちはそんな俺を気にも留めず、老人の様子を確認していた。
やがて一人が呟く。
「……死亡を確認した」
老人は死んだ。だが、その直後。
ドクン――心臓が大きく脈打った。
全身の血管を何かが駆け巡る。熱いような、冷たいような、不気味な感覚。
(なんだ……これ……)
頭の奥にノイズが走る。
知らない景色。
知らない人々。
知らない記憶。
それらが洪水のように流れ込んできた。
(まさか……じいさんの記憶!?)
次々と映像が脳裏を駆け抜ける。
耐えきれない。
意識が遠のいていく。
そして俺は、そのまま闇の中へ沈んだ。
◇
目を開けると朝だった。薄い朝日が牢屋の中へ差し込んでいる。
「しまった……寝ちまったのか……」
身体を起こそうとした瞬間、頭の奥に微かな違和感が残っていることに気付く。
昨夜の出来事は夢ではない。
そう確信した。
ガシャン。
鉄格子の前に近衛兵が立った。無表情のまま俺を見下ろしている。
「連行の時間だ」
腰の剣を鳴らしながら言う。
「来い」
その一言に、俺の背筋は再び冷たくなった。




