第3節:開廷
「被告人、佐藤よ。お前を国内憲法第一条に基づき、魔法使いとして裁くよーい」
法廷の中央に響き渡る声。俺はゆっくりと顔を上げた。
裁判官席には巨大なフクロウが座っている。
黒い法服を身にまとい、金色の瞳をぎょろりと光らせていた。その視線は裁判官というより、獲物を観察する猛禽類そのものだった。
まるで俺の価値を値踏みしているかのように見下ろしてくる。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。なぜなら俺は魔法使いではない。
というか――
そもそもこの世界の住人ですらない。昨日まで日本で暮らしていた、ごく普通の社会人だ。
「俺は魔法使いじゃない! 無実だ!」
思わず立ち上がりそうになる。法廷中に俺の声が響き渡った。
しかし。誰も驚かなかった。
傍聴席に座る人々は冷めた目でこちらを見ている。
老人も。
若者も。
兵士も。
誰一人として動揺していない。まるで何度も聞いた台詞を聞かされているような反応だった。
(なんだよ、その目……)
背筋に冷たいものが走る。その視線はまるで――
『またか』
そう言っているようだった。フクロウは大きな翼を組みながら首を傾げる。
「お前が魔法使いではない証拠はあるよーい?」
証拠。その言葉に俺は固まった。
証拠?
突然異世界に放り込まれた人間に、そんなものがあるはずがない。
だが何か言わなければ終わる。このままでは本当に死刑になる。
俺は必死に頭を回転させた。脳みそが焼き切れそうなほど考える。
そして口から飛び出したのは――
「お、俺はこの世界の歴史を知らない!」
法廷が静まり返った。一瞬。
本当に誰も動かなかった。全員が俺を見ている。
そして次の瞬間。
「それはあり得ないよーい!」
ドンッ!!
フクロウが机を叩いた。羽がぶわっと広がる。
「そんなもの証拠にならないよーい!」
しまった。言った本人ですら苦しいと思う。
だが本当なのだから仕方がない。俺は昨日まで日本で働いていた社会人だ。
異世界の歴史なんて知るわけがない。知っていたら逆に怖い。
その時だった。被告席の横に立つ女性が静かに法典を開いた。
分厚い本だった。俺の頭を殴った凶器でもある。
褐色の肌。
長いドレッドヘアー。
切れ長の瞳。
銀縁眼鏡の奥から覗く視線は氷のように冷たい。彼女は感情を一切込めずに読み上げる。
「国内憲法第一条」
法廷の空気が張り詰めた。ページをめくる音だけが響く。
「魔法使いは国家の敵であり、その存在を認めない」
淡々とした声。まるで当たり前の法律を読み上げているだけだった。
さらにページをめくる。
「魔法使いと認定された者は、例外なく死刑」
俺は耳を疑った。
「……は?」
女は無表情のまま続ける。
「魔法使いは、この世界に災厄をもたらした忌むべき存在です」
待て。
待て待て待て。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
それだけで死刑?
弁護人は?
証拠は?
反論の機会は?
人権は?
俺が知っている裁判と何もかも違う。
これは裁判ではない。
処刑のための儀式だ。
フクロウは満足そうに頷く。
そして木槌を高々と掲げた。
「判決を言い渡すよーい」
嫌な予感しかしなかった。いや、もう結果は分かっている。
それでも心のどこかで期待していた。もしかしたら。
何かの間違いだと。
「被告人、佐藤」
木槌が振り下ろされる。
バンッ!!乾いた音が法廷に響いた。
「有罪」
その瞬間。世界が止まった気がした。
「明日、死刑を執行するよーい」
――は?
思考が真っ白になる。言葉の意味が理解できない。
理解したくない。だが現実だった。
「なんでだよ!」
気付けば叫んでいた。
声が裏返る。
「俺は何もしてないだろ!」
怒りと恐怖が爆発する。しかし誰も反応しない。
まるで当然の結果を見ているような顔だった。
その時。背後から青白い光が広がる。
床に巨大な魔法陣が浮かび上がった。複雑な紋様が次々と広がり、足元を覆い尽くす。
「しまっ――」
逃げようとした瞬間だった。体が動かない。
見えない鎖が全身を拘束する。指一本動かせない。
ロロが肩をすくめた。
「お兄さん、往生際が悪いよ」
どこか呆れた口調だった。
「離せ!」
必死にもがく。筋肉に力を込める。
だが拘束はびくともしない。魔法陣は鉄鎖以上に強固だった。
「離せぇぇぇぇぇ!!」
叫び声だけが虚しく法廷へ響く。
誰も助けてくれない。誰も同情しない。
こうして俺は、そのまま牢獄へ連行された。
◇◇◇
牢屋の中は冷え切っていた。
石壁には苔が生え、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。薄暗い通路には小さな松明が並んでいるが、明かりとしては心許ない。
どこかで水滴の落ちる音が響いていた。
ぽたん。
ぽたん。
その音だけが妙に耳に残る。俺は牢屋の床へ座り込んだ。
頭を抱える。
「なんで俺なんだ……」
掠れた声が漏れる。誰に聞かせるでもない独り言。
「俺は何もしてないのに……」
返事はない。当然だ。
明日になれば死ぬ。
異世界へ来て二日目。そして死刑。
そんな馬鹿な話があるか。
「死にたくない……」
震える声が石壁へ吸い込まれていく。
その時だった。
「お前さんも死刑かの」
隣から老人の声が聞こえた。俺は顔を上げる。
鉄格子の向こう。薄暗い牢の中に一人の老人が座っていた。
白髪混じりの長い髭。痩せ細った身体。
着古した囚人服。
だが。その目だけは違った。
まるで燃え続ける炭火のような強さが宿っている。
「この世界は生きにくいじゃろう」
老人は苦笑した。
人生を諦めたような笑みではない。どこか達観した笑みだった。
「わしも魔法使いじゃ」
「……え?」
思わず聞き返す。老人は足元を見下ろした。
そこには俺と同じ魔法陣が浮かんでいる。
青い光が淡く揺れていた。
「本来なら簡単な火の魔法くらい使えるんじゃがな」
老人が指を動かそうとする。しかし何も起こらない。
「この拘束陣がある限り何もできん」
そう言って空を見上げた。小さな格子窓から月明かりが差し込んでいる。
「わしも明日死刑じゃ」
重い言葉だった。だが老人は笑っていた。
なぜ笑えるのか分からない。死を目前にした人間とは思えなかった。
「だからこそじゃ」
「え?」
老人はゆっくりとこちらを見る。そして穏やかに笑った。
「最後くらい胸を張って生きようではないか」
優しい声だった。静かな声だった。
だが不思議と力があった。その姿に、俺は言葉を失う。
死を受け入れた者の強さ。
それを初めて見た気がした。そして、その夜。
牢獄の窓から月明かりが差し込む。
死刑執行まで残り二十四時間。




