第2節:魔法使い裁判
十歳くらいの金髪の少年が、ぞっとするような笑みを浮かべた。
年相応の幼さが残る顔立ち。透き通るような青い瞳。
整った容姿だけ見れば、どこにでもいる無邪気な子供に見える。だが、その目だけは違った。
氷のように冷たい。まるで人ではなく獲物を見る狩人の目だった。
少年は拘束された俺を見上げながら、ゆっくりと口を開く。
「お兄さん――魔法使いの気配がするよ」
背筋に冷たいものが走った。
俺は思わず声を荒げる。
「ち、違う! 俺は魔法使いなんかじゃない!」
必死だった。
そもそも俺は、この世界の人間ですらない。気が付けば見知らぬ街にいて、訳も分からないまま追い回され、捕まっただけなのだ。
魔法使いも何もない。俺自身が何も分かっていない。
「俺は別の世界から来たんだ!」
鎖に縛られたまま叫ぶ。
「魔法なんて使えない!」
必死に訴える。だが少年は眉一つ動かさなかった。
まるで何度も聞いた言い訳を聞かされているかのような顔だった。罪人を見る目。
その視線に含まれる疑念は微塵も揺らがない。
「言い訳は裁判所で聞くよ」
静かな声だった。だからこそ余計に怖い。
少年の口元がゆっくりと歪む。背筋が凍りついた。
「お前を魔法使い裁判に連れて行く」
まるで決定事項を告げるだけの口調。そこに感情はなかった。
そして――
「魔法使いの罪は、死刑だからね」
今日の天気でも話すかのような軽さで言った。
ドクン――
心臓が嫌な音を立てた。
「な、なんでだよ……!」
思わず叫ぶ。
恐怖と混乱が入り混じる。
「どうして魔法使いがそこまで嫌われてるんだ!?」
少年は怪訝そうに眉をひそめた。本気で理解できないと言わんばかりの顔だった。
「知らないふりをしても無駄だよ」
冷たい瞳が俺を見据える。その目には疑いしかない。
俺が何を言おうと信じるつもりはないのだろう。
「さあ、行こうか。裁判所へ」
少年がそう告げると、俺の足元の魔法陣が淡く光った。
逃げ場はなかった。
◇◇◇
数時間後。
俺は巨大な白亜の建物の前に立たされていた。空へ向かって伸びる何本もの巨大な石柱。
白い大理石で造られた壮麗な外壁。その威容は神殿を思わせた。
パルテノン神殿をさらに巨大化したような圧迫感。だが、その荘厳な景色を楽しむ余裕など俺にはなかった。
両手両足には青白い魔法陣が浮かび上がっている。鎖は見えない。
だが確実に拘束されていた。途中、一度だけ逃げ出そうとした。
だが一歩踏み出した瞬間。
全身に凄まじい激痛が走った。まるで無数の針を身体の内側から突き刺されたような痛み。
「がぁぁぁぁっ!」
その場に倒れ込み、のたうち回ることしかできなかった。
逃亡は不可能。
そう理解させられた。
門の両脇には重厚な鎧を着た近衛兵が立っていた。磨き上げられた銀色の甲冑。
腰には長剣。歴戦の兵士という雰囲気だ。
「魔法使いを連れて来た」
近衛兵の視線が俺へ向いた。
その瞬間だった。男の顔色が目に見えて変わる。
血の気が引く。まるで化け物を見たような目。
本能的な恐怖。そんな感情がありありと伝わってきた。
「……分かった」
兵士は震える声で答えた。それだけだった。
だが俺は余計に怖くなった。ここまで怯えられる理由が分からない。
魔法使いとは一体何なのか。なぜそこまで恐れられているのか。
誰も教えてくれない。やがて巨大な扉が開かれる。
ついに――魔法使い裁判が始まる。
そう思った瞬間、人生最大の緊張が押し寄せてきた。
死刑かもしれないのだ。緊張しない方がおかしい。
だが。裁判所の中に入った瞬間。その緊張は別の意味で吹き飛んだ。
「また捕まえてきたの、ロロ」
声を掛けてきたのは一人の美女だった。
褐色の肌。
長いドレッドヘアー。
知的な印象を与える銀縁眼鏡。切れ長の瞳。抜群のスタイル。
見た目だけなら誰もが振り返る美人だった。
だが問題は別にある。彼女の手に握られていた本だ。
異常に分厚い。辞書どころではない。
鈍器だった。百科事典を何冊も重ねたような厚みがある。
本というより武器に近い。
(あいつ、今『ロロ』って言ったよな……)
俺は隣の少年を見る。なるほど。
こいつの名前はロロらしい。美女と目が合った。
その瞬間。
嫌な予感がした。
本能が警鐘を鳴らす。
「へ?」
間抜けな声が漏れる。
次の瞬間だった。
ゴッッッ!!!
空気を裂く勢いで振り下ろされた分厚い本が、俺の頭頂部へ直撃した。
「がぁっ!?」
鈍い衝撃音が響く。視界が真っ白になった。
星が飛ぶ。いや、本当に飛んだ気がした。
頭蓋骨が割れたんじゃないかと思うほど痛い。というか意識が飛ぶ。
俺はそのまま床へ崩れ落ちた。
◇◇◇
暗闇だった。何も見えない。
上も下も分からない。ただ黒だけが広がっている。
そんな闇の中で――声が聞こえた。
「あなたは、なぜこの世界に来たの?」
女の声だった。優しいような。
悲しいような。不思議な響き。
「来たかったわけじゃないのにね」
どこか寂しそうな声音だった。胸の奥が妙にざわつく。
(誰だ……?)
姿は見えない。だが不思議と懐かしかった。
初めて聞くはずなのに。どこかで知っている気がする。
(おい……誰なんだよ……)
問い掛ける。しかし返事はない。
闇だけが広がる。その代わり。
急激に意識が浮上し始めた。
まるで深海から一気に引き上げられるように。
◇◇◇
パチリ、と目を開く。
「うっ……」
鈍い頭痛が残っていた。気付けば俺は法廷の中央に座らされていた。
観客席がぐるりと周囲を囲んでいる。高い天井。
磨き上げられた石床。荘厳な空気。
いかにも裁判所らしい光景――だったのだが。
「……なんだアレ」
思わず声が漏れた。
裁判官席。
その一番高い場所に。
巨大なフクロウが座っていた。
身長は二メートル近い。黒い法服まで着ている。
完全に裁判官スタイルだ。夢かと思った。
だが頬をつねる。痛い。
めちゃくちゃ痛い。現実らしい。
フクロウは厳かな動作で木槌を持ち上げた。
そして――
「ホウホウ!」
妙に陽気な声を上げる。
緊張感が吹き飛びそうになる。
「これより魔法使い裁判を始めるよーい!」
カンッ!
木槌が高らかに鳴り響いた。
その瞬間。ざわついていた法廷が水を打ったように静まり返る。
そして全員の視線が、一斉に俺へ突き刺さった。




