表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第5話 侵入者


 最初に気づいたのは、チーズだった。


 バイト十四日目の朝。ケンが保管庫で光粉の在庫を数えていると、工場の裏手からチーズの吠え声がした。


 ただし、いつもの警戒音とは違う。


 緊張した吠え声ではなく——困惑したような、少しとぼけた吠え声だった。


 ケンは手を止めて、裏口に向かった。




 裏口のドアを開けると、工場の裏手の草むらにチーズがいた。


 草むらを向いて、吠えている。


 ケンはチーズの視線の先を見た。


 草むらの中に、何かがいた。


 丸い頭。ハートの模様。鮮やかな色のリボン。


 ケンはその姿に見覚えがあった。


「……ドキンちゃん」


 草むらの中の人影が、びくっと震えた。


 それからゆっくり立ち上がって、草の葉を頭から払いながら言った。


「み、見てたの?」


「今見ました」


「いつから」


「今です」


「本当に?」


「本当に今です」


 ドキンちゃんはケンをじっと見た。疑っている目だ。でも、どこか居心地が悪そうにもしている。


「何をしていたんですか、草むらで」


「べ、別に。散歩よ散歩」


「工場の裏手の草むらで」


「そう。散歩」


 ケンはドキンちゃんの足元を見た。草むらに踏み込んだ跡がある。工場の裏口に向かう方向に。


「散歩の方向が、裏口に向かっていますが」


「気のせいよ」


「気のせいではないです」


 ドキンちゃんが頬を膨らませた。


「なんなのよ、あなた。初めて会うのに失礼ね」


「初めまして。鈴木ケンです。ここでバイトをしています」


「知ってる」


「知っていたんですか」


「バイキンマンから聞いた。工場に変な人間が来たって」


「変な人間」


「変な、というのはバイキンマンの言い方よ。私はそう思わないけど」


 ケンは少し考えた。


 バイキンマンがケンの存在を認識している。それは第五話でカレーパンマンが目撃した黒い機体の話と合わせて考えると、少し気になる情報だった。


 でも今は、目の前の問題が先だ。


「バタコさんに報告しなければいけませんが」


「ちょっと待って」


 ドキンちゃんが一歩前に出た。


「報告しないでくれない?」


「なぜですか」


「バタコさんに見つかったら、怒られるもの」


「当然じゃないですか。敵の幹部が工場に侵入しようとしていたんだから」


「侵入なんてしてない。ただ——」


 ドキンちゃんが少し口ごもった。


 それからぷいと顔を逸らして、言った。


「さんちゃんのジャムが食べたかっただけよ」


 ケンは止まった。


「さんちゃんの」


「地下にいる子たちのジャムよ。さんちゃんが作るイチゴジャム。あれが美味しくて——前に一度もらったことがあって」


「前に?」


「ずっと前よ。まだあなたが来る前。地下の子たちと私、少し話したことがあるの。チーズが追い払う前に」


 ケンはチーズを見た。チーズはドキンちゃんをじっと見ていたが、尻尾の動きが最初より穏やかになっていた。


「追い払ったのに、また来たんですか」


「だって美味しかったんだもの」


 直球だった。


 ケンはしばらく考えた。


 バタコさんに報告するべきだ。それは間違いない。ドキンちゃんはバイキン帝国の幹部で、情報を持ち帰る可能性がある。


 ただ——


「さんちゃんのジャムをもらいに来ただけ、というのは本当ですか」


「本当よ。信じないの?」


「信じるかどうかより、確認したいんです」


「何を確認するのよ」


「バイキンマンに頼まれて来たのか、自分で来たのか」


 ドキンちゃんが、少し動きを止めた。


 その止まり方が、答えだった。


「……自分で来た。バイキンマンは知らない」


「工場の情報を持ち帰るつもりは?」


「ないわよ。ジャムが目的なんだから」


「工場の内部を見るつもりは?」


「ない。裏口から入ってさんちゃんのところに行って、ジャムをもらって帰るだけ」


「それだけですか」


「それだけよ」


 ケンはもう一度考えた。


 嘘をついている様子はない。ドキンちゃんのキャラクターとして、純粋にジャム目的という可能性は十分ある。


 でも、報告しないわけにもいかない。


「わかりました」


「報告しないでくれる?」


「報告はします。ただ——」


 ケンは裏口のドアを開けた。


「さんちゃんに直接聞いてから決めます。入っていいですよ」


 ドキンちゃんが目を丸くした。


「……入っていいの?」


「さんちゃんがいいと言えば。だめと言えば帰ってもらいます」


「それって——」


「さんちゃんが判断することです。俺が決めることじゃない」




 地下室に降りると、さんちゃんは本体の傍でジャムの瓶を並べているところだった。


 ケンとドキンちゃんを見て、目を丸くした。


「ドキンちゃん……! 久しぶり」


「久しぶり。さんちゃんのジャム、また食べたくて」


「本当に? 嬉しい」


 さんちゃんが棚から瓶を一つ取り出した。イチゴジャムだ。ラベルに手書きで日付が書いてある。


 ワンさんがケンの横に来た。


「ケンさん、これは——」


「バタコさんへの報告はします。でもさんちゃんが会いたいなら、それはさんちゃんが決めることだと思いました」


 ワンさんは少し考えて、頷いた。


「……わかりました。ドキンちゃん、ここでは工場の内部の話は聞かないでください」


「わかった。ジャムだけもらえればいいから」


「それならいいです」


 ごちゃんがすかさずノートに書いた。


「記録します。ドキンちゃん来訪、目的:イチゴジャム」


「記録するの?」


「記録は正確に」


 ドキンちゃんが苦笑いした。


 さんちゃんがジャムの瓶をドキンちゃんに渡した。ドキンちゃんはその場でスプーンを使ってひと口食べて——目を細めた。


「美味しい」


「今年の春に作ったの。甘さを少し抑えてみた」


「正解よ。去年より好き」


「本当に? よかった」


 さんちゃんが嬉しそうにした。


 ケンはその横でぼんやりと思った。


 なんだこの状況は。


 バイキン帝国の幹部が、工場の地下でイチゴジャムを食べている。


 地下には巨大な食パンが鎮座している。


 スライス隊が周りで記録をとったり掃除をしたりしている。


 普通じゃない。でも——なんとなく、成立している。




 地下から戻ると、バタコさんに報告した。


 一通り聞いて、バタコさんはため息をついた。


「また来たの、あの子」


「また、ということは以前も」


「一度だけ、チーズに追われて逃げてったのを見てた。まさかジャム目当てだったとは」


「さんちゃんが渡してしまいました」


「渡したの」


「嬉しそうに」


 バタコさんがもう一度ため息をついた。でも、怒っている顔ではなかった。


「……情報を持ち帰った様子は?」


「地下にいた間、工場の話は一切しませんでした。ワンさんも確認しています」


「そう」


「今後どうするかはバタコさんとジャムおじさんに判断をお任せします。俺は報告だけ」


「判断を丸投げするのね」


「俺の権限じゃないので」


 バタコさんは腕を組んだ。


「ジャムおじさんに話す。たぶん——黙認することになると思うけど」


「そうですか」


「あの人はああ見えて、敵も味方も関係なく、困っている人には甘いから」


「それはジャムおじさんらしいですね」


「あなたもでしょう」


「俺は甘くないです」


「さんちゃんに判断させたのは十分甘いわよ」


 ケンは少し考えた。


「……そうかもしれません」


「自覚あるんじゃない」


「ただ、さんちゃんにとってドキンちゃんは友人に近い存在みたいでした。その関係を俺が判断するのは違う気がした」


 バタコさんが少し黙った。


「……それで判断させたのね」


「はい」


「甘いけど、筋は通ってる」


「ありがとうございます」


「褒めてないわよ」




 夕方、ドキンちゃんが帰り際にケンを見つけた。


 工場の表口で、ケンが発注書を確認していた時だった。


「ねえ」


「はい」


「あなた、本当に変な人ね」


「よく言われます」


「普通、私のことを工場に入れないでしょう」


「さんちゃんが入れました」


「あなたが連れて行ったんでしょう」


「判断をさんちゃんに委ねただけです」


 ドキンちゃんはケンをじっと見た。


「バイキンマンが言ってたわ。工場に変な人間が来て、在庫管理を始めたって。それが厄介だって」


 ケンは手を止めた。


「厄介、と」


「そう言ってた。あなたのせいで計算が狂ったって」


「どんな計算ですか」


「知らない。バイキンマンの話は難しくて、私にはよくわからないもの」


 ドキンちゃんは肩をすくめた。


「でも——」


 少し間があった。


「厄介って言うけど、あなたのこと、嫌いじゃないみたいよ。言い方が違う」


「どう違いますか」


「邪魔だって言う時と、面白いって思ってる時の声は違うの。バイキンマンのこと、長いから私にはわかる」


 ケンはその言葉を、少し頭の中に置いた。


 バイキンマンの計算が狂った。厄介だと思っている。でも嫌いじゃない。


 今はその意味がわからない。でも、いつかわかる時が来るかもしれない。


「また来ますか」


「さんちゃんが怒らなければ」


「さんちゃんは怒らないと思います」


「じゃあ来る」


 ドキンちゃんはそれだけ言って、さっさと歩いて行った。


 振り返りもしなかった。


 チーズが隣に来て、その背中を見ていた。


「お前はどう思う」


 チーズは尻尾を振った。


 どっちの意味かはわからなかった。




 夜のメモ帳。


 ドキンちゃん来訪の件。バタコさん報告済み。ジャムおじさん判断待ち。さんちゃんとの関係は継続を黙認方向。


 それと——バイキンマンが「計算が狂った」と言っていること。


 自分の何かが、バイキンマンの計画に干渉している。


 在庫管理を始めたことで、何かが変わった。


 何が変わったのか。


 ケンはペンを持ったまま、しばらく天井を見た。


 答えは今はわからない。


 でも——考えておく必要はある。


 チーズが足元で丸まった。


 今日も、悪くない一日だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ