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第4話 黒い影

カレーパンマンは、補給の話をするのが好きじゃないらしかった。


 バイト十日目。ケンはアンパンマンとカレーパンマンの最適焼成条件を固めるため、二人に順番でフィードバックをもらっていた。アンパンマンはすぐに協力してくれた。一時間ほどで条件が決まり、メモ帳に清書できた。


 問題はカレーパンマンだった。


「別に、今のままで問題ない」


 作業台を挟んで向かい合ったまま、カレーパンマンは言った。


「食パンマンさんの場合、条件を変えたら変換効率が六ポイント上がりました」


「俺は食パンマンじゃない」


「それはそうですが、同じ試みをする価値はあると思います」


「価値があるかどうかは俺が判断する」


 ケンは少し間を置いた。


 押してもだめなら引く。前の世界でも、こういうタイプはいた。プライドが高い現場の職人。正面から「改善しましょう」と言うと、今まで自分でやってきたことを否定されたように感じる。


「一つ聞いていいですか」


「なんだ」


「弾切れになった時のこと、覚えていますか」


 カレーパンマンが黙った。


 一話でカレーパンマン自身が言っていた話だ。戦闘の途中で弾切れになった。アンパンマンにカバーしてもらった。あまり思い出したくない記憶、と言っていた。


「……覚えている」


「あの時、もし変換効率が今より高ければ、同じパンでもカレーの出力が長持ちしたかもしれない」


「それは——」


「今の話じゃないです。もし次に似た状況が来た時の話です」


 カレーパンマンはしばらく黙っていた。


 腕を組んで、作業台の木目を見ていた。


「……一回だけ、やってみる」


「ありがとうございます」


「感謝するな。一回だけだ」


「わかりました」


 試験焼きは三回になった。


 カレーパンマンのフィードバックは食パンマンより簡潔だった。「悪くない」「変わらない」「——これだ」の三言で終わった。三回目の条件で、カレーの出力持続時間が十二パーセント伸びたらしい。


「十二パーセントというのは、どのくらいの差ですか」


「全力戦闘なら、約四分」


「四分あれば」


「だいぶ違う」


 カレーパンマンは腕を組んだまま、でも少し姿勢が変わった。張り詰めていた何かが、わずかに緩んだような。


「……条件を教えろ」


「バタコさんが記録しています。共有します」


「記録まで取っているのか」


「再現するためには必要です」


「そういうものか」


「そういうものです」


 カレーパンマンは短く息を吐いた。


「あなたが来る前は、こういうことを誰もしなかった」


「ジャムおじさんとバタコさんはパンを焼くことで手一杯だったと思います。データを取る余裕がなかっただけで、気づいていなかったわけじゃないと思いますよ」


「フォローするのか、あの二人を」


「事実を言っているだけです」


 カレーパンマンがケンを見た。


 最初の日より、目の色が違った。値踏みから、少し別の何かに変わっていた。


「あなたは、なぜここにいるんだ」


「バイトです」


「それは知っている。なぜこの世界に来たか、だ」


 ケンは少し考えた。


「わかりません。ジャムおじさんは『この世界が必要としたから』と言っていましたが、詳しくは教えてもらっていない」


「必要とした」


「そう言っていました」


 カレーパンマンは少し黙った。


「……信じるのか、その言葉を」


「今のところは」


「根拠もなく?」


「根拠はあります。来てから十日で、仕事が機能しています。在庫が切れそうになったことが一度もない。三人の変換効率が上がった。地下に物資が届くようになった。小さいことですが、積み上がっています」


「それが根拠か」


「仕事が機能しているなら、いる意味がある。それで十分です」


 カレーパンマンはしばらくケンを見ていた。


 それから、言った。


「……悪くない考え方だ」


 それがカレーパンマンにとっての最大級の褒め言葉だと、ケンにはなんとなくわかった。




 その翌日の夕方、カレーパンマンが偵察から戻ってきた。


 いつもと様子が違った。


 着地の音が少し荒い。工場に入ってきた時、まっすぐジャムおじさんのいる奥の部屋に向かった。挨拶もなかった。


 ケンは保管庫の棚卸しをしていたが、手を止めた。


 何かあった。


 奥の部屋からくぐもった話し声が聞こえる。ジャムおじさんの低い声。カレーパンマンの、普段より緊張した声。


 しばらくして、バタコさんが保管庫に来た。


「ケンさん、ちょっといい?」


「はい」


「奥に来て」




 奥の部屋には、ジャムおじさんとカレーパンマンがいた。


 ジャムおじさんが椅子に座っている。珍しく、背中が少し丸まっていた。


「カレーパンマンから話を聞いてほしいんじゃ」


 ジャムおじさんが言った。ケンに向かって。


「俺に、ですか」


「うむ。わしより、あんたの方が整理してくれると思うて」


 ケンはカレーパンマンを見た。


「南側の偵察で、何かありましたか」


「見た」


 カレーパンマンが言った。短く、でも重い一言だった。


「先日の偵察機とは別の、黒い機体だ。一機。バイキン城の方角から来て、南の山の稜線を低空で飛んでいた」


「偵察ですか」


「わからない。こちらに気づいた様子はなかった。でも——」


 カレーパンマンが少し間を置いた。


「動き方が、偵察機じゃなかった。偵察機はもっとランダムに動く。あれは——目的地があった」


「目的地」


「この方角に向かっていた」


 ケンは少し考えた。


「機体の特徴は覚えていますか」


「黒い。全身が黒い。バイキンマンのUFOとは形が全く違う。人型だった」


「人型」


「俺たちと同じ、二足歩行型のアンドロイドだ。でも——俺たちとも違う。体格が似ていたが、まとっている気配が全然違った」


「気配」


「うまく言えない。でも——あれと正面からぶつかりたくないと、直感的に思った」


 カレーパンマンが「ぶつかりたくない」と言った。


 ケンはその言葉の重さを、静かに受け取った。カレーパンマンが砲撃戦で引けをとる相手は、そう多くないはずだ。


「アンパンマンと食パンマンには報告しましたか」


「まだだ。ジャムおじさんに先に話した」


 ジャムおじさんが低く言った。


「ケン君、どう思う」


「情報が少ないので断言はできません。ただ——偵察機と違う人型の黒いアンドロイドが、この方角に向かっていた。それが事実なら、次に来る時は偵察じゃない可能性がある」


「攻撃、ということか」


「かもしれない。あるいはもっと別の目的かもしれない。わからないのが一番怖いです」


 ジャムおじさんが頷いた。


「バイキンマンが新しいものを作った、ということじゃろうな」


 その言葉に、どこか苦みがあった。


 心当たりがあるような、でも言いたくないような、そういう苦みだった。ケンは聞かなかった。今はそれより先にやることがある。


「三人に報告して、しばらく哨戒の頻度を上げた方がいいと思います。それと——」


「それと?」


「緊急補給用のパンを、常時三個ずつ用意しておきます。今まで一個でしたが、足りなくなるかもしれない」


 バタコさんが頷いた。


「材料は足りる?」


「今の在庫なら一週間は問題ない。来週の発注を前倒しにすれば余裕ができます」


「やってちょうだい」


「はい」


 カレーパンマンがケンを見た。


「補給の話を先にするのか」


「俺にできることが補給管理なので。戦う準備はあなたたちがする。俺は送り出す準備をする」


 カレーパンマンは少し黙った。


「……今朝の話の続きみたいだな」


「そうですね」


「仕事が機能していれば、いる意味がある——だったか」


「はい」


「なるほど」


 カレーパンマンは立ち上がった。


「アンパンマンと食パンマンに連絡する。明日から哨戒のローテーションを組み直す」


「食パンマンの本体の状態を確認してからにしてください。無理させると膨張するので」


「膨張——ああ、そういうことがあるのか」


「ワンさんに聞けば教えてもらえます」


「わかった」


 カレーパンマンが部屋を出た。


 ジャムおじさんとケンだけになった。


 老人が、静かに言った。


「ケン君」


「はい」


「怖くないか」


 ケンはしばらく考えた。


「怖いかどうかより、やることがあるので」


 老人は小さく笑った。


「アンパンマンと同じことを言うな」


「似た答えになりますね、そういう時は」


「そうじゃな」


 老人はゆっくり立ち上がった。腰が少し痛そうだった。


「わしには、あの黒い機体に心当たりがある」


 ケンは動かなかった。


「バイキンマンが、三戦士のデータを解析して作ったものだと思う。対抗機体じゃ」


「三人に勝てるものを、ということですか」


「おそらく。あの子は頭がいいから——やろうと思えば、ずっと前からできたはずじゃ。でも今まで作らなかった」


「なぜ今なんでしょう」


 老人が少し、黙った。


「……それが、わしにはわからない。何かが変わった。何かが、バイキンマンを急かしている」


 ケンはその言葉を頭の中に置いた。


 何かが変わった。何かが急かしている。


 答えは今はわからない。でもいつか、わかる時が来るかもしれない。


「俺は補給の準備をします」


「うむ」


「ジャムおじさん」


「なんじゃ」


「腰、大丈夫ですか」


 老人が目を丸くした。


「なぜわかる」


「立ち上がり方が昨日と違いました。朝から少し動きが固かったですし」


 老人はしばらく黙って、それから苦笑した。


「バタコさんにも気づかれなかったのに」


「バタコさんは仕事中は前を向いています。俺は横を見ています」


「……湿布を貼れば治る。大丈夫じゃよ」


「湿布、ありますか」


「保管庫の一番上の棚の奥に」


「取ってきます」


 老人が止める前に、ケンは部屋を出た。




 夜のメモ帳。


 緊急補給用パン、三個常時確保。来週分の発注前倒し。哨戒ローテーション変更に伴う補給スケジュールの見直し。


 書き終えてから、ケンはペンを置いた。


 黒い、人型のアンドロイド。


 三人と同じ体格で、全身黒い。カレーパンマンが「ぶつかりたくない」と言った相手。


 ケンには戦えない。今も、これからも、たぶんずっと。


 でも——その相手がこちらに来た時、三人が万全の状態で迎えられるかどうかは、自分にかかっている。


 在庫は十分ある。条件は固まった。記録も取れている。


 やることはやった。


 あとは来た時に、来た時の分だけ動く。


 それだけだ。


 チーズが階段を上がってくる音がした。ドアの隙間から鼻先を突っ込んで、ケンを見た。


「どうした」


 チーズはそのままケンの足元に来て、丸まった。


「お前も気配を感じたか」


 返事はなかった。でも尻尾が一回、ゆっくり揺れた。


 ケンはチーズの頭を一度だけ撫でて、メモ帳を閉じた。


(了)


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