第24話 覚醒
翌朝、バイキンマンが草の残りを精製炉に投入した。
前日より量が多かった。外壁の周辺で採取してきた全量を使い切るつもりだった。炉の状態を確認しながら、少しずつ投入していく。
ホラーマンが計器を見守っていた。
「エネルギー値、上昇中。前日より安定しています」
「このまま続ける」
「投入量を増やしますか」
「少しずつだ。急ぎすぎると炉に負担がかかる」
草を三本、四本と投入した。
精製炉の音が変わった。
低い唸りから、もっと力強い響きへ。
バイキンマンの体に、熱が流れる感覚が戻ってきた。昨日より強い。久しぶりに感じる、体の奥から湧き上がる力だ。
そして——その感覚が、体の中に収まらなくなった。
「バイキンマン」
ホラーマンの声が緊張していた。
「なんだ」
「体表からエネルギーが漏れ出しています」
バイキンマンが自分の手を見た。
黒いオーラが、指先から滲み出していた。
押さえようとしたが、止まらなかった。精製炉が処理しきれない量のエネルギーが、体の外に溢れ出している。
「炉への投入を止めるか」
「止めても——今出ているものは収まらない。このまま発散させるしかない」
バイキンマンが外に出た。
城の外壁に向けて、エネルギーを放出した。黒いオーラが空気に溶けていく。
でも——風が、そのエネルギーを運んだ。
南の方角に向けて。
工場では、ロールパンナがまだ作業台の上に横たわっていた。
バタコさんが傍についていた。昨夜から、ほとんど離れていなかった。
ケンが朝の焼成作業を終えて部屋を覗いた。
「変化はありますか」
「昨夜から、呼吸が少し深くなった気がする」
「そうですか」
「……目が開く前から、なんか、存在感がある。この子」
「そうですね」
「バタコさん、少し休んでください。俺が見ています」
「大丈夫よ。離れたくない気がして」
ケンはバタコさんを見た。
バタコさん自身が作られた経緯を、この子は知っている。同じ工場で、同じように目覚めた存在がいる。だから離れられない。
そういうことだと思った。
言葉にしなかった。
それが起きたのは、午前十時頃だった。
ケンが保管庫で作業をしていた時、工場の奥の部屋からバタコさんの声がした。
「ケンさん!」
走った。
部屋に入った瞬間、空気が変わったのがわかった。
重い。黒い何かが、部屋の空気に混ざっている。
作業台の上のロールパンナが——起き上がっていた。
上体を起こして、両手をついて、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
バタコさんが手を伸ばした。
「ロールパンナ、ゆっくり——」
ロールパンナが目を開けた。
片方の目が白く輝いていた。もう片方の目が黒く輝いていた。
二つの目が、部屋を見渡した。
ケンを見た。
バタコさんを見た。
天井を見た。
窓の外を見た。
そして——立ち上がった。
「待って——」
バタコさんが手を伸ばしたが、ロールパンナは動きが速かった。
作業台から飛び降りた。着地の音がした。
足元が安定している。生まれたばかりとは思えない動きだった。
「ロールパンナ」
ケンが声をかけた。
ロールパンナが振り返った。
その目が、ケンを見た。
善の白と、悪の黒が、同時にケンを見ていた。
「ここは……」
声が出た。かすれていたが、確かな言葉だった。
「工場です。あなたが生まれた場所です」
「生まれた」
「はい」
ロールパンナが自分の手を見た。
右手が白く光っていた。左手が黒く輝いていた。
「私は——」
「ロールパンナです。そう名付けられました」
ロールパンナが少し間を置いた。
次の瞬間、表情が変わった。
穏やかな目が、急に揺れた。
体が震えた。
「——っ」
何かが、体の内側で溢れ出した。
黒いオーラだった。精製炉から漏れ出したエネルギーが風に乗って来たのを、ロールパンナの体が取り込んでいた——それが今、一気に覚醒した。
「ロールパンナ!」
バタコさんが呼んだ。
ロールパンナが、バタコさんを見た。
その目に、混乱があった。
善の自分と、悪の力の両方が、体の中で激しくぶつかり合っている——そういう目だった。
「行かないと……」
「どこへ」
「わからない。でも——ここにいると、危ない」
ロールパンナが窓に向かって走った。
バタコさんが追いかけた。
でも間に合わなかった。
ロールパンナが窓から飛び出した。
工場の外にいたアンパンマンが気づいた。
哨戒に出る準備をしていたところだった。
窓から飛び出した影が空に上がっていくのを見た。
「あれは——」
すぐわかった。ロールパンナだ。
「待って!」
アンパンマンが追いかけた。
ロールパンナの飛行速度は速かった。三戦士と同等か、それ以上かもしれない。
「止まって! 話を聞いてほしい!」
ロールパンナが振り返った。
その表情は、苦しそうだった。
「近づかないで」
「でも——」
「私の中に、制御できないものがある。近づいたら、傷つけてしまうかもしれない」
アンパンマンが少し止まった。
その隙に、ロールパンナが加速した。
通信機が鳴った。バタコさんからだった。
『アンパンマン、ロールパンナが飛び出した。追いかけて』
『追いかけてる。でも——制御できないものがあると言っていた。止めていいのか』
しばらく間があった。
『カレーパンマンと食パンマンも呼ぶ。三人で囲んで、止める。傷つけないように』
『わかった』
カレーパンマンと食パンマンが合流した。
三人でロールパンナを囲む形を作った。
上にアンパンマン。左にカレーパンマン。右に食パンマン。
「ロールパンナ、止まれ」
食パンマンが言った。
「止めないで」
「止めなければならない。あなたが今どういう状態か、わからない。危険がある」
「私も——わからない。だから離れないといけない」
「わからないまま一人で行っても解決しない」
「でも——」
ロールパンナが左手を上げた。
黒いオーラが溢れ出した。
カレーパンマンが対処しようとした。
「待て——」
オーラがカレーパンマンにぶつかった。
カレーパンマンの装甲が、少し腐食した。
「……っ」
「ごめんなさい。わざとじゃ——」
ロールパンナ自身が、自分の左手を見て動揺していた。
食パンマンがバリアを展開した。
ロールパンナの右手が光った。
白い光がバリアを直撃した。
食パンマンのバリアが、初めて一撃で砕けた。
「バリアが——」
「ロールパンナ、止まって!」
アンパンマンが正面から向き合った。
「あなたが怖いわけじゃない。あなたが心配だから、止まってほしい」
ロールパンナがアンパンマンを見た。
その目が、少し揺れた。
「……あなたは」
「アンパンマン。ジャムおじさんが作った」
「私と——同じ工場の」
「そう。だから——」
ロールパンナの体が、また震えた。
黒いオーラが強くなった。
「——来ないで」
一気に加速した。
三人が追いかけたが、ロールパンナの速度が上回った。
食パンマンの通信が入った。
『追跡が難しい。このままでは見失う』
その時、別の影が現れた。
バイキン城のUFOだった。
バイキンマンが操縦していた。
ロールパンナの前に回り込んだ。
「止まれ、ロールパンナ」
ロールパンナが急停止した。
目の前にいるのが誰か——わかったのかもしれない。
「あなたは……」
「バイキンマンだ。お前に名前をつけた」
「あなたが——」
「俺の精製炉から漏れ出たエネルギーが、お前に取り込まれた。俺の責任だ」
ロールパンナが少し黙った。
「私の中に、制御できないものがある。私が近づくと——誰かが傷つく」
「わかっている」
「それでも止めるの」
「止める。でも——傷つけない」
バイキンマンがUFOから飛び出した。
ロールパンナと向き合った。
「お前の中にあるのは、俺のエネルギーだ。俺が一番よく知っている」
「制御する方法がわかるの」
「わからない。でも——お前と一緒に考える」
ロールパンナが、バイキンマンを見た。
善の白と悪の黒の目が、バイキンマンを見ていた。
しばらくの間があった。
ロールパンナの体から、黒いオーラが少し収まった。
完全には消えなかった。でも——少し、落ち着いた。
「……一緒に」
「そうだ」
「でも、また誰かを傷つけるかもしれない」
「かもしれない。それでも——一人でいる方が、もっと危ない」
ロールパンナが、少し考えた。
「わかった」
アンパンマンが近づいてきた。
「ロールパンナ」
「……さっきは、ごめんなさい」
「大丈夫。俺は頑丈だから」
「カレーパンマンさんを傷つけた」
「カレーパンマンは自分で言ってくる。俺が代わりに謝らせるわけにはいかない」
ロールパンナが少し止まった。
「……変わった人ね」
「よく言われる」
工場に戻ると、カレーパンマンが腕の腐食痕を見せた。
「大丈夫ですか」
「問題ない。装甲が少し溶けただけだ」
「ロールパンナが謝りたいと言っています」
「直接言わせろ」
カレーパンマンがロールパンナの前に立った。
ロールパンナが少し緊張した顔をした。
「あの……」
「わざとじゃなかったのはわかった。だから気にしなくていい」
「でも——」
「でもじゃない。終わったことだ。次から気をつければいい」
短かった。でも——それがカレーパンマンの受け取り方だった。
ロールパンナが、少し力を抜いた。
夜のメモ帳。
バイキンマンの精製炉から溢れ出たエネルギーがロールパンナに取り込まれ、覚醒。工場を飛び出す。三戦士が追跡。食パンマンのバリアが一撃で砕けた。
バイキンマンがUFOで先回りして停止させた。
ロールパンナ、工場に帰還。今夜は奥の部屋に。
書きながら、ケンは今日のことを整理した。
ロールパンナの戦闘力は、三戦士を上回る可能性がある。でも——本人が一番困惑していた。
善と悪、両方の力を持つ。制御できない。でも傷つけたくない。
その矛盾の中で生まれた存在が、どこに向かうのか。
今日はわからなかった。
でも——バイキンマンが一緒に考えると言った。
それで、今日は十分だ。
チーズが足元に来た。
窓の外に星が出ていた。
ケンはメモ帳を閉じた。




