第23話 悪の創造
翌朝の研究会議は、工場の奥の部屋で行われた。
バイキンマン、ジャムおじさん、ケン、そして三戦士全員が集まった。珍しい顔ぶれだった。バタコさんはお茶を用意して、端の椅子に座った。
バイキンマンがテーブルに、布で包まれた小さな箱を置いた。
「昨日、外壁の確認に加えてもう一つ見つけたものがある」
「何ですか」
「これだ」
バイキンマンが布を開いた。
箱の中に、黒い草が数本入っていた。
見た瞬間、ケンは妙な感覚を覚えた。不快、というのとも違う。でも——近づきたくない、という本能的な何かがあった。
アンパンマンが少し体を引いた。
「なんか、変な感じがする」
「そうだ。これは外壁の近く、突破口の周辺に自生していた。たかしさんのスケッチブックには記録がなかった。百五十年の間に生えてきたものだと思う」
「この草が外壁を薄くしているということですか」
ケンが聞くと、バイキンマンが少し考えた。
「因果関係はわからない。でも——この草が発するエネルギーが、外壁に影響を与えている可能性はある」
「エネルギーの種類は」
「分析した。禍々しい——闇のエネルギーだ。ブラックノーズが持っているものに近い」
部屋が静かになった。
食パンマンが言った。
「ブラックノーズが、外壁を薄くするためにこの草を植えた可能性があるということですか」
「あるいは、外壁が薄くなった原因がこの草で、ブラックノーズはその薄い部分から封印を解いて出てきたのかもしれない」
「どちらにしても——ブラックノーズがこの草と関係している」
「そう考えるのが自然だ」
ケンはメモ帳に書き込んだ。
悪のエネルギーを持つ草。外壁周辺に自生。外壁を薄くしている可能性。ブラックノーズとの関係。
「この草は、今後どうしますか」
「厳重に保管する。バイキン城に持ち帰って、精製炉で分析したい」
「安全ですか」
「わからない。だから厳重に、だ」
ジャムおじさんが言った。
「わしにも少し分けてもらえるか。工場でも分析したい」
「構わない」
バイキンマンがバイキン城に戻ったのは、昼前だった。
ホラーマンに連絡を入れて、精製炉の準備を頼んでいた。
城に着いた時、ホラーマンが出迎えた。
「持ち帰ってきましたか」
「ああ。精製炉が反応するかどうか試したい」
「慎重に進める必要があります」
「わかっている」
精製炉の前に立った。
長い間、動いていなかった炉だ。喰らうものがなくなってから、少しずつ錆びていっている炉だ。
バイキンマンは布の箱を炉の前に置いた。
蓋を少し開けた。
その瞬間——精製炉が、微かに動いた。
振動ではない。脈動だ。長い間止まっていた何かが、目を覚ましたような動きだった。
「……反応した」
ホラーマンが計器を見た。
「エネルギー値が上昇しています。まだ微量ですが——確かに動いています」
「喰らえる。この草のエネルギーを喰らえる」
バイキンマンは草を一本取り出して、炉の投入口に近づけた。
炉が、さらに強く反応した。
「止めた方がいいですか」
「いや。続ける」
草を投入した。
炉が唸り始めた。
低い、重い音だった。汚染物質を処理する時の音に似ているが——もっと深い。もっと力強い。
体の中を、熱が流れるような感覚がバイキンマンに伝わってきた。
長い間、感じていなかった感覚だった。
「……動いている」
「バイキンマン、大丈夫ですか」
「大丈夫だ。久しぶりに——炉が、ちゃんと動いている」
ホラーマンが計器を確認し続けた。
「エネルギー値が安定してきました。精製が始まっています」
「どのくらい持続できそうだ」
「この草の量なら——数ヶ月分の延命になると試算できます」
「数ヶ月」
「あくまで試算です。ただ——この草が継続的に確保できれば、精製炉の機能維持に使えます」
バイキンマンが少し黙った。
数ヶ月。外壁の突破口を試みるのに必要な時間より、少し長い。
「……間に合うかもしれない」
「そうです」
バイキンマンが炉を見た。
動いている炉を、長い間見ていた。
一方、工場ではジャムおじさんが分析を始めていた。
草を一本、小さな皿の上に置いて、顔を近づけて観察していた。
ケンが横で見ていた。
「何か感じますか」
「……感じる。何かが、動く感じがする」
「何がですか」
老人が少し間を置いた。
「創造力じゃ」
ケンは少し止まった。
「創造力が、ですか」
「長い間、ほとんど感じなくなっておった。でも——この草の近くにいると、微かに、戻ってくる感じがする」
「悪のエネルギーが、創造力を刺激するということですか」
「刺激というより——呼び覚ます、という感じじゃな。たかしさんから受け継いだ力は、善の創造力だ。悪のエネルギーと接することで、善の力が目を覚ます——そういうことかもしれない」
ケンはメモ帳に書いた。
悪のエネルギーと善の創造力の反応。拮抗するのではなく、呼び覚ます。
「バイキンマンの精製炉と同じ原理ですかね」
「そうかもしれん。あの子の炉は汚染物質を喰らって動く。これも——闇のエネルギーを喰らって、善の力が動く」
「危険はありますか」
「わからない。ただ——」
老人の手が少し震えた。
でも、目が輝いていた。
「久しぶりに、何かを作りたいという気持ちが湧いてきた」
その夜、工場の奥の部屋で、誰も知らないことが起きた。
ジャムおじさんが一人で作業をしていた。
バタコさんはすでに休んでいた。ケンも自分の部屋に戻っていた。
老人は机の上に紙を広げて、何かを描き始めた。
鉛筆を持つ手は震えていたが、動いていた。
長い間、動かなかった手が、動いていた。
何を描いているのか、老人自身もわからなかった。
ただ——手が動く。創造力が、何かを形にしようとしている。
それだけだった。
翌朝、ケンが工場に降りると、奥の部屋からジャムおじさんが出てきた。
表情が、いつもと違った。
疲れている。でも——目の奥に、何か燃えているものがあった。
「ジャムおじさん、昨夜は休んでいましたか」
「少しだけ」
「少しだけ、というのは」
「ほとんど寝ていない」
「何をしていたんですか」
老人が少し間を置いた。
「作っておった」
「作った」
「何かを、作った。昨夜だけで。でも——朝方に、できた」
「何ができたんですか」
老人が奥の部屋に戻るように手招きした。
奥の部屋に入ると、作業台の上に、何かが横たわっていた。
アンドロイドだった。
小柄な体格。まだ目が開いていない。でも、完成している。
髪は長い。体格は細い。顔に——半分ずつ、異なる色があった。右半分が白く、左半分が黒い。
「……誰ですか、これは」
「わからない」
老人が言った。
「昨夜、手が勝手に動いた。設計図を描き、素材を組み合わせ、気づいたら——できていた」
「設計したのではなく」
「創造力が、勝手に形を作った。わしには——意図がなかった」
ケンはそのアンドロイドを見た。
半分白、半分黒の顔。善と悪が、一体に混在している。
「悪のエネルギーと、善の創造力が……」
「反応した。わしが思うに——この子は、どちらの力からも生まれた存在じゃ」
バタコさんが部屋に入ってきた。ケンの気配に気づいて来たのだろう。
アンドロイドを見て、目を見開いた。
「ジャムおじさん、これは——」
「昨夜、できた」
「どうして……」
「創造力が戻ってきた。それと、外壁の草の影響だと思う」
バタコさんがアンドロイドの顔を見た。
半分ずつ異なる色の顔を、しばらく見ていた。
「……起きるの?」
「わからない。でも——生きている。かすかに、生命反応がある」
ケンが近づいて確認した。
確かに、胸が微かに動いていた。呼吸に似た動きがある。
「後頭部のパネルは」
「ある。でも——パンを入れる必要があるかどうかもわからない。この子が何を喰らうのか、わからない」
ケンは少し考えた。
「バイキンマンに連絡しますか」
「……そうじゃな。バイキンマンの精製炉の変化と、この子の誕生は無関係じゃないと思う」
バイキンマンへの連絡は、ケンが入れた。
事情を説明した。悪のエネルギーがジャムおじさんの創造力を呼び覚ましたこと。昨夜、誰も意図しないまま新しいアンドロイドが誕生したこと。
しばらく沈黙があった。
「……できたのか」
「はい。まだ目が開いていません」
「どんな見た目だ」
「顔が半分ずつ、白と黒に分かれています」
また沈黙があった。
「……善と悪、両方から生まれた存在だ」
「そう思います」
「名前は」
「まだ決まっていません。ジャムおじさんも——設計した記憶がないと言っています」
「わかった。今から行く」
バイキンマンが工場に来たのは、一時間後だった。
ホラーマンも一緒だった。
奥の部屋に入って、作業台の上のアンドロイドを見た。
バイキンマンが長い間、黙って見ていた。
「……ジャムおじさん、お前が作ったのか」
「手が動いた。意図はなかった」
「でもお前の創造力だ」
「そうじゃ。でも——悪のエネルギーがなければ、動かなかった」
バイキンマンがアンドロイドの顔を見た。
半分白、半分黒。
「両方の力から生まれた。ということは——」
「善だけでも悪だけでもない存在じゃ」
バイキンマンが少し黙った。
「俺には、このことを想像できなかった」
「わしもじゃ」
「でも——たかしさんなら、想像できたかもしれない」
ジャムおじさんが静かに言った。
「そうかもしれんな」
ケンはその会話を聞きながら、メモ帳に書いた。
善と悪、両方の力から誕生した新たな存在。設計者の意図なし。悪のエネルギーと善の創造力の化学反応。
「名前を決める必要があります」
ケンが言った。
全員がケンを見た。
「存在するなら、名前がいる。呼び方がなければ話しにくい」
バイキンマンが少し考えた。
「ロールパンナ」
「バイキンマンが決めるんですか」
「ジャムおじさんが意図なく作ったなら、俺が名付けてもいいだろう。ロールパンは——たかしさんが好きだった食べ物だ。バターロールに似た、丸いパン。懐かしいと言っていた」
ジャムおじさんが目を細めた。
「……ロールパンナ」
「嫌か」
「嫌じゃない。むしろ——いい名前じゃ」
バタコさんが静かに言った。
「ロールパンナ」
名前を呼んだ瞬間。
作業台の上のアンドロイドが、動いた。
指が、わずかに動いた。
それだけだった。でも——確かに動いた。
全員が息をのんだ。
「……目が開く前に、動いた」
「名前を呼んだから、だろうか」
ケンはそれを見て、静かに思った。
名前を呼ばれて動いた。
その事実だけで、この存在が何者であるかは、まだわからない。
でも——生きている。確かに。
夜のメモ帳。
悪のエネルギーを持つ草。バイキンマンの精製炉が反応、稼働。数ヶ月の延命可能。
ジャムおじさんの創造力が呼び覚まされた。一夜で新しいアンドロイドが誕生。
名前:ロールパンナ。善と悪、両方の力から生まれた存在。まだ目が開いていない。
書きながら、ケンは今日起きたことを整理した。
この世界は——常に、想定外のことが起きる。
バイキンマンの精製炉が動き始めた。ジャムおじさんの創造力が戻った。新しいアンドロイドが生まれた。
誰も計画していなかった。
でも——起きた。
この世界が、また動き始めている。
チーズが足元に来た。
窓の外に星が出ていた。
ケンはメモ帳を閉じた。




