第19話 ホラーマンの警告
焼成改良の試験は、二十回目でようやく光が見えた。
温度を標準より十五度上げ、後半に蒸気を二段階で入れ、焼き時間を三分延ばす。光粉の配合は通常の一・四倍。
試験体をアンパンマンに補給した。
三秒後。
「……今までと、違う」
アンパンマンが目を閉じたまま言った。
「どう違いますか」
「重い。エネルギーが重い。でも——長持ちしそうな感じがする」
「変換速度は」
「少し遅い。でも総量が多い気がする」
バイキンマンが横でメモを取っていた。
「効率値で言えばどのくらいだ」
「わからない。感覚だと——今まで一番」
ケンはメモ帳に今回の条件を清書した。
「もう二回試して、再現性を確認します」
「今日中にできるか」
「できます」
バイキンマンがケンを見た。
「……お前はいつも、できると言う前に頭で計算してるな」
「できる根拠があれば言います。できない時は言いません」
「だから信用できる」
ケンは少し止まった。
「信用、というのは」
「言葉の使い方が正確だ。できないのにできると言う人間より、ずっといい」
「……ありがとうございます」
「褒めていない。事実を言った」
「わかりました」
アンパンマンが二人を見て、少し笑った。
「またやってる」
「何がですか」
「二人のやり取り。なんか——好きだよ、俺」
バイキンマンが短く鼻を鳴らした。
再現性の確認は翌日行った。
同じ条件で二回。カレーパンマンと食パンマンにも補給した。
カレーパンマンのフィードバック。
「出力持続が、通常の一・三倍に伸びた」
「一・三倍」
「計測した。感覚じゃない」
「ありがとうございます。記録します」
食パンマンのフィードバック。
「バリアの展開速度は変わらない。でも維持時間が伸びた。フォートレス展開が、今まで五分が限界だったのが——七分以上維持できた」
「再現性は」
「二回とも同じ結果だった」
「わかりました」
バイキンマンが計算していた。
「帰還に必要なエネルギー量と、このパンの密度を照合すると——理論上、突破口を開いて戻ってくることが可能な水準に達している」
作業室が静かになった。
ジャムおじさんが言った。
「……本当に、できるのかもしれないな」
「理論上は」
「理論上が実際になることを、長年信じられなかった」
「今信じられますか」
老人が少し間を置いた。
「……信じてみる」
バイキンマンがジャムおじさんを見た。
何も言わなかった。でも、何かが伝わった気がした。
翌朝、ホラーマンが来た。
今回は裏口ではなく、表口だった。チーズが短く吠えて、それで止まった。
ケンが出ると、ホラーマンが立っていた。いつものローブ姿。でも——今日は少し違った。足運びが、いつもより速かった。
「急いで来たんですか」
「そうです」
「中に入ってください」
作業室に三人を集めた。ジャムおじさん、バタコさん、ケンの三人だ。
ホラーマンが立ったまま言った。
「ブラックノワールが動き始めました」
バタコさんが眉を寄せた。
「動き始めた、というのは」
「バイキン城を出ました。昨夜から行方がわかりません」
「ブラックノーズの指示ですか」
「おそらく。ブラックノーズがブラックノワールに何かを命令した形跡があります。ただ——内容まではわかりません」
ケンは少し考えた。
「ターゲットは、以前と同じですか」
「わかりません。ただ——」
ホラーマンがケンを見た。
「以前、バイキンマンがあなたを『計算を狂わせた存在』と評価していました。ブラックノーズはその情報を持っている可能性があります」
「俺がターゲットかもしれない、ということですか」
「否定できません」
バタコさんが腕を組んだ。
「三戦士に連絡する」
「お願いします」
「ケンさん、今日は工場の外に出ないで」
「わかりました」
「一人で動かないで」
「わかりました」
バタコさんが通信機に向かった。
ホラーマンがケンに言った。
「バイキンマンには、私が連絡を入れます」
「バイキンマンは知らなかったんですか」
「知りませんでした。昨夜、ブラックノワールがいなくなってから気づいた。私がバイキン城を出てすぐここに来た」
「バイキンマンは今どこにいますか」
「城にいます。ブラックノワールを探しています」
「ブラックノワールを、止めようとしていますか」
「全力で」
ケンはホラーマンを見た。
「ありがとうございます。知らせに来てくれて」
「……当然のことです」
「当然、ということはないと思います。バイキン帝国の参謀が、敵の工場に警告を届けに来た」
ホラーマンが少し間を置いた。
「私には——この世界が消えてほしくない」
「緑が広がった記憶があるから」
「そうです」
ケンは頷いた。
三戦士が工場に集まったのは、その日の昼前だった。
カレーパンマンがホラーマンを見て、一瞬だけ手が動いた。戦闘の反射だ。でも止めた。
「ホラーマン」
「カレーパンマン」
「今日は警告を持ってきたと聞いた」
「そうです」
「……受け取る」
短いやり取りだった。でもそれだけで十分だった。
全員が作業室に集まった。ケン、三戦士、ジャムおじさん、バタコさん、ホラーマン。チーズがケンの足元にいた。
「状況を整理します」
ケンが言った。
「ブラックノワールが昨夜バイキン城を離れた。行方不明。ブラックノーズの指示の可能性が高い。ターゲットは不明だが、俺が狙われている可能性がある」
「可能性だけか」
「カレーパンマンさん、今の段階では可能性しかわかりません。断言できることだけ言います」
「……続けろ」
「バイキンマンが現在ブラックノワールを探しています。止めようとしている。ただし確実に止められる保証はない」
「もし来た場合、どう対応するか」
「三戦士が対応する。それは先日の合意通りです。問題は——どこに来るかわからない」
「工場か、それとも——」
食パンマンが言った。
「ケンさんが工場の外にいる時を狙うかもしれない」
「そうですね。だから今日は外に出ません」
「今日だけではないかもしれない」
「……そうですね」
ケンは少し間を置いた。
「長期間、工場に引きこもるのは現実的ではありません。光粉の採取もある。村への買い出しもある。外に出る機会は必ず来る」
「護衛をつければいい」
アンパンマンが言った。
「護衛」
「俺が一緒に行く。外に出る時は必ず」
「それでは哨戒が」
「カレーパンマンと食パンマンがいる。二人でローテーションできる」
カレーパンマンが頷いた。
「アンパンマンの案に賛成だ。工場の外では必ず護衛をつける。今日中に当番表を作る」
「……わかりました。ありがとうございます」
ケンは少し、言葉に詰まった。
護衛をつけてもらう、という経験が、前の世界でも今の世界でも初めてだった。
「ケンさん」
アンパンマンが言った。
「はい」
「お前は——俺たちの補給を守ってくれている。だから俺たちがお前を守る。それだけのことだ」
「それだけのことじゃないです」
「そうか?」
「俺のために、哨戒のスケジュールを変える。それは大きいことです」
「でも——ケンさんがいなくなったら、俺たちが困る」
「打算ですか」
「半分は。半分は——いてほしいから」
アンパンマンが真顔で言った。
ケンはしばらく何も言えなかった。
「……わかりました。お世話になります」
夕方、ホラーマンが帰った。
帰り際、ケンに言った。
「バイキンマンが——あなたに伝言を」
「なんですか」
「研究を止めるつもりはない、と」
「そうですか」
「ブラックノワールのことで、お前に迷惑をかけて申し訳ないとも言っていました」
「申し訳なくないです」
「そう伝えます」
「それと——」
ケンは少し考えた。
「バイキンマンに、ありがとうと伝えてください」
「何に対して、ですか」
「止めようとしてくれていることに。それだけで十分です」
ホラーマンが少し間を置いた。
「……伝えます」
「それと、ホラーマンさんにも」
「私に?」
「知らせに来てくれたことに。ありがとうございました」
ホラーマンが動かなかった。
眼窩の光が、わずかに揺れた。
「……当然のことです」
「当然、という言葉の使い方が、今日二回目ですね」
「そうですか」
「当然と言いながら、当然じゃないことをする人がいます。あなたはそっちの側だと思います」
ホラーマンはそれ以上何も言わなかった。
ゆっくりと頭を下げた。
それから、工場を出た。
夜のメモ帳。
ブラックノワール行方不明。三戦士の護衛体制を組んだ。外出時はアンパンマンが同行。
ホラーマンが知らせに来た。バイキンマンから「止めようとしている」という伝言。
書き終えて、ケンはペンを止めた。
護衛をつけてもらった。
前の世界では、誰かに守ってもらったことがあっただろうか。
記憶を探したが、すぐには出てこなかった。
倉庫では、いつも自分が気をつける側だった。新人を見る側。ルールを守る側。事故が起きないよう確認する側。
守ってもらうことに、慣れていなかった。
でも——今日アンパンマンが言った言葉を思い返した。
いてほしいから。
それだけで、十分だった。
チーズが足元に来た。
窓の外に星が出ていた。
ブラックノワールは、どこかにいる。
でも——今夜は、工場の中が温かかった。
ケンはメモ帳を閉じた。




