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第18話 同じ部屋で

準備に五日かかった。


 バイキンマンへの連絡は通信機越しに行った。


「三戦士が、あなたに会いたいと言っています」


 少し間があった。


「……戦うつもりか」


「違います。話し合いです」


「話し合い」


「研究の話と、これからのことを一緒に考えたいと思っているようです」


「……アンパンマンたちが、それを望んでいるのか」


「本人たちから直接聞きました。全員が会うと言いました」


 また長い間があった。


「……わかった。行く」




 場所は、工場の広い作業室にした。


 机を中央に置いて、椅子を両側に並べた。片側にアンパンマン、カレーパンマン、食パンマン。反対側にバイキンマン。ジャムおじさんとケンは端の方に座る。バタコさんは「見守っている」と言って工場の別の部屋にいた。


 当日の朝、ケンは部屋の配置を三回確認した。


 窓を開けておく。空気が流れる方がいい。お茶を人数分用意する。メモ帳を手元に置く。


 バタコさんが声をかけた。


「緊張してるの?」


「少し」


「珍しいわね」


「こういう場は、準備しても想定外のことが起きるので」


「起きたら、その時に考えればいい」


「そうですね」


「あなたが言いそうなことを私が言ってる」


「そうですね」


 バタコさんが小さく笑った。




 バイキンマンが来たのは、約束の時間ちょうどだった。


 表口を開けると、マントを羽織った小柄な体が立っていた。一人だった。ホラーマンもいない。


「ホラーマンは」


「今日は来させなかった。俺一人で十分だ」


「わかりました。こちらへどうぞ」


 作業室に入った。


 三戦士がすでに着席していた。


 バイキンマンが入ってきた瞬間、部屋の空気が変わった。


 張り詰めた、でも静かな緊張だった。


 アンパンマンが立ち上がった。


 バイキンマンが止まった。


 二人が向かい合った。


 どちらも何も言わなかった。


 五秒。十秒。


「……久しぶりだな、アンパンマン」


 バイキンマンが言った。


「うん」


 アンパンマンが答えた。


「戦う気か」


「ない。今日は話しに来た」


「そうか」


 バイキンマンが椅子に座った。


 アンパンマンも座った。


 ケンはお茶を配り始めた。




 最初の十分は、ほぼ沈黙だった。


 全員がお茶を飲んでいた。誰も口を開かなかった。チーズが部屋の隅で丸まっていた。


 ケンは待った。


 この沈黙を破るのは自分じゃない方がいい。誰かが話したくなるまで待つ。


 最初に口を開いたのは、食パンマンだった。


「外壁の研究について、詳しく聞かせてもらえますか」


 全員がほっとしたような、少し緊張が解けた空気になった。


 バイキンマンが食パンマンを見た。


「お前が聞くのか」


「私が一番、現状を理解したい。感情的な部分は後でいい」


「……わかった」


 バイキンマンがスケッチブックをテーブルに出した。


 外壁の図のページを開いた。


「この世界は五層構造になっている。一番外側に突破口がある。北の山脈の向こうだ」


 食パンマンが図を見た。


「この突破口の大きさは」


「たかしさんの観測では、直径十メートル程度」


「通り抜けられる大きさですね」


「そうだ」


「帰還の方法は」


「今研究中だ。ジャムおじさんのパンエネルギーを使った逆方向フローという理論がある」


「理論の完成度は」


「六割程度だ」


 食パンマンが少し考えた。


「残り四割の問題点は」


「エネルギー密度が足りない。焼成方法の改良を進めているが——まだ完成していない」


「それがケンさんの試験焼きの件ですか」


「そうだ」


 食パンマンがケンを見た。


「どのくらいで完成しますか」


「わかりません。試行錯誤中なので」


「目途は」


「あれば言います。今はない」


「正直ですね」


「目途がない時に目途を言うと後で困るので」


 食パンマンがわずかに首を傾けた。それだけだったが、ケンには「了解」という意味に聞こえた。




 話が進むにつれ、カレーパンマンが少しずつ口を開き始めた。


「ブラックノワールは、今後も動くのか」


 バイキンマンがカレーパンマンを見た。


「動く可能性はある」


「お前の指示でか」


「俺が指示したわけじゃない。ブラックノワールには別の命令系統がある」


「別の命令系統」


「ブラックノーズだ」


 カレーパンマンが少し固まった。


「ブラックノーズが指示しているのか」


「もともとブラックノワールはデータ収集のために俺が作った。でもブラックノーズと連携した時点で、あいつはブラックノーズの指示も受けるようになった」


「それはお前の管理下にないということか」


「今は——ない」


 カレーパンマンが腕を組んだ。


「つまり、お前がここで研究していても、ブラックノワールはこちらを攻撃してくるかもしれない」


「可能性としてはある」


「その場合、お前はどうする」


 バイキンマンが少し間を置いた。


「止める」


「止められるのか」


「わからない。でも——止めようとする」


 カレーパンマンが黙った。


 ケンが口を開いた。


「カレーパンマンさん」


「なんだ」


「ブラックノワールが来た場合の対応を、今決めておきましょうか。バイキンマンが止めようとする。でも間に合わない場合は、三人が対応する。その時バイキンマンとの戦闘は——」


「しない。今日だけ決めるなら、研究が終わるまではしない」


 カレーパンマンが言った。


 全員がカレーパンマンを見た。


「今日だけ、じゃない。研究が終わるまで、だ。それが条件だ」


「バイキンマン、いいですか」


「……構わない」


「ジャムおじさん」


「わしも同意じゃ」


「アンパンマンさん、食パンマンさん」


 二人が頷いた。


「決まりました。研究期間中、バイキンマンへの攻撃は保留。ブラックノワールが来た場合は三戦士が対応し、バイキンマンも止めようとする。記録します」


 ケンがメモ帳に書いた。


 バイキンマンがそれを見た。


「お前は本当に、何でも記録するな」


「後で確認できるので」


「……まあ、そうだな」




 話し合いの後半は、少し空気が柔らかくなった。


 アンパンマンが、ずっと言えなかったことを言った。


「バイキンマン」


「なんだ」


「俺、ずっと——お前のことを、ただ倒す相手だと思っていた」


「そうだろう」


「でも——精製炉の話を聞いて、外に出たい理由を聞いて」


 アンパンマンが少し言葉を選んだ。


「俺は、お前のことを何も知らなかったんだなと思った」


「今更だ」


「今更でも——知りたいと思う」


 バイキンマンが黙った。


 長い沈黙だった。


「……お前は変わらないな」


「変わった?」


「変わらない、と言った。何十年経っても、真正面から来る」


「そういう設計なので」


「わかっている」


 バイキンマンが少し、目を逸らした。


「俺も——お前のことを、倒す相手としか見ていなかった。お前が誰に何のために作られたか、考えたことがなかった」


「俺はジャムおじさんに作られた。たかしさんの言葉から生まれた。それは知ってる」


「そうだ。お前は——たかしさんの思想を体現するために作られた」


「うん」


「俺は——たかしさんに、この世界を守るために作られた。でも——」


 バイキンマンが少し間を置いた。


「俺が守りたいのが、この世界なのか、たかしさんの記憶なのか、今でもわからない」


 アンパンマンが静かに言った。


「どちらかじゃないといけないの?」


「どういう意味だ」


「両方でもいいんじゃないか、と思って」


 バイキンマンがアンパンマンを見た。


「……単純だな、お前は」


「よく言われる」


「それが強みだ」


 アンパンマンが少し笑った。


 バイキンマンは笑わなかった。でも——口元が、わずかに緩んだ気がした。




 解散の時間になった。


 全員が立ち上がった。


 バイキンマンが帰り際に、ケンの横を通った。


「……うまくやったな」


「場を作っただけです」


「それが難しい」


「そうですか」


「そうだ」


 バイキンマンが表口から出た。


 空に上がった。


 三戦士が見送った。


 アンパンマンがケンの横に来た。


「ケンさん」


「はい」


「今日——よかった」


「よかったですか」


「うん。怖かったけど、来てよかった」


「怖かったんですか」


「すごく。でも——バイキンマンも怖かったと思う。だから同じだ」


 ケンは少し考えた。


「アンパンマンさん」


「なに?」


「バイキンマンが、口元が緩んでいたのを見ましたか」


 アンパンマンが少し止まった。


「……見てた」


「笑っていたと思います」


「うん。俺も——そう思った」


 アンパンマンの目が、柔らかくなった。


「あいつ、笑えるんだね」


「笑えます」


「よかった」


 それだけだった。


 でも、その「よかった」の中に、何十年分かのものが入っていた気がした。




 夜のメモ帳。


 三戦士とバイキンマンの初会合。問題なく終了。研究期間中の攻撃保留を全員が合意。ブラックノワール対応の方針を決定。


 書きながら、ケンは今日一日を静かに振り返った。


 五日間準備した。でも実際に始まったら、準備通りにいかない場面もあった。最初の十分間の沈黙は想定していなかった。でも——誰かが話し出すまで待ったのは、正解だったと思う。


 カレーパンマンが「研究が終わるまで攻撃しない」と言った時、ケンは少し驚いた。でも——カレーパンマンはそういう人間だ。筋が通れば動く。感情より原則で動く。


 アンパンマンとバイキンマンが話した場面を、思い返した。


 両方でもいいんじゃないか。


 その一言が、今日一番の言葉だった。


 シンプルで、でも誰も言えなかった言葉。


 アンパンマンにしか言えなかった言葉だと思う。


 チーズが足元に来た。


 窓の外に星が出ていた。


 この世界に来て、百日を超えた。


 まだ、やることがある。


 ケンはメモ帳を閉じた。

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