第17話 責任
焼成方法の改良研究は、思ったより地道だった。
高密度パンエネルギーを実現するためには、通常の焼成条件を大幅に変える必要がある。温度を上げる。圧力をかける。光粉の配合を変える。それぞれが相互に影響し合うため、一つ変えるたびに別の条件を調整しなければならない。
ケンはその試行錯誤を全部記録した。
試験焼き一回目——温度を二十度上げた。結果、外側が焦げて内側が生焼けになった。
試験焼き二回目——圧力を少し加えた。結果、形が崩れた。食パンマンには使えない形状になった。
試験焼き三回目——光粉の量を増やした。パンが均一に輝いたが、変換効率は上がらなかった。
記録が積み上がるにつれ、少しずつ傾向が見えてきた。
「温度を上げるより、焼く時間を長くした方が内部に熱が均一に入ります。その分、表面が乾きすぎないよう蒸気を足す」
「蒸気を足すと光粉が飛散しないか」
「飛散しないよう、蒸気を入れるタイミングを後半にします」
バイキンマンが腕を組んだ。
「理屈は合っている。だが——失敗した場合のリスクが高い」
「失敗のパターンを先に洗い出して、対処法を準備してから試します」
「効率が悪い」
「失敗してからやり直す方が非効率です」
バイキンマンが短く鼻を鳴らした。
「……物流倉庫の発想だな」
「そうです」
「悪くはない」
研究が始まって十日ほど経った朝、アンパンマンが哨戒から戻ってきた。
通常より早い帰還だった。
表口を入ってきた時の顔が、どこか複雑だった。
「どうしました」
「バイキン城の動きが、最近おかしい」
「おかしいというのは」
「攻撃してこない。哨戒も少ない。ブラックノワールも見ていない」
「静かすぎるということですか」
「そう。今まで毎週のように何かあったのに——もう二週間、何もない」
ケンは少し間を置いた。
バイキンマンが研究に来ている期間と、ほぼ重なっている。
「少し待ってください。お茶を入れます」
「え、あ、ありがとう」
テーブルに向かい合って座った。
ケンはお茶を二つ置いた。
アンパンマンが椀を両手で持って、ケンを見た。
「ケンさん、何か知ってる?」
「知っています」
「……やっぱり」
「話します。少し長くなりますが」
「うん、聞く」
ケンはどこから話すかを一瞬考えた。
全部話す。それしかない。中途半端に隠しても、いずれわかる。わかった時の方が、問題が大きくなる。
「バイキンマンが、定期的にこの工場に来ています」
アンパンマンが静かになった。
「……来ている」
「最初は一人で。その後はジャムおじさんと話すために。今は研究のために来ています」
「研究」
「バイキンマンがこの世界の外に出るための研究です。ジャムおじさんと協力して、帰還の方法も含めて検討しています」
アンパンマンはしばらく何も言わなかった。
お茶の椀を持ったまま、動かなかった。
「俺に、黙っていたんだね」
「はい」
「どうして」
「最初はまだ研究が始まったばかりで、話せる段階じゃなかったから。それと——」
ケンは少し間を置いた。
「あなたたちに話した場合、どう反応するかを、俺が判断しきれていなかったから」
「判断しきれていなかった、というのは」
「バイキンマンが来ていると知ったら、戦おうとするかもしれない。でも今は——戦うより話す方が、この世界にとってよかったと俺は判断した。その判断が正しいかどうか、確信がなかった」
「確信がないまま、隠してたの」
「はい」
アンパンマンが椀をテーブルに置いた。
「……それは、よくないと思う」
「そうですね」
「俺たちも、この世界のことを考えてる。俺たちを信じてほしかった」
ケンは頷いた。
「おっしゃる通りです。判断を俺一人で抱えていた。それは間違いだった」
「ケンさんが謝るのって、珍しいね」
「間違ったことは認めます」
アンパンマンがケンを見た。
少し、目が柔らかくなった。
「……続けて。全部話して」
ケンは話した。
バイキンマンがこの世界に来た経緯。精製炉の問題。外に出たい理由が複数あること。たかしという人物のこと。スケッチブックのこと。帰還の可能性の研究が始まったこと。
アンパンマンは黙って聞いた。
途中で何度か口を開きかけて、止めた。最後まで聞いた。
「バイキンマンは——悪役じゃなかったの?」
「悪役、という役割は担っています。でも——目的が世界征服じゃないと知ってからは、見方が変わりました」
「俺がアンパンチで何度も吹き飛ばしてきた相手が、外に出たくて、体が壊れていって、昔の人の故郷を見たくて——」
アンパンマンが少し俯いた。
「知らなかった」
「知らなかったことは仕方がないです」
「でも知っていたら——もっと違う向き合い方ができたかもしれない」
「今から変えられます」
「どうやって」
「まず——バイキンマンが次に来た時、会ってみてほしいんです」
アンパンマンが顔を上げた。
「俺が、バイキンマンに」
「話すだけでいいです。戦わなくていい。ただ——同じ部屋にいて、話す」
「……バイキンマンは、いいって言う?」
「聞いてみます」
アンパンマンは少し考えた。
「怖いな」
「怖いですか」
「うん。何十年も戦ってきた相手と、急に普通に話せって言われても」
「普通に話さなくていいです。ぎこちなくていい。それでも、同じ部屋にいることが大事だと思うので」
アンパンマンが少し笑った。
「ケンさんって、そういうこと言う時に全然迷わないね」
「迷っています。でも迷った結果、そっちの方がいいという結論になっているので」
「そっか」
アンパンマンがお茶を一口飲んだ。
「……わかった。会う。でも——カレーパンマンと食パンマンにも話した方がいい」
「そうですね。次に来た時に、一緒に説明させてください」
「うん」
夕方、カレーパンマンと食パンマンが哨戒から戻ってきた。
二人に、午前中にアンパンマンに話した内容をそのまま話した。
カレーパンマンの反応は、アンパンマンより速かった。
「なぜ俺たちに言わなかった」
「判断が遅れた。申し訳なかったです」
「申し訳なかったで済む話か」
「済まないとは思っています。それでも、まず謝ります」
カレーパンマンが腕を組んだ。
「……バイキンマンが研究のためにここに来ている。それをお前とジャムおじさんが黙って進めていた。バイキン帝国の一員がこの工場の中に入り込んでいたのに、俺たちは何も知らなかった」
「そうです」
「ブラックノワールの件がある。あいつがケンを狙っているという情報もある。その状況でバイキンマンを工場に入れた。それが正しかったと思っているか」
ケンは少し考えた。
「正しかったかどうかは、今でも確信がありません。でも——あの判断をしなければ、今の研究はなかった。バイキンマンとジャムおじさんが話す機会もなかった」
「結果論だ」
「そうです。でも、判断した時の根拠はありました。バイキンマンが工場に害を与える意図を持っていないと判断した根拠が」
「どんな根拠だ」
「ドキンちゃんが何度か来ていた。ホラーマンも来た。どちらも攻撃してこなかった。情報を持ち帰る動きもなかった。それを積み重ねて判断した」
カレーパンマンが静かに言った。
「それをなぜ、俺たちに相談しなかった」
「……相談すべきでした。それが一番の間違いだったと思っています」
沈黙があった。
食パンマンが口を開いた。
「ケンさん」
「はい」
「今後、同じことをしますか」
ケンは少し考えた。
「同じ状況になれば——判断の内容は変わらないかもしれません。でも、途中で報告を入れることはできます。全部固まってから話すのではなく、進行中のことを共有する」
「それができますか」
「やります。約束します」
食パンマンが少し間を置いた。
「……わかりました。続けてください」
「ありがとうございます」
「ただ」
「はい」
「バイキンマンと会う機会を、私にも作ってほしい」
ケンは少し驚いた。
「食パンマンさんが、ですか」
「私はバリアを使う。攻撃を受け止める側だ。バイキンマンとブラックノワールの動き方を直接確認したい。戦うためではなく——理解するために」
「……アンパンマンさんも同じことを言っていました」
「そうですか」
「調整します」
カレーパンマンが短く言った。
「俺も同席する。嫌か」
「嫌ではないですが——バイキンマンに確認します」
「構わない。確認してくれ」
三人が帰った後、ケンは一人でテーブルに残った。
バタコさんが片付けをしながら、ケンの横を通った。
「大変だったわね」
「そうでした」
「カレーパンマン、怒ってた?」
「怒っていました」
「でも最後は聞いてくれた」
「そうですね」
バタコさんが椀を片付けながら言った。
「あなたが正直に話したから、だと思う」
「言い訳をしても仕方がなかったので」
「そういう時に言い訳しない人って、少ないわよ」
「言い訳したところで状況は変わらないので」
「……そういうとこ、たまに腹立つわ」
「すみません」
「褒めてるの、一応」
ケンは少し考えた。
「ありがとうございます」
「素直ね」
バタコさんが笑った。
夜、ジャムおじさんの部屋をノックした。
三戦士に話したことを報告した。
老人は黙って聞いて、最後に言った。
「三人が、バイキンマンに会いたいと言ったか」
「はい」
「……それは、よかった」
「予想していましたか」
「していなかった。でも——よかった」
老人が少し笑った。
「あの子たちは、正しいことを知れば、ちゃんと動く。わしはそれを信じていたが、信じているだけで動かなかった」
「今からでも遅くないです」
「そうじゃな」
「バイキンマンに、三人と会う件を話してみます」
「頼む」
「ジャムおじさんも同席しますか」
「……する。したい」
ケンは頷いた。
夜のメモ帳。
アンパンマン、カレーパンマン、食パンマンに研究の件を説明。謝罪。今後の報告を約束。三戦士全員がバイキンマンに会うことを希望。
書きながら、ケンは今日一日を振り返った。
判断を一人で抱えていた。それは間違いだった。アンパンマンに言われるまで気づかなかった。
管理の仕事は、数字と在庫だけじゃない。人に何をいつ伝えるか——それも管理の一部だ。前の世界でも、それで失敗したことがあった。
田中のフォークリフト事故も——もっと早く気づいて、声をかけていれば、あんな結果にならなかったかもしれない。
ケンは少し止まった。
今日の話と、前の世界の記憶が重なった。
伝えるべきことを、伝えるべき時に、伝えるべき人に。
それができなかったことへの後悔は、前の世界から持ち越している。
だから——この世界では、同じ失敗をしたくなかった。
でも、した。
また次から、やり直す。
それだけだ。
チーズが足元に来た。
窓の外に星が出ていた。
次は——三戦士とバイキンマンが同じ部屋に入る。
その日のために、準備をする。
ケンはメモ帳を閉じた。




