再び
ヘリが来た後、パトカーも到着し、事情聴取を終えたあたし達は刑事さんの車で帰路についていた。
助手席にはメイド、後部座席にはあたしと華村さんと言う良く分からない配置だった。
でも、ある意味良かったかもしれない。
翔太も楓さんもいない時に言ってた、あの言葉の意味を聞きたかったから。
あの、メイドさん。
「はい」
貴女は、過去に地獄を見た事があるんですか?
答えは分かっていた。
そうじゃなかったら、あんな発言は出来ないから。
「……昔話です。ギャンブルで借金を抱えて、亡くなった人がいましたね」
そっか……。
それが1000万。
詩鶴さんの違法経営がカジノと言うのは、考え過ぎだろうか。
言おうとしたら、少しだけ口元を吊り上げ、あたしの方を振り返っていた。
笑顔、だよね?
異様な状況から開放されて初めて見た気がした。
或いは、あたしの感覚が正常に戻ったのかもしれない。
「それ以上の詮索は、胸中でお願い致します」
色々な事があったのかもしれない。
それでもここに来た。
その行為自体に、意味があったのかもしれない。
メイド……さんの横顔は、泣いている気がした。
「由佳さんは、強いですね」
華村さんだった。
そんな事は無かった。
翔太がいなかったらどうなっていたか、分からないんだから。
「異性の力って、やっぱり凄いですよね」
いやそう言うのではないけど、守る人。
守ってくれる人がいる。
ううん違う。
何でも良いのかも知れない。
人がいると人は強くなるんだ。
「本当は、死のうと思ってここに来たんです」
え?
華村さんを見ると、遠くを見つめるような表情をしていた。
「20年も好きだった人が結婚して。何も考えられなくなりました。ここなら、誰にも気付かれずに死ねるかなって思っていました」
あたしに笑いかけた華村さんは、儚く散る花弁の様だった。
「でも、現金ですよね。こう言う状況になってしまって、誰よりも怖がっていたと思います。死を。死ぬのを」
……。
あたしには分からないかもしれない。
振られた経験なんて無い。
ましてや20年も好きだった人が他の女と結婚したら、あたしだったらどう思うかなんて、考えたくないのが本音。
生きるのは本能。
そんな事言っても何も響かない。
だったら、あたしはどうする?
きっとここから出たらもう会わないと思う。
そんな許された時間の中で、あたしは何をこの人に伝えたい?
「由佳さん?」
あたしはあのバカが他の女と付き合うなんて事になったら、きっとムカついて、泣いて、それで良い女になって、後悔させて、それでも、ちょっとだけ悔しいって思いながら、他の人ともっと幸せになってやります。
絶対に。
華村さんはポカンとしていた。
でも、ちょっとは響いてくれたのかな。
華村さんの頬を、ハンカチで拭いてあげると、華村さんは笑ってくれた。
「私も多分、同じ気持ちです」
……帰ったら一先ず殴ってやろうと思った。
俺は何が出来たのだろう。
結局目的を久遠に遂行され、事件だけが解決された。
異常な空間から開放され、どっと疲れが押し寄せる。
だけど。
異常な空間にいた間、秀介の事なんか頭から飛んでしまっていた。
殺人を防がないと意味が無い。
だから無意識に頭から秀介が無くなった。
そんな事は分かっているのに。
開放された今となっては後悔しか残らなかった。
そんな事を倉田さんのパトカーの中で考えた。
奴の言う善と悪が何なのかは分からない。
……ダメだ。
また奴と秀介を重ねてるからそんな事を考えるんだ。
「彼とは別人よ。あの男は」
表情に出ていただろうか。
楓が俺の顔を覗き込んでいた。
「パターナリスト。多分だけれど、自分のやる事が良い事だと思ってしまっている」
聞かない言葉だけど、多分幼稚園の時にいた、仕切りたがりの奴に当て嵌めてみればしっくり来るのかもしれない。
子供がゆえに純粋。
しかし純粋は残酷。
そしてそれが故、人は誰もが罪を無意識に背負う。
……爺の言葉だった。
正常境界は、本当に法律で測れるのか。
「え?」
答える気にはなれなかった。
久遠正義は、すぐに全国指名手配となったが、その消息は、1ヶ月が経った今も全く掴めてはいなかった。
けれど、一つだけ分かった事がある。
何かもっと大きな目的がある可能性。
それが何なのかを、PCに映る膨大な情報から推測をしなければいけない。
果たして私にそれが出来るのか。
息を大きく吸い、吐くとタバコの煙が一気に吐き出された。
予感ではなく、起こらなければ良いと言う願い。
けれど、山積みになっている未解決事件のリストを眺め、翔太君を想った。
彼は、果たして大丈夫だろうか。
夏休みも終わり、あたしは病院を訪ねていた。
あんな体で無茶したバカが、今日退院するからだ。
おっさんに話してはいない。
物理的に飛んで来るから正直鬱陶しい。
いや、余計な心配をかけたくない。
受付を済ませ、『吉野翔太様』と書かれた見慣れたプレートに目をやる。
細かな事情は聞いてない。
その代わりに察す。
言いたくない事の100や200、あっても人間は不思議じゃないから。
まあ、あまり心配し過ぎるのもあれだから、落ち込んでたら殴るくらいで済ませるのが丁度良いと言うものだとあたしは思っている。
扉を開けると、翔太は着替え終わっていたみたいだった。
軽く小突くと『イテッ』と反応した。
どうしたのかとは聞かないけど、何かを決めたような表情だった。
まあ、元気なら良い。
肩の傷もちゃんと治った。
帰るよと言うと、翔太は寄りたい所があるから1人で帰ると言い出した。
全く人が折角迎えに来たのにこれだ。
今は病室内で普通にスマホが使えるんだから電話しろっての。
軽く頭を小突き、晩御飯までには帰る様に言ってやった。
久し振りに肉料理を食べたいから、肉塗れの献立にしてやる事にする。
歩きながら考える。
奴の殺害動機は、ありていに言ってしまえば悪い事をした人間を殺す。
至ってシンプルな考え方。
それにやる事があると言っていた。
何だ?
何をしようとしてる?
楓から教えて貰った情報も、もしかしたら……。
いや、犯罪を手助けしているのなら、自分で手を下す必要が無い……と思うが、何せ楓が言うには、パターナリスト……だっただろうか。
兎に角常識が通じる相手とは思わない方が良いだろう。
そんな事を考えながら歩いていると、着いた。
墓石が敷地の壁越しに少しだけ見えた。
最初に来て以来。
4ヶ月振りか。
……本当に色々あり過ぎた。
そのきっかけは、お前だったんだよな。
秀介。
秀介の墓と思しき場所に、遠くから先客が見えた。
真新しい墓には、『有村家之墓』と刻字されている。
少女は目を開けて俺を見上げると、にこやかな笑顔を見せてくれた。
華音ちゃんだ。
「お久し振りです。翔太さん」
華音ちゃんはあれから無事退院した。
退院して、いきなりの1人暮らし。
だから華音ちゃんに秀介の事を言うのは、暫く後が良いと判断したが、ある日華音ちゃんに後をつけられた。
……抱えた罪悪感を思い出した。
「善意、台無しにしちゃってすみませんでした」
表情に出ていただろうか。
困ったように華音ちゃんは笑っていた。
「良いんですよ。私が勝手に後をつけて、知っちゃっただけなんですから」
それでも、未だにあの時の事。
秀介の死体を目の当たりにした時の事を思い出すと、やりきれない気持ちになってしまう。
秀介が人殺しをした事は、華音ちゃんに言っていない。
言える訳が無かった。
いつか華音ちゃんがその事実を知った時、責められようが構わない。
言って意味を成さない事実なんて、この世に腐る程にあると思っている。
「そうか。これが君のトリガー、か。吉野、翔太」
背筋が凍る思いだった。目の前には忘れる筈も無い異常犯罪者がいた。
「え? ……この声?」
華音ちゃんがゆっくりと後ろの人間に振り返った。
そこにいたのは紛れも無い、久遠正義の姿。
華音ちゃんの固まった様子だけは後ろ姿から伺えた。
きっと、今目に入っている光景が信じられないのだろう。
「兄……さん……?」
絞り出すような声が、辛うじて聞き取れた。




