容易く散る
どうしてこの人は、いつもの食事を取るように微動だにしていないのだろう。
どうしてこの人は有村君に似ているのだろう。
「そして奥さんが佐久間さんに成りすまし、ノートを確認しに移動する隙に隠れればあの不可能状況が出来上がる」
「もしかして、佐久間さんの死体が消えた理由は、死亡推定時刻を万が一にでも割り出されないように、かしら」
「そう。準備の時間も考えて、時間的余裕を持って殺された筈。だから死亡推定時刻のずれはどうしようもなかった」
予告状のノートから、あたし達は既にこの人が作り上げた錯覚に嵌っていた。
機械声によって場所を指定され、ノートに記載した通りに殺人が実行されてしまえば、心理的な自由を奪われる。
それをノート1つで本当にやってしまった。
全員の視線が集中した。
その人物は何事も無かったかのように食事を終え、仕上げと言わんばかりに口を紙ナプキンで拭っていた。
「ご馳走様」
どうして貴方はそんなに異様なの?
静かに、メイドが食器を提げる音が響く。
「凄いね吉野君。確かにその方法であれば出来るかもしれない。それにノート。招待状の導入から始まり、文章を見せる事によってノートを開くと言う不自然な行為を、さも当然のように見せる手順。そして可能を不可能に見せる演出まで役割を果たしていたとは。全く持って無駄が無いと思うよ」
そうだ。
悪魔のような計画を立て、実行に移したと言う点では、秀介にそっくりかもしれない。
もう秀介とは話をする事は出来ない。
「証拠はあるかい?」
こんな気持ちになるのは、風舟村の事件を解決したから?
それとも、久遠に秀介を重ねているから?
秀介と面と向かって証拠を突きつける時を重ねている?
そんな事はどうでも良いと言い聞かせても、頭の片隅から離れてはくれない。
吉野君達、無事でいてくれ……。
渋滞の抜けた高速を飛ばし、山道へと急ぐ。
車でも残り4時間と言った所だろうか。
それにしても、ここまで人里離れた所に建物を建てた理由は何だ?
思えば、花園塔もそうだった。
あんな構造の建物を建てる理由は、考えられない事ではあるが、犯罪を行う為?
そして最も気になるのは、カジノ法案の施行に伴う、経済市場の活性化。
本当にそれだけなのだろうか。
まだ気になる事はある。
吉野君が解決した連続殺人を実行した方法には、法則性がある。
1つの事件に対して、どうして1つの犯罪アイテムが存在しているのか。
これは癖と呼べるものと言えるのかも知れない。
エレベーター、甜麺醤、ゲームセンター。
犯罪を教唆している人間でも、いるのだろうかとしか思えなかった。
アクセルを踏み、車を飛ばした。
最初に俺と会った時、あんたは何て言った?
久遠に静かにそう告げた。
「確か……君も妙なノートを受け取ったのかい? ……って言ったと思うが?」
そもそもそれがおかしい。
俺達は黒いノートによって別々の用事で呼び出された。
そこまでは良い。
だが、久遠夫妻が呼ばれた理由は遺産相続について。
だとしたら、俺達と初めて会った時には、黒いノートによって遺産相続で呼ばれたと思うのが普通じゃないだろうか。
あの時点でノートに意味が込められている事にすら気付けた人間はいないのだ。
なのにどうして、あんたは妙なノートと言った?
「実際に黒いノートを夫婦で受け取ったんだ。それは自然じゃないのかな?」
いいや。
どうして遺産相続の事を、一言も言わなかった?
普通なら君達も遺産相続で呼ばれたのかい?
って聞くのが自然。
確かに妙なノートだが、ノートにしろ、これは最初に受け取った時点では、あんたらにとっては手紙。
ノートの内容について聞くのが普通だ。
妙なノート何て言わない。
「凄いわ。翔太君」
もう一つ。
首を吊っていた佐久間さんに、何の外傷も無かったのが証拠。
「それの何が不思議なんだい?」
やはり、そこまでは知らなかったか。
由佳が襲われた時、奥さんが何をしていたかも知らない。
事件の舞台になる部屋にだけしか、盗聴器は仕掛けていなかった。
あのタイミングの良い放送は、どう考えてもおかしいから。
それに、スピーカーに盗聴器が仕掛けられているのなら、俺が部屋を調べた時に見つけられなかったのも納得が行った。
「それで、続けてくれないか?」
あの時、防音されているかを確認した時に、確かに佐久間さんは鼻を怪我した。
だが、首吊り死体の佐久間さんから外傷らしき痕は見つけられなかった。
もし佐久間さんが本物なら、少なくとも顔に外傷が無いとおかしい。
「それだけ、かな?」
どうして笑っているんだ。お前は。
この男の狙いは何?
悪魔の知恵を借りたかのような殺害方法は分かった。
「それに、由佳の部屋に入ったのは窓ガラスが割られたあの1回だけ。それなら由佳の部屋のどこかから、詩鶴さんの指紋が見つかる筈」
動機は一体何?
翔太君は分かっているの?
あの少ない手掛かりで?
「それに、佐久間さんの指紋も、由佳の部屋からは見つからない」
死亡推定時刻の割り出しと、指紋を死体から調べられないようにする目的もあると言う訳ね。
それは良い。
動機は何?
邪魔をしたくないから、言葉を飲み込んだけれど。
笑みを浮かべて翔太君を見ている、この男の殺害動機は?
「まだ言う事は?」
無音の空間に、殺笑が聞こえた。
「くっくっく……」
男は立ち上がり、翔太君を見た。
無意識の内に構えたのは、本能が危険を訴えたから。
「くっくっく……」
笑い声が大きくなって行く間、他の音と言えば、時計の秒針の僅かな音位だった。
「素晴らしい推理だ。吉野翔太」
私と由佳ちゃんに、男は順に視線を移した。
「更に鮎川由佳、桜庭楓。2人が重要な働きを、している」
本当に単純な賞賛をしているだけなのかすら怪しかった。
体が何かを拒絶している気がした。
こんな経験、初めてだけれど。
「な、何故だ! 何故こんな事をしたんだ! 俺はお前なんか知らない! お前に殺される覚えは無い!」
震えている御堂に、男はゆっくりと視線を移した。
例えるのであればそう。
重要な事を話そうとしているのに聞かない部下を、優しく窘める上司のように。
ドン。
心臓が跳ね上がるような轟音。
だけれどしっかり視線は捉えていた。
煙の上がった銃口。
何てことは無い表情の男。
そして。
さっきまで必死に無実を訴えようとしていた御堂が、物言わぬ死体となって倒れていた事を。
「誰が、喋って良いって、言った?」
由佳ちゃんと華村の悲鳴は、直前の轟音で上手く聞こえなかった。




