甜麺醤
中に入った先には、先程事情聴取をさせて頂いた堀川篤美、平野湖夜美を含めた7人がいた。
朗らかな笑顔の門倉秋穂。
お茶らけた外見ではあるが、こう見えて板前らしい志藤岳。
志藤を見て苦笑いしているのは扇原翼。
篠崎夕治は石崎聡子と何か話しているようだ。
「刑事さん。先程はどうも」
堀川が私に会釈した。
厨房での手際を少しだけしか見ていないが。
流石は総料理長を任されているだけはあった。
「先生。刑事がどうして?」
「紫音さんが殺されたらしいッスよ」
伝えて置いてくれと言った筈だが……まあ良い。
それとも、こうして全員の反応を見せようとしているのか。
……大した人だ。
「私は料理長と仕事をしていた」
全員に完璧なアリバイがあるのは確認済みだった。
殺された蓮見紫音は、たまたま仕事が休みだった。
ここまで都合良く、殺人が行えるものかと思ったが、ここ以外の人間に何も無かった。
それに、料理に毒を入れたのは何故かを考えた。
しかも、被害者自身が作ったであろう料理に。
毒殺するだけなら飲み物にでも入れれば済む話なのだ。
それをしなかったのは、出来なかったから。
刑事としての直感が告げていた。
吉野君は全員の様子を見ていた。
両小指を絡め、口元に手を当てているのは癖だろうか。
「まあまあ……」
「それでは始めましょう!」
手を叩き、堀川は研究会の始まりを告げた。
吉野君を見て首を傾げる堀川に自己紹介を済ませ。
料理研究会は開始された。
調味料を指差し、話し合っているのは平野さん、門倉さん、志藤さん。
……料理の時には自然と同年代同士で固まるのか。
そう言えば、どうしてこう言う集まりがあった時って、年代別に固まる傾向があるのだろうか。
……篠崎さんは中華鍋を豪快に振るっていた。
普段から作り慣れているのか、軽く20人前位はあるのだろうか。
ここで食べるのか?
対照的だったのは堀川さんと石崎さん。
中華スパイスを量っては戻すを繰り返し、慎重に計量している堀川さんの様子を、石崎さんは漏らさずメモしていた。
そして最後に扇原さんが皿に盛り付け。
ふむ……。
並べられた中華料理はどれも食欲をそそる香りと彩りだった。
「お待たせしました」
堀川さん。
俺を甘く見ては困ります。
こう見えて味にはうるさいんですよ俺は。
普通の食卓が既にプロの作る食卓ですからね。
腹減った。
俺の感想に凹まないで下さい皆さん。
口々に俺に何か言っているが気にしない。
……いっただっきまーす!
うーんこのチャーハンとかレタス入りが良過ぎる肉は避けてと豆腐もうめー!
何この豆腐の旨さ歯ごたえ油揚げじゃん肉食えないけど20人前位なら余裕で食えるガツガツガツガツ!
「今の下り何だったん!?」
「良い食べっぷりだねはは……」
だってんめーんだもん!
この中華サラダもやばいなあんにゃんにゃんにゃん!
「食べながら、蓮見さんの事についてお伺いしても?」
んめー!
殺された蓮見紫音について、単刀直入に聞いた。
「どう……勉強熱心な方でしたわ」
「そうですね。几帳面でした。 ……少し熱心すぎましたけど」
「手際の良さ、キッチンを綺麗に使う姿は常に勉強してたなー。俺雑だし」
「俺は色々お世話になったッスから、落ち込んでるッス」
「秋穂ちゃんには特に厳しかったよね」
個々で大きく違ったが、殺したい程憎んでいたかについては、皆共通して首を横に振った。
「無茶苦茶うまいです! 中華しかやらないんですか?」
吉野君……私が頼んだから何も言えないが、君は何しにここに来たんだ……。
3ヶ月ごとに、計12回に分けて様々な国の料理を研究するようだ。
前回はスペイン。
その前はイタリア。
そして今回の中華。
「あの時の岳の料理は食べない方が良さそうね。調味料の調合間違えてたし」
「ここの料理研究会では、食べ物本来の味を最大限に引き出す調合を行う」
扇原が締めくくった。
……結局大した事は分からず仕舞い。
と思ったが、吉野君は一瞬だけ真面目な表情を見せたのは、気のせいだろうか。
あの穀潰し。
うちが強盗に襲われた事、忘れてるんじゃないでしょうね……。
結局由佳ちゃんに(物凄く)懸命に説得され、代わりに由佳ちゃんに泊まりに来てもらったけれど。
……あの野郎連絡くらい寄越せってんだ。
車の走る音だけが車内に響いていた。
あれだけ料理を堪能していた吉野君が、黙り込んで考え事をしているようだったから。
右ウィンカーを点滅させ、右折すると、吉野君の住んでいるマンションが遠くに見えた。
……強盗犯さえも、まだ捕まっていない。
「調味料の調合から料理を作る」
扇原翼の話からして、間違いないだろう。
あそこで嘘をつく理由が思い当たらない。
「もしも、だけど。家での料理もそうしていたとしたら? ……本格的な料理じゃない。色々なタイミングで使えますよね? 調味料ぐらいだったら」
ハッとした。
もしかして……調味料の底に毒を盛れば、犯人さえも忘れた頃に、調味料が無くなるタイミングで被害者を殺せるのではないか?
しかも、蓮見紫音は几帳面だったと証言していた。
そんな彼女なら、空の容器をどうする?
「無くなった容器は、被害者によって捨てられる」
……しかし、それだと大きな問題があった。
どうやって被害者に毒入り容器を渡す事が出来たのか。
……不可能だった。
「どうして不可能なんですか?」
「あそこの料理仲間は、料理研究以外で会う事は無い。且つお土産等のやり取りも全く無いようだ。そんな状態で毒は仕込めないだろう」
自宅のマンションを見上げ、また壁が立ちはだかった。
互いの自宅さえも知らないだろう。
……料理を研究するだけの間柄、と言う訳か。
だとしたら……他に蓮見さんに恨みのあるような人物がいるのではないか。
そんな可能性しか思い浮かばなかった。
帰って来るなりかまされたダブルローリングソバットがとてつもなく痛かった。
古びた2階建てのアパート。
203号室の扉に篠崎のプレートがあった。
篠崎夕冶の自宅だ。
雀の鳴き声に、倒れる音が重なった。
部屋の中は、男の一人暮らしらしい散らかった部屋だった。
唯一綺麗だったのはキッチンとテーブル。
キュウリと薬味、調味料が乗った皿に、焼酎が入ったグラス。
居酒屋で店長をしている篠崎にとっては、いつもの晩酌だった。
いつもと違ったのは、篠崎自身が喉元を抑え、仰向けに倒れている事だった。
2人目の、犠牲者。
倉田さんから連絡を受け、走った。
篠崎さんが、死んだ。
篠崎さんの遺体は無かったが、部屋の中に他に誰かがいた形跡はまるで無かった。
毒物が入っているだろう容器を優先して探させていると倉田さんが言った。
やりきれない思いが募った。
「あのー。お届け物なのですが……」
こんな時間に?
予感と言うだけで、良い事なんて連想できなかった。
小包を見て目を見開いた。
自動人形の願い。
人形。
紛れも無く、写真で見た実物だった。
蓮見家自宅の郵便受けに入っていたもの。
絶対にどこかに毒物が入った何かがある筈。
篠崎さんは何を食べた?
キュウリ。生姜。
……この赤茶色のは……ハッとした。
「警部、これを!」
袋に入っていたのは、中華調味料の瓶だろうか。
甜麺醤……。
「容器から毒物反応が出ました!」
この容器に入っていた毒が凶器か。
……しかし、何故?
「甜麺醤?」
甘めの中国味噌。
……麻婆豆腐とかの調味料に、豆板醤と一緒にも入れられる。
だがこれではっきりした。
毒を入れたのは被害者本人。
この容器の恐らく底に仕込まれていた事が。
「蓮見さんは几帳面で、掃除を欠かさなかった。恐らく空になった瓶をすぐにゴミに出してしまっていた……と言う事か」
そして、昨日会った容疑者の中に犯人がいると考えて間違いない。
……2人の共通点が、この事件ではっきりしたから。
被害者自身に服毒させ、まんまと死に追いやるようなやり方。
まるで悪魔の断罪。
絶対に許さねぇ……。
「容疑者に事情聴取を! 急げ!」
いや倉田さん。
その前にやれる事がありました。




