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ご都合主義的に流れるように情報収集なんてできるわけないと思うかもしれないけれど、これはこれで立派な技術なんです。うまくはまらないと、沈黙がおちますが。

 呼びかけても声は届かない。

 彼の目には自分の姿は映らない。

 何度も繰り返した。

 きっと、もう二度と言葉を交わすことはできないのだろう。

 それでもかまわない。


 ある意味あきらめているのと同じ繰り返しを行ったが、今日も彼は気付かずに出かけて行った。

 いつものように思いつめた悲しげな表情のまま。


 家の前に立つだけの男は、息子の乗る車が走っていった先を見つめていた視線を、再び家の方に戻したところで、背中に声がかかった。


「こんにちは」


 すでに近所の人がお互いに挨拶をしているだけのものが、自分に向けられているわけではないことを理解している彼は、その言葉に振り返りはしなかった。

 今、自分の言葉が聞こえ、姿が見えるのは彼女だけのようだとわかってはいても、見知った人達が、素知らぬ顔で通り過ぎていくのを見送るのはやはりさびしさを感じるものだ。

 だから、聞き覚えはない男の声にも振り向かず、家をただ見つめていた。


「石山さん、ダメっすよ。聞こえてないんじゃないっすか」


「猫田さん、一度で決めつけちゃダメですよ」


 後ろでそんな会話が行われた後、今度はハッキリと声がかかる。


「桜井さん、急にお声掛けすみません。聞こえてらっしゃいますか?」


 自分の名前が呼ばれた。

 息子は先ほど出て行った以上、インターホンの向こう側に話しかけているわけでもない。


「はい」


 もう水を必要としない身でありながらも、緊張で喉の奥がからからに乾くような思いはするのだなと、そんなことをちらりと考えながら、男性は振り返った。


「こんにちは。桜井さんでよろしいですか?」


 我が家と外を隔てる門扉の向こう側に、男女が立ってまっすぐと自分に目線を向けている。

 彼らは確かに、彼女と同じように自分を見ている。そう思ったときに出た言葉は、ありふれたものだった。


「あなた方、私が見えるのですか」


 陳腐な言葉だ。

 様々な創作物を読んだときに、言い回しこそ違うが幽霊となった登場人物が発する言葉は、大体これであった。

 しかし、確かにこの場合、これ以上に適した言葉はないだろう。

 この一言にさえ、本当に様々な感情が込められているものなのだと、自分の身になってはじめてわかることはこんな状態でもまだあるのだと、思い知る。


「はい。はじめまして桜井さん。私は、主に彷徨い人の訪問支援や同行援助を行っております。特定非営利活動法人ほおずき、彷徨い人支援員の石山大吾と申します」


 石山は、懐から名刺入れではなくネックストラップ付の名札を取り出して、名前と写真のある面を桜井に向ける。


「あ」


「こちらは、同じく支援員の猫田です」


 石山があいさつしたのに合わせ、自分もと猫田が口を開こうとするのを手で制し、改めて猫田を手で示しながら紹介を行う。


「ご丁寧にどうも。私は」


 桜井が、石山のあいさつにまだ戸惑いを隠せず、ぎくしゃくと頭を下げるところで、笑顔を浮かべていた石山の視線が素早く動く。


「お呼び頂いた通り、桜井と言います。いや、すみません。今の私とお話しできる方が、他にもいるとは思ってもいなかったものですから、緊張してしまって」


 猫田は、桜井の他にもいるとの言葉に、自分の持つ鞄に目を落とし、中身の一つを頭に浮かべる。石山から持たされたこれは、この穏やかな男性とどう結びつくのだろうか。


「いえ。こうやって町を回って直に伺うのも私たちの義務の一つでして、急なお声かけ申し訳ありません。何か、お困りのことがあればお話だけでも伺えませんか」


「すみません。私自身どういったことでこうなっているのか、全くわからない状態でして」


「それは当然のことです。すみませんが、お邪魔させていただいてもよろしいですか」


「来客の予定はありましたが、振られてしまったようですし、どうぞ」


 門扉ではなく、先ほど智彦が車に乗って出ていった駐車場口を手で示して、桜井が更に言葉を連ねる。


「ただ、石山さん、はじめから通りがかったのではなく、きっとわざわざ訪ねて来てくださったのですよね。お気遣いありがとうございます」


「話ができるだけじゃなく、なんか考えたりとかも普通にできるっすか。はは、まじありえないっす」


「猫田さん、質問は後で受け付けてあげますから、今は実地研修です。後ろでしっかり聞いていてくださいね」


 本当なら、桜井氏に話しかける前の時点で、注意をしていてほしかったが、それでも名乗ろうとしただけで制止された時点で、自分が声を発することに何か不都合があるのかと、色々のみこんで黙っていた猫田が、思わず呆然とつぶやくと、即座に石山が釘をさす。


 ただ、石山としても、本来であれば訪問前に色々と説明するべき事項があったなと反省している。

 しかし、桜井と話を始めてしまった以上、ここで黙っていてほしい説明をするわけにもいかない。とりあえず、そこで聞いていてほしい旨を伝えるしかないと、片手を顔の前にあげ、軽く頭を下げながらの発言である。

 いくら、予定外の緊急対応とは言え、個人で動いているわけではないということを、わかっているつもりで全くわかっていなかったと気を引き締めて、また、桜井に向きなおる。


「すみません。では、失礼します」


 石山はそう答えた後、駐車場口に回ってから一礼し、敷地内に入る。

 そして、猫田の方を向くと、駐車場口を指差し、同じように頭を下げてから入るように促す。

 桜井は、その様子には何も口を挟まずに、庭にある4人分の椅子が周りを囲むガーデンテーブルの横に立ち、石山達に席を勧める。

 猫田に座る椅子をしめしてから、石山も勧めに応じて席に座ると、桜井もゆっくりと1つだけ座りやすいようにか、椅子が引いて置かれていた箇所に腰を下ろす。


「では、改めて彷徨い人支援員の石山と言います。本日は、急な訪問大変申し訳ありません」


「いえ。私もこんな状態です。何か助けがあるのだとしても、こちらからの発意でお伺いすることが難しいところでした。これはどうしたものかと困惑しながら過ごしていたところをおたずねいただき、大変安堵しております」


 早速交わされる挨拶に、猫田は両者のやり取りを目を丸くして見つめている。

 まだ彷徨い人関連の専門用語が交わされている訳でもないことぐらいは何とかわかる。何やら挨拶をしている様子なこともわかるが、お互いに頭を下げながらやりとりする言葉の長さに理解が追い付かず、石山に合わせて頭を下げることもままならない。


「色々とご不安をかかえていらっしゃったんですね。お話を伺い少しでもその解消のお手伝いが出来るよう、微力を尽くさせていただきます」


 石山はノートを取りながらお話伺わせていただきますね。と続けながら、持参したカバンからノートとボールペンを取り出し、日付などを口に出しながら記入していく。


「そうですか。もうそんなになりますか」


「はい。随分と日が長くなりましたよね」


 それを聞いた桜井が、視線を家や庭に向けながら感慨深げにつぶやく。

 そして、その様子を見た石山は、相槌を打ちながら日付の横に△を書き込んでいく。

 猫田はそのやり取りに首をかしげながらも、あとで覚えられていたら質問しようと、しっかりと膝に手を置いて見守っている。


「桜井さんがここで庭を見るようになってから、どのぐらいかはわかりますか?」


「桜美公園に」


 桜井は、視線を宙に上げ目を細めて公園の名前を挙げた後、すぐに苦笑しながら首を振る。

 猫田は、彷徨い人が考える仕草までしていることに最早叫び声を上げるしかないほどの衝動を抱くも、思わず口を開いてしまわないように慌てて右手でふたをする。


「いえ、名前だけお伝えしてもわかりませんね。あちらにある公園の桜が咲いていました」


「桜の時期ですか。ちょうど通りがかったのですが、あの公園は桜の木ばかりでしたね。春になったら素敵でしょう」


 メモを取りながら答える石山に、桜井は目を細めて嬉しそうに微笑みながら何度もうなずく。


「ええ。息子が生まれる時にこの家を買ったのですが、それがちょうど桜の咲いた時期でしてね。桜が美しい公園の名に恥じない素晴らしい景色に、妻が一目惚れしたんですよ」


「なるほど。お庭も素晴らしいですし、ガーデニングが得意な奥様なんですね」


 正直、石山に庭の良しあしはわからない。

 だが、夏場にたまに手伝わされる雑草取りは、この庭の半分ほどもない範囲であっても、抜いていい草とそうでない草を見分けるのも合わせて、非常に困難な作業である。

  だが、見たところこの庭の雑草などはしっかりと抜かれ、いくつかの花が配置を考えられて咲いている様子に、ただ感心するしかなく口にする。


「妻の後を引き継いで、見よう見まねで息子と一緒に最低限の手入れをしていただけですが、そう言っていただけると嬉しいです」


「そうなんですか。いや、見よう見まねでこれだけやれれば素晴らしいです。私なんて、同僚からもらったたまにしか水をやらなくていいとかいう観葉植物でも枯らしてしまうぐらいでして」


「私も、そんな感じでした。妻が亡くなってから同僚の生物担当の先生なんかに聞きましたよ。その時の彼には、先生、確かに私は生物担当だけど、植物育てるのの専門家ではないんですよ。庭いじりなら、教務主任のほうがお好きですよ。なんて言われましたね」


 石山はそこからさらに、流れるように桜井の生前の職場について会話をつなげていく。

 まるで脚本があるかのようにかみ合った2人のやり取りに、これは、会話に混ざらくていいと言われていたことに、ただただ安堵する猫田。どう考えても、これに混ざる知識も、経験も自分にはない。間違っても話が振られることがないよう、風景に溶け込むことができないかと明後日の方向に意識が向き始める。


 そして、ふと思う。

 石山さん、まだ制度の話なんもしてないじゃないっすかと。

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