明確な線引きが難しい物事でも、説明の時には一定の線引きをせざるを得ない。でも、それがまた困惑を生むわけで。
「いやあ、持つべきものは波多野さんとの知己ですね」
スマホ上に地図を表示しながら、のんきに石山が道を確認している。
公園の先、住宅街の中に目的地はあるとの情報を聞き、そこに猫田とともに向かっているのである。
「むしろ、波多野さんて何者なんすっか。しゃべっても平気だったり、さっきの若い男の人の名前も家も知ってたし、ついでに地域の自治会長とかみんせいなんとかってのっすか」
「民生委員さんですね」
「そうそれっす」
「民生委員さんていうのは、地域においておきる困りごとに対応する自助、共助、公助のうち、共助を担当する仕組みの1つを担ってらっしゃる方です。支援法では、地域に溶け込んで過ごそうとされている彷徨い人を援助することが多いので、必要があればご挨拶に伺うんですよ」
「そういうもんなんっすか」
「猫田さん、普段のお仕事で、市街地に放置されて穢れをためた場所なんかを浄化活動とかしたことありませんか?」
「ああ、もちろんあるっすよ」
大変だったケースを思い出しているのか、空き家に挟まれ忘れ去られていた社の処理は大変でしたと続ける猫田は、石山のそんなことも知らないなんてありえるのかという声にされていない疑問は届いていないようだ。
「そのとき、自治会長さんとかに立ち合いとかお願いしませんでしたか?」
石山の記憶が正しければ、市街地における強制対応は、地区の住民等の申し立て等によって行われると保護法に定められている。そのため、作業前と作業後の記録写真とともに、地域の代表の立ち合いを求めることが原則とされているはずである。そうでなくても、最悪作業終了の確認印は必須である。
「んー。覚えないっすね」
猫田が知らないだけなのか、立ち合い等を求めずに作業を行っていたのかはわからないが、いくら現場の作業員とはいえ、ここまで知識を与えずに従事させていたのであれば、限りなく黒に近いと感じる。
この事業に携わる絶対数の少なさから、軽微な法令違反であれば、見逃されるだろうと故意にそういったことを繰り返す事業所もあるという噂も聞く。
だが、実際に石山個人が付き合いのある行政職員には、現場のことをよく理解している者も多いし、また現場を知らないということを理解している職員も多い。だからこそ、そういった事をなあなあで済ませる人は皆無であるため、見逃されていると言うよりは、事業所側の隠ぺいがうまいということなのだろう。
「所長に報告だけ入れておきますか」
とはいえ、他の事業所のあら捜しをする暇があれば、自分の事業所のサービスがよくなるほうに頭を使えと言う鬼塚女史のことである。特別研修で受け入れた関係先とはいえ、それほどの興味を持つとは考えづらい。事実がどうあれ、そうそう首を突っ込むような事態にはならないだろう。
どうなるのであれ、報告から先に自分が首を突っ込むことはそうそうないと、考えを切り替えたところに、猫田が口を開く。
「ところで、まずはどこに向かっているんっすか?」
「まずは、桜井智彦さん。先程の男性の家に向かう予定です」
「その後、自治会長とかのとこにいくんっすか?」
「そちらの方は、必要に応じてですね。出来れば、必要ないのが一番ですが」
そもそも、訪問支援を主とする石山が強制対応に踏み切ることはほぼないのだが、その辺はまたややこしい法令解釈を交えた説明になるため省き、歩いて行った先、先ほどの公園から10分ほどの場所に目的の場所はあった。
古すぎもせず、新しくもない一戸建て。建売の住宅団地として造成されたのか、似たような建物が並ぶ中の一軒。
家の前には、きれいに手入れをされ、白いガーデンテーブルと椅子が置かれた庭、向かって左側にある駐車場には、登録上では4人乗りだが、両側に1つずつしかドアのない特徴的な車が横に止まっている他は、両隣とほとんど変わらない。車庫側から回ってしまえば関係のない門もしっかりあり、表札には確かに桜井と書かれているのが遠目でも確認できる。
「穢れが出てそうな家にはとても見えないっすね」
先ほど、智彦はこちらのほうに来ていたはずなので、在宅している可能性も高いため、表札だけ確認して、向かい側の通りの3件向こうという家の様子をうかがうには最適の場所にあった小さな公園へと移動すると、猫田がそう切り出した。
「こればっかりは、彷徨い人と違って肉眼では確認できませんからね」
彷徨い人は、何故か彷徨い人三法関連の職についてない人には基本的には見えていない。
正確に言えば、瞳には映っているが、認識ができないと言われている。ある保護法関連の職員は、彷徨い人か、残された人のどちらかが、見たいと心から祈らないと会うことが出来ないと言うし、ある超常心理学者は、彷徨い人が見えない人というのは、複数の見方があるだまし絵の1つの姿しか見ることが出来ない人なのだと言う。
それに比べて、穢れは間接的な方法で視認することは出来るものの、もっと曖昧なものなのである。これについては、実際のところどういった違いがあるのかを明確に説明できるものはいないのではあるが。
「そうっすよねー。ところで石山さん、あの庭のあたりで家の中を見ているおじいさん何者っすかね」
猫田が言う通り、確かに一人の初老の男性が庭に立って家の中をのぞいているのが石山にも見えた。
「ああ、あれが」
件の桜井先生だろうと続けようとしたところで、ちょうど桜井家の玄関扉が開き、先ほど公園で言い争っていた男性、智彦が眉間にしわを寄せ、唇をかみしめながら出てきた。
家の中をのぞいていた男性は、智彦のほうに顔を向け、大げさな身振りをしながら話しかけるが、それに全く気付いてないかのように車のドアを開けて乗り込み、エンジンをスタートする。
男性は、尚も大げさに体を動かしながら、なんとか自分を向いてほしいのだろう。車に近づくが、運転席でハンドルを握った智彦はそちらに一瞥もくれずに、車を発進させる。
急発進ではないが、近づこうとしていたところに車が動き出したのにびっくりしたのか、男性は後ろによろめいて立っていられず、しりもちをついたところで、猫田が瞬間的に沸騰する。
「あんな風に無視するなんてひどいっす!! あいつとっちめます!!!!」
「いやいや、見えてないんだから無視じゃないですよ」
本当に飛び出しそうになる猫田の肩を石山が抑えると、怒りの方向をそのまま反転させてくってかかる。
「あんなにはっきり見えてるのに、見えてないとかどういうことっすか!?」
「私に食って掛かられても困りますが、あの方が件の桜井先生でしょうね。智彦さんには姿は見えてないし、声も聞こえてないみたいでしたし」
猫田を止めるために肩においた手を払っただけでなく、手首をつかんで力を入れられている状況はとりあえず横に置き、石山は自分から見えている状況を説明する。
「あんなん無視してたに決まってるじゃないっすか!!」
「いえ、そう見えても仕方ないですが、間違いなくあの方は彷徨い人ですよ」
興奮して続ける猫田に対し、その気持ちを理解しながらもゆっくりと首を横に振って訂正する石山。
その姿に、自分がおかしいのかと猫田は、背後となった桜井家に首だけ巡らせて視線を向ける。
先ほど転んで尻餅をついていた男性が、立ち上がっており、門扉に手をかけて走り去っていった車の方向を見ている姿は、とても猫田の知る彷徨い人とは一致しない。
「あんなにハッキリ見えてるのに、彷徨い人なんすか!?」
「ハッキリ見えるうえに、会話が通じる波多野さんと、先ほどまでやり取りしてたばっかりじゃないですか」
「波多野さんだけが特別中の特別ってことで、無理やり納得してたんすよ」
実際に目にしたものを否定しても仕方ない。世の中にはああいうこともあるのだろう。ただ、この研修中にお目にかかることはもうないだろう。で納得したつもりだったが、まさか当日中に崩れ去る程度の物とは思ってもいなかったのである。
「まあ、波多野さんが特別中の特別なことに異論はないんですが、私達にハッキリ見えるぐらいならよくあることですから、気にしないでください」
「そんなによくあることなんすね」
「そうですね。亡くなった人換算でいくと大体1,000人に1人ぐらいの確率ですね」
「確率で言ったら0.01%じゃないすか」
「人口ベースで考えると政令指定都市クラスなら、市内に1,000人は普通にいらっしゃる計算になりますし、間違っても少ないとは言えない数ですけどね」
実はこの数字、政令指定都市の住民数、つまり生きている人間の数で計算しているため、実際にはもっともっと少ないのだが、実際にそのぐらいの人数が亡くなったのであれば、それぐらいの数がハッキリ見える彷徨い人になるため、嘘とは言い難いはぐらかしなのだが、猫田はそれで納得したようだ。
「そんなにいるんすか」
「まあ、あまりに古い彷徨い人さんは、支援を受けるというよりも、祀られるべき存在に昇華されてますけどね」
荒魂や和魂などと言った祖霊の話に踏み込んでも、猫田をさらに混乱させるだけと、説明を切り上げて石山は桜井家に向かって歩き始めた。
「あっと、息子さんいなくなったのに桜井さん家に行ってどうするんすか?」
「もう1人、お話を伺えそうな方がいらっしゃるじゃないですか」
「だから、彷徨い人さんとお話しするなんて発想はどこから生まれてくるんですか」
そもそも、彷徨い人と意思疎通できるなどと考えたこともなかった猫田には、その発想からしてついていけない。
しかし、法律云々とは無関係に最初の立ち位置が違う石山には、その発想こそが、彷徨い人支援をする上での意識の転換になるとの確信がある。
「それは簡単。彷徨い人さんにも、意思がある。意思があるのであれば、本人の自己決定を大事に、支援方針を決定しなければいけないという考えからですね」
とても大事なことだから、後でゆっくりと考えてみてください。
ただ伝えるだけではなく、相手の理解できるように話し、相手が納得できる時間をおき、相手が自分のものにできるように整理するためには、この研修時間は短すぎる。それゆえに、この要点がどう伝わったかを明日確認しようと思いながら、最後の一言を付け加える。
「よくわかんないけど、わかったっす」
石山は、相変わらず穏やかにしゃべっているのは変わらないのに、こめられた意思にすっと背筋が寒くなるのを感じながら、猫田が神妙そうにうなずく。
「すぐにはわからなくても当然ですよ。でも、意味がわかったら、もっと単純に、もっと深く、相手のことを理解しようと思えますよ」
「理解できるわけではないんすか」
理解しようと思えるとの言葉に、こういった言い方をするなら、普通は理解できるとか、スキルアップ的な説明するものではないかと猫田は首をかしげる。
「人が人を理解するなんて、そうそう出来ることではないですよ。それは、彷徨い人のように、生きている時を覚えているように見えて、実は色々欠けてしまっている人であっても、一緒です。だから、できるだけコミュニケーションをとって理解しようと努めるんですよ」
「なんか哲学的っすね」
「思想や理念ではなく、実務を説いてるつもりなんですが、どうもそう伝わらないんですよね。これ」
まあ、そのうち猫田さんならわかると思いますよ。とだけ続け、石山は桜井家の前で立ち止まる。




