法律厨は、新人にトイレ清掃をさせるが、これはハラスメントではない。
「石山さん。そういえばこの作業。確か彷徨い人さんのいるところを清めるって話でっしたよね」
「はい。そうですよ。今綺麗にしてますね」
「綺麗には確かになってまっすけどー」
「何か疑問でもあるんですか?」
「このどこにでもあるような公園のトイレのどこが、彷徨える魂の御座なんっすか!?」
挨拶用に着てきたスーツから、おろしたての作業着に着替えた猫田は、両手にゴム手袋をはめ、なぜか非常に慣れた手つきで清掃をしながら疑問を叫ぶ。
「今更? 結構ノリノリで楽しそうに作業に入って、もうほとんど浄化終わったこのタイミングで、今更質問ですか?」
石山としては、連れてきてまずツッコミがあるだろうと思っていた。
しかし、猫田は自分だけのものと言われて渡された真新しい作業着にテンションが上がり、どんなきつい作業でもやってやるという意気込みで現場に到着したため、今の今まで自分のしていることへの疑問が沸かなかったのである。
そのため、当初石山が想定していたやり取りとは真逆に、自分の方が猫田のボケにツッコミをいれることになる。
「いや、そこはなんて言うか、自分で買わないお古じゃない服なんて、ちっちゃな頃からほとんどないことだったんで、つい気持ちが盛り上がっちゃって」
照れ笑いしながら疑問が沸くのが遅れた理由を言う猫田の姿に、踏み込んではいけない何かを感じ取り、石山は、早速心の中の対猫田NG対応方法リストに記録する。
ついでに自分から言うまでは家庭環境や、自分の家族についても話題から外すように決める。
「そう言えば、随分トイレ掃除上手ですね。正直、手伝ってもらったら怒り出すかと思ってたぐらいなんですが」
「ああ。お母さんと住んでたとこの共同トイレの掃除係、私が担当だったんす。キレイにすると、職員さんからスッゴくほめてもらえてたんすよ」
そして、話題を変えてみたが、返ってきた答えから、またしても地雷臭が漂いまくっている。そういう境遇にあったこと自体は、彼女に全く責任があるわけではないのだが、こういった話題は本人がどういう人かを知った上でないと、一緒に仕事する仲間としてはなかなか口にしにくい。
「彷徨える魂の御座の話だったよね」
「うっす。排除課では主に朽ち果てた祠なんかの穢れ神を相手してたんで、御座ぐらいは知ってるっす」
そんなわけで、猫田からされた質問の確認にはいる。多少強引な流れではあるが、再度同じ話題を振られても出来るだけスルーすることにして、食い下がられたら、そこで対応をしようと思考を先送りする。
「猫田さんの職場では、御座のことをどんな風に認識しているんですか?」
こういった法律用語というものは、用語自体は法律によって規定され、それが複数の法律にまたがって使用されていても、どのような形で条文や、通知に登場するかによって、意味合いこそ変わらなくても受けるイメージが違ってしまうことがある。そのため、猫田がどのようにこの言葉を認識しているのかを確認し、どう話を進めていくかを図るために質問する。
ここで疑問に思うかもしれないが、彷徨える魂の御座という言葉は、特定の宗教色の強い単語に感じるだろうが、れっきとした法律用語である。
三法に使用される用語のほとんどは、三法のうちに最も古く施行された彷徨い人保護法の成立過程で決定しているのだが、その際、法律制定に協力したのが日本古来からある宗教関係の方々であったため、他の宗教における死生観にはあまり配慮されていない。よって、この単語で定着してしまったのである。その後、様々な宗教や死生観をもつ人も増え、よりふさわしい言葉がないかという議論もあったし、今もされているのではあるが、現状ではそのまま使用されている。
「彷徨い人は、この世に未練とか、心残りを残した魂がなるっす。で、その魂をまとめて祠とかに入れてまつって、災いを起こさないようにお願いするのが御座っす」
果たして、猫田は胸を張りながら少しぐらいは知識があるところが見せられただろうとどや顔を決めている。
「なるほど。続けてください」
「はい。で、御座を祭る人がいなくなると、穢れを溜め込んで祟るんっす。だから、ほら。ここが御座なんておかしいじゃないっすか。こんなとこにまつられて喜ぶ人達なんていないっすよ」
「確かに特別措置法って、指定継続要件を満たせないと判断された御座や、違法御座の摘発と撤去を緊急に対策しなきゃいけないとして生まれましたね」
「でっすよ! だから、さすがに私だって、ここが御座じゃないぐらいはわかるっすよ!!」
「いえ。御座ですよ」
猫田の御座に関する認識を大体把握し、間違っているわけではないが、基礎知識が古いのだと理解した石山は、全く勉強をしてないわけではないのだなと思いながら、ゆっくりと首を横に振って猫田の言葉を否定した。
「そんな訳ないじゃないっすか!!」
「御座として指定される要件が、支援法の整備によって大きく変わったんですよ。彷徨い人関連三法にかかる特定小規模御座として見做す状態についてっていう関連通知って知ってます?」
支援法が成立してから疑問が上がるようになったケースに対して、なし崩し的に現場での対応を追認する形になった通知なのであるが、そもそも支援法関連事業所でないと目にする機会は少ないかもしれないとは思いながらも、一応聞いてみる。
「ごめんなさっい。言葉が難しすぎてそもそも何言ってるか変換されないっす」
「一応、誤解を生まないように難しく説明しますね。支援法成立過程に審議される事となった、保護法や特別措置法成立時点においては、ごく少数であった特定の信教を持たずに彷徨い人となった者について」
「ちょっ、ちょっと待ってくれっす!! 何言ってるか欠片も理解できないっす!! 誤解したら否定してくれれば訂正しますから、是非簡単にお願いするっす」
持参したペットボトルの水を使って、トイレの便器に水を流しながら、何でもないことのように石山が専門用語を垂れ流すのを、猫田が慌てて止める。
「そうですか? ちゃんと覚えた方がいいと思いますけど」
「無理っす。ちゃんと書類見せられてもすぐ眠くなること間違いなしな内容を、口で言われて理解とか不可能っす。むしろ、石山さんはなんでトイレ掃除しながら、世間話のようにそんな小難しい話出来るっすか!?」
「まあ、それが仕事ですから」
ゴム手袋を外し、胸ポケットからケースに入った白い付箋のようなものを取り出し、1枚ずつ剥がして便器の中に貼り、青く色が変わったのを確認して記録用紙にチェックを入れながら会話を続ける。
「いや、その論理はおかしいっす。普通現場の人間は、自分のやらなきゃいけないことだけ覚えるもんて聞いてるっす。もしかして、支援法の事業所の人って、みんな石山さんとか鬼塚さんみないなんっすか?」
「さあ。残念ながらうちって、他の事業所とほぼやり取りないんで」
「石山さん達が少数派であることを祈るっす」
「市役所の実地指導担当なら、このぐらい当然出来ますよ」
「役所の人は、それこそ仕事じゃないっすか。しかも、ベテランじゃなきゃ出来ないとか」
「そりゃあ、役所の方は色んなとこ回ってますから、畑違いから来た方よりは、曲がりなりにも専門家である私のほうが知識あって当然ですよ」
「もうその話はいいっす」
「そうですか? では、作業を続けましょうか」
「うっす」
便器などの浄化は終わったので、後はトイレ入り口付近の片付けだけである。
そのあたりは猫田に任せて、今度は腰から懐中電灯を取り出し、青い光を往復させながら、それにあわせて視線を動かす。
何度かトイレ全体を確認した後、再び記録用紙にチェックを入れ、猫田に声をかける。
「はい。猫田さん、もう終わりにしていいですよ」
「いやあ、きれいになったっすねーって、違うっす。何当初の話題なかったことにしてるっすか!」
ゴム手袋を外し、浄化道具と説明された清掃用具とは別においてあったカバンからタオルを取り出し、汗を拭きながら達成感を味わっていた猫田は、唐突に自分の疑問が何一つ解消してなかったことに気づいて声を上げる。
「浄化終わったタイミングで思い出しますか」
「くそっ。騙されたっす!」
「だから、騙してませんて」
「じゃあ、証拠見せるっすよ! 今すぐ!」
さあさあさあと、距離をとろうとする石山に詰め寄っていく猫田。
「大丈夫ですから。ちょうど、作業終了の確認サインもいただきますし、すぐにご紹介しますから」
そう言うと、石山は公衆トイレのすぐそば。木で出来たベンチに座って、2人の方を向いてニコニコとしている老齢の男性の元に向かう。
何度かトイレと外を往復していたが、先程までは、そこには男性はおろか、ベンチもなかったはずである。それははっきりと言えるのだが、急に現れた老人とベンチに、畏怖や恐怖、不安感といったものは湧いてこない。
今まで排除課関係で目にしてきたそれらとは違い、表情も穏やかで服装も現代的なキレイな格好をしているが、その纏う雰囲気から間違いなくその男性が彷徨い人だと、猫田も確信する。
「波多野さん、浄化終わりました」
「はい。今日は随分可愛らしいお連れさんがいるんですね」
石山が差し出したボールペンで、同じく渡されたクリップボードに挟まれた書類。活動記録の確認者の欄に名前を書いてから、波多野と呼ばれた彷徨い人は、猫田に視線を向ける。
「研修で来ている猫田さんです。猫田さん、こちら、ここを御座としている波多野さんです」
「あ。猫田と言いまっす。よろしくお願いしまっす」
彷徨い人と会話によるコミュニケーションをとっているという、日頃の業務では有り得ないというか、厳禁とされている行為なのだが、あまりにも自然にしている石山の姿もあり、混乱しながら挨拶をしてしまう。
「あ、あの、石山さん。あの彷徨い人との会話は」
「ああ。保護法や措置法対象の方とは違うので、お話してもらっても大丈夫ですよ。詳しく説明します?」
「石山さんが平気って言うなら気にしないっす!!」
どうせ理解できないのだし、頭を使うだけ無駄と両手を前に出して石山の説明を拒否する。
「そうですか。残念です」
保護法、措置法の対象の方にどうして話しかけない方がいいのかは、実は個別具体例で理由が違うし、そもそも、コミュニケーションが全く成立しないわけではないことも含めて、波多野さんとの会話が問題ない理由を説明しようとしていた石山が肩を落とす。
「石山さん」
そこに普段は自分からは話しかけようとはしない波多野から声がかかる。
「はい。どうしましたか? 波多野さん」
トイレをというか、この公園自体を御座としている波多野の目から見て、どこかに別途浄化したほうが良い場所でもあったのだろうかと、石山が視線を向けると、果たして波多野が公園の一角を指さしていた。
「どうして父さんと話しているんだ!!」
「先生は私の恩師です!! なんで話しちゃいけないんですか!!」
線の細い男性と、スケッチブックを抱えた女性がそこで言い争っていた。
「あれ、あのままだといけません」
先程までの笑顔から一転、かなり厳しい視線をむける波多野の表情に、腰につけていた懐中電灯を向けてスイッチを入れる。
「波多野さん、ありがとうございます。猫田さん、ちょっと行きますよ」
「へ? あ、了解っす。波多野さん、失礼しまっす」
石山にあわせて、波多野に会釈し、猫田も揉めているように見える二人の元へ向かっていった。




