### 第72話:遠征前の決意
### 第72話:遠征前の決意
練習試合の打診を受けてからの数日間、特設コートの空気はそれまでとは明らかに違っていた。
ただ基礎を反復し、自分の体をコントロールすることに必死だった時期を抜け出し、僕たちの頭の中には明確な「対戦相手」の姿が存在している。来週の土曜日に迫った隣町の総合スポーツセンターへの遠征。そこには、競技用車いすを自在に操り、数々の修羅場を潜り抜けてきたジュニアの強豪たちが待ち構えているのだ。
「そこ、重心が左に逃げてるぞ! 相手がストレートに厳しく突いてきたら一撃で抜かれる場面だ!」
一ノ瀬コーチの容赦ないゲキが飛ぶ。
実戦形式のラリーの最中、僕はコーチの配球に食らいつきながら、歯を食いしばって車体を滑らせた。
野田さんに調整してもらったマットブラックの車いすは相変わらず最高のレスポンスを返してくれるが、それを使いこなすためのフィジカルと判断力は、まだ僕自身の努力で引き上げ続けなければならない。
パァンッ!
狙いすましたバックハンドのクロスが、風を切るように相手コートの深部へと走る。
しかし、コーチは満足するどころか、さらに厳しく目を光らせた。
「悪くはない。だが、相手はもっと速いテンポで、この甘い戻りを容赦なく突いてくる。本番を想定しろ!」
「はいっ!」
息を荒げながらも、僕はすぐに体勢を立て直して次の球に備える。
最初の大会で味わった、何もできずにコートの隅で立ち尽くしたあの絶望感。あのとき流した悔し涙が、今の僕を突き動かす原動力になっていた。僕たちはもう、あの日の「ただの初心者」ではない。身体の軸を鍛え上げ、最高の相棒を整え、二人の仲間と共に泥臭く這い上がってきた挑戦者だ。
ふと視線を向けると、隣のコートでも翔太が鬼気迫る表情でラリーを続けていた。
「うおらぁっ!」
翔太のラケットから放たれた強烈なショットが、ネットスレスレを捉えて綺麗な軌道を描く。
最初の頃に見られた、力任せに振るだけの粗削りなスイングは影を潜め、しっかりと体幹で受け止めた上での重い打球へと進化していた。彼もまた、あの日の悔しさを胸に、自分自身の限界を突破しようとしているのだ。
練習の終わり、夕暮れに染まるコートで、僕たちは汗を拭いながら並んで座った。
お互いに荒い息をつきながらも、その表情には恐怖や不安ではなく、未知の強敵に挑むための静かな闘志が宿っていた。
「いよいよだな、瀬戸」
翔太が前を真っ直ぐに見据えたまま、ぽつりと言った。
「ああ。今度こそ、僕たちのテニスを全部叩き込んでやる」
最初の大会での敗北から始まった物語は、いよいよ外の世界という本格的な舞台へと動き出す。
鍛え上げた身体、最適化された相棒、そして決して折れない心。すべてを乗せた僕たちの車いすは、来るべき決戦の日へ向けて、確かな速度で加速し続けていた。




