### 第4話:重なる軌道
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### 第4話:重なる軌道
翌日のリハビリ室。一ノ瀬が手にしていたのは、一台の自動球出し機だった。
「いいか、瀬戸。車いすテニスの極意は、ボールを打つことじゃない。ボールを打つための『場所』に、誰よりも早く到達することだ」
ウィーン、という低い駆動音が鳴り響く。球出し機から射出されたボールが、不規則なバウンドを繰り返してコートへ跳ねた。僕は反射的にハンドリムを叩く。昨日叩き込んだ旋回技術を総動員し、ボールの落下地点へと突進した。
車いすの回転、重心の移動、そしてラケットのテイクバック。
すべてが噛み合ったと思った瞬間だった。
カィィィンッ!
ラケットのスイートスポットがボールを捉えた。心地よい衝撃が腕から肩へ突き抜ける。しかし、喜びも束の間だった。打った瞬間の反動で、車いすが大きく跳ね上がり、僕の体は右側へ大きく傾いた。
「姿勢を立て直せ! 打ち終わった後が一番の隙だぞ!」
一ノ瀬の怒号が飛ぶ。僕はバランスを崩したまま、必死に左側のハンドリムを掴んで車体を水平に戻そうと足掻いた。だが、ボールはすでに僕の背後を通り過ぎていた。
ミスだ。それも、技術以前の致命的なミス。
「くそっ……!」
僕は歯を食いしばった。サッカーであれば、どんな体勢からでもシュートを打てた。だが、車いすの上では、重心の制御がすべてを決定づける。自分が空中に浮いているわけではない。タイヤという一点で地面と繋がっている以上、物理法則からは逃れられない。
球出し機は容赦なくボールを送り出してくる。
右へ、左へ、そして深めに。
僕はコートの中で翻弄されていた。車輪を回す腕はすでにパンク寸前だ。筋肉が焼けるような熱を帯び、汗が目に入って視界を奪う。
「瀬戸、足を使うんだ」
「足なんて、ないだろ!」
僕は思わず叫んだ。一ノ瀬の言葉が、今の僕には残酷な皮肉に聞こえたからだ。
「心の中の話だ」
一ノ瀬は冷静に言い放つ。
「君の意識は、タイヤに集中しすぎている。車輪を回すことばかり考えて、ボールとの距離感を見失っている。もっとボールをよく見ろ。ボールは君を待っているわけじゃない。君がボールの軌道に合わせるんだ」
僕は深く息を吐き、視線を球出し機に固定した。
機械が次に放つボールの予備動作を見る。音、回転の角度、射出の瞬間。僕の視界の中で、ボールの軌道がスローモーションのように浮かび上がった。
――次だ。
僕はタイヤを蹴った。以前よりもずっと精密に、必要な分だけ力を込める。
車いすが滑るように移動する。ボールのバウンド地点。ツーバウンドする直前、僕は車いすを完璧な角度で止め、ラケットを振り抜いた。
ボールはネットを越え、コートの端へ鋭く突き刺さった。
「……打てた」
たった一球。だが、それは昨日までの「ただ回るだけ」の練習とは質が違った。自分の意志でボールをコントロールしたという確かな手応え。
一ノ瀬が少しだけ口元を緩めた。
「その感覚だ。車いすテニスは、地面と空中を同時に操るスポーツだ。今のショット、今の感覚を忘れるな」
その日の練習が終わる頃には、空はすっかり暗くなっていた。
身体中のあらゆる筋肉が疲労で悲鳴を上げている。だが、不思議と心は軽かった。病院の冷たい廊下も、今日は練習の延長線上に思える。
僕は車いすのタイヤを拭きながら、自分の人生が再び「動」を取り戻し始めたことを確信していた。サッカーを失ったあの日、世界が灰色になったと思っていたけれど、今の僕の視界には、真っ白なコートのラインと、鮮やかなイエローのボールがくっきりと焼き付いている。
明日もまた、この過酷な格闘技に身を投じる。
そう決めたとき、僕の胸の中の「ひび割れ」は、完全に新しい道へと繋がっていた。
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