第6話「休日ゲームと、レベル上げ代行」
日曜の昼。俺は、こたつに足を突っ込んで、ゲームをしていた。
剣と魔法のRPGだ。中古で安く買ったやつで(新品を買う金など、わかばに毟られて残っていない)、グラフィックは古い。だが、こつこつ敵を倒してレベルを上げ、強い装備を揃えていく感覚は、何物にも代えがたい。現実では一円も増えないのに、画面の中では、確実に強くなれる。世界で唯一、努力が裏切らない場所が、ここにある。少なくとも、ここには電卓を構える妹はいない。
今日の目標は、レベル四十だ。
そのためには、洞窟の奥で、ひたすら同じ敵を狩り続けなければならない。同じ場所を行ったり来たり。同じ戦闘を、何百回も繰り返す。地味だ。退屈だ。指が痛い。けれど、これを越えた先に、次のボスがいる。
わかばは、こたつの向かいで、膝を抱えて、その画面を、ぼーっと眺めていた。
「あおちゃん。それ、楽しい?」
「楽しいというか……修行だな、これは」
「ずっと、同じこと、してる」
「レベル上げってのは、そういうもんだ。退屈な作業の先に、強さがある。人生と同じだ」
我ながら、良いことを言った気がした。十六歳にして、悟りの境地。妹に、生き方の一つでも説いてやろうという、兄らしい瞬間――。
「あおちゃん、その作業、わたしが、やってあげよっか」
画面から目を離さずに、わかばが言った。
「は?」
「レベル上げ。代わりに、やってあげる。あおちゃん、その間、休める」
俺は、コントローラーを操る手を、止めた。
確かに、レベル上げは退屈だ。同じ戦闘の繰り返しに、正直、飽きてきていた。指も疲れた。誰かが代わってくれるなら、その間に漫画でも読みたい。冷えたコーラも飲みたい。
だが――こいつが、タダでそんな提案をするはずがない。
「いくらだ」
「えらい。あおちゃん、学習してる」
褒められた。が、ちっとも嬉しくない。これは「無料だと思って油断する馬鹿ではなくなった」という意味であって、つまり俺は、長年こいつに毟られ続けた末に、ようやく団地の経済ルールを体に刻み込んだ家畜だ。(餌の前に必ず鳴る、あの電卓の音。聞くだけで、財布が反射的に身構える。)
わかばは、ぼーっとした顔のまま、こたつの上に手を伸ばし、例の電卓を取り出した。液晶の横で、小判を抱えたためにゃんが、相変わらず半分眠そうな目で、こちらを見ている。
ぺた、と一回。
『100』
「レベル上げ代行。一時間、百円」
「時給かよ」
「うん。プロだから」
プロ。小学四年生が、ゲームのレベル上げを、プロの仕事だと言い張っている。確かに、面倒な作業を他人に任せて対価を払う、という構図は、世の中の代行サービスそのものだ。家事代行。運転代行。並び代行。だが、まさか妹に、自分の趣味のRPGを外注する日が来るとは、思っていなかった。
「いや、いい。自分でやる。趣味だからな、これは。人にやらせたら、意味がない」
俺は、断った。レベル上げは退屈だが、苦労して上げたからこそ、レベルが上がった瞬間に達成感がある。その達成感を金で買うのは、なんというか、邪道だ。ハガキ職人が、ネタを他人に書かせるようなものだ。
「そう。じゃあ、いい」
わかばは、あっさり引き下がった。電卓を置いて、また、ぼーっと画面を眺め始める。
意外だった。いつもなら、もっと食い下がってくる。今日は、機嫌でもいいのか。
だが、後から思えば、この「あっさり」が、罠だった。押して駄目なら、引く。こちらが自分から欲しくなるまで、黙って待つ。釣り糸を垂らして、餌に食いつくのを、岸でじっと待っている。せっかちな漁師は、魚に逃げられる。わかばは、その点、恐ろしく辛抱強い。
俺は、レベル上げを再開した。洞窟の奥。同じ敵。同じ戦闘。一回、二回、三回……。
しばらく続けると、また、指が痛くなってきた。同じボタンを連打するせいだ。親指の腹が、じんわり熱を持っている。画面の中の経験値ゲージは、一回の戦闘で、わずか数ミリしか伸びない。レベル四十は、まだ遠い。バケツの水を、スプーンで汲み出しているような気分だ。(しかも、汲んでも汲んでも、隣でわかばが、別の蛇口をひねって足してくる気がする。)
ふと、横を見る。わかばは、まだ、ぼーっと画面を見ている。何も言わない。ただ、見ている。
その視線が、なんだか、効いてきた。
「……なあ。仮に、だ。仮にだぞ。おまえに代行を頼むとして」
「うん」
「レベル四十まで上げるのに、何時間かかる」
「やってみないと、分からない。でも、たぶん、三時間くらい」
三時間で、三百円。その間、俺は自由になる。漫画も読める。昼寝もできる。指も休まる。三百円で、三時間の自由と、レベル四十が手に入る。
悪くない。むしろ、良くないか?
俺は、自分の中で、計算が始まっているのに気づいた。趣味だ意味がないだと言っておきながら、心は、すでに天秤にかけている。退屈な三時間と、三百円。どちらが惜しいか。
「……分かった。頼む。三時間で、三百円だな」
その瞬間、わかばの目の奥に、明かりが灯った。さっきまで本当にぼーっと画面を眺めていたはずの瞳が、獲物が罠にかかった音を聞きつけて、すっとピントを結ぶ。狙いどおり、こちらが自分から頼んだ。釣り上げる前の、あの一瞬の光り方だ。キラーン、というやつ。
「うん」
声は、相変わらず平らだった。表情も、ほとんど動かない。だが、その目だけが、しっかり値札を読んでいる。
「言っとくが、四十までだぞ。それ以上は、いらないからな」
「うん。聞いた」
「ほんとに分かってるか? 四十、ちょうどで止めろよ」
「あおちゃん、心配性」
念を押した。二回も押した。これで、勝手に上げすぎる心配はない――と、このときの俺は、本気で思っていた。後から振り返れば、わかばの「聞いた」と「分かった」は、別物だ。聞いてはいる。だが、従うとは、一言も言っていない。
わかばは、すっと、コントローラーを受け取った。慣れた手つきで、洞窟の奥へ。敵を見つけ、コマンドを選び、戦闘をこなしていく。意外と、上手い。普段ゲームをしない癖に、指の運びに無駄がない。まるで、こうなることを、最初から練習していたみたいに。
俺は、こたつから抜け出して、畳に寝転がり、漫画を読み始めた。背中で、わかばの戦闘の音が、規則正しく鳴っている。剣がぶつかる音、敵が倒れる効果音。誰かが代わりに苦労してくれる、この優越感。久々の、自由。寝転がって、人の働く音をBGMにする昼下がり。たまには、こんな休日も悪くない。
金で時間を買う、というのは、こういうことか。世の中の大人が、なぜ代行サービスに金を払うのか、少しだけ分かった気がした。もっとも、相手が実の妹で、その妹が稼いだ金を一円も家計に入れない、という点が、世間の代行業とは決定的にちがうのだが。
漫画に没頭しているうちに、いつのまにか、まぶたが重くなっていた。雨は降っていないが、人の働く音をBGMにする昼寝ほど、贅沢なものはない。俺は、漫画を顔に乗せたまま、眠りに落ちた。
目が覚めたとき、窓の光が、ずいぶん傾いていた。どうやら、たっぷり眠っていたらしい。三時間は、経っている。
画面のほうから、ファンファーレが聞こえた。レベルアップの音だ。それも、連続で。ぴろりろりん、ぴろりろりん、と、立て続けに鳴っている。
まだ上げてるのか――寝ぼけた頭で、俺は、顔から漫画をどけた。
そして、テレビ画面を見て、固まった。
レベル表示が、「58」になっていた。
「ちょっと待て。四十まででいいって言っただろ。なんで五十八まで上がってる」
「勢い、ついちゃった」
「勢いで十八もオーバーするか?」
わかばは、ぼーっとした顔のまま、コントローラーを置いた。そして、電卓を、ぺた、ぺた、と叩いた。
「超過分。十八レベルぶん。追加料金」
「待て。頼んだのは四十までだぞ。それ以上は、勝手にやったんだろ。なんで俺が払うんだ」
「契約は、三時間。三時間、フルで、働いた。だから、上がったぶんは、ぜんぶ、成果」
成果報酬、という単語が、頭をよぎった。
つまり、こうだ。時間で契約した以上、その時間内に出た成果は、すべて課金対象。頼んだのが四十までであろうと、三時間まるまる働いたなら、その間に上がったレベルは、全部、わかばの「成果」になる。働きすぎを、止める条項が、契約になかった。
「待て。普通、頼んだとこまでで止めるだろ。四十まででいいって、最初に言ったはずだ」
「『四十まで』は、目標。『三時間』は、契約。目標を超えても、契約時間が、残ってたら、働く。まじめだから」
「まじめを、こんなところで発揮するな」
勤勉さが、凶器になっている。指示の上限ではなく、契約の時間を優先する。言われたことしかやらない、のではなく、言われた以上に働いて、その分を請求する。タチの悪い、働き者だ。
「だいたい、五十八まで上げたら、次のボス、簡単すぎてつまらないだろ。レベル上げの達成感を、返せ」
「達成感は、わたしが、味わった。あおちゃんは、漫画、読んでた」
ぐうの音も出ない。確かに、苦労したのは、わかばだ。俺は寝転がって漫画を読んでいた。達成感という報酬は、汗をかいた者のものだ。
「で、その超過料金は、いくらなんだ」
「一レベル、十円。十八レベルだから、百八十円」
「時給より高いじゃねえか。三時間働いて三百円なのに、十八レベルで百八十円って、レートおかしいだろ」
「後半のレベルほど、敵が強い。難易度割増」
難易度割増。高所手当のときも、同じ理屈を聞いた。つらい仕事ほど、単価が上がる。一見もっともらしいが、そのつらさを判定するのも、値段を決めるのも、ぜんぶわかばだ。査定する人間と、請求する人間が、同じ顔をしている。
俺は、画面の「58」を、恨めしく見つめた。
過剰なレベル。頼んでもいない強さ。これでは、この先のボスは、作業を流すだけになる。苦労して、ぎりぎりで勝つから、面白いのに。妹の代行は、その「ぎりぎり」を、丁寧に潰してくれた。頼んだのは前髪を整える程度なのに、気づけば丸刈りにされていた、みたいな仕上がりだ。
わかばの手の中で、ためにゃんのがま口が、ぱちん、と鳴った。トマト色の口を開いた守銭奴ネコが、半分眠そうな目で、超過十八レベルぶんの取り分を、もう数えている気がした。
なんかもう、いいや。
三時間ぶんの三百円と、超過十八レベルの追加料金。いくらになるか知らないが、払おう。それで、この茶番が終わるなら――。
そう思って、コントローラーを受け取ろうと、手を伸ばした。
「あ、待って」
わかばが、すっ、と目を細くした。
「セーブ、してないから。今、電源切ると、ぜんぶ、消える」
「は?」
ぞっとした。三時間ぶんの労働も、超過十八レベルも、セーブしなければ、ただのデータの泡だ。そして、セーブ操作をできるのは、今コントローラーを握っている、こいつだけ。人質を取られた。レベル五十八という人質を。
「セーブも、別料金」
わかばは、ぼーっとした顔のまま、ためにゃんのがま口を、ぱちん、と、開いた。
第六話 了




