第45話 母の呼び出しと二度目の査察
母さんが、個人面談から帰ってきたのは、金曜の夕方だった。
台所から、味噌汁の匂いが漂っていた。母さんは、エプロンも脱がないうちに、わかばを呼んだ。
「わかば。査察」
「……また?」
わかばの声が、わずかに、こわばった。2度目の査察という言葉に、俺も身構えた。
(大晦日の再演か)
わかばの背中が、心なしか縮んでいる。台帳を見せろと言われる前の、あの姿勢だった。
母さんは、木べらを片手に、ちゃぶ台の前に座った。今回は、家庭用の電卓を、持ってきていなかった。
「先生と、あなたの話をした」
「なんの話」
「去年の、学級会の話」
わかばの手が、止まった。あの一件は、もう終わったはずだった。少なくとも、わかば自身は、そう思っていたはずだった。
「あのとき先生、最後まで何か言いたそうな顔してたって、お前言ってたよな」
俺が言うと、わかばは、小さくうなずいた。
「それ、聞いてきた」
母さんは、そこで初めて木べらを置いた。
「先生、ずっと、考えてたんだって。わかばの商売、叱るだけでいいのかって」
(あの含みのある顔、そういう意味だったのか)
「……怒られるんじゃ、なかったの」
「怒らない。褒めるとこ間違えたって、先生も反省してた」
わかばは、目を見開いた。守銭奴の顔じゃなかった。ただの、十一歳の顔だった。
「お金の計算が得意で、友達の相談にも乗ってる。それを、ちゃんと言ってあげればよかったって」
母さんは、それだけ言うと、また木べらを構えた。
「というわけで。査察の結果、合格」
「……それだけ?」
「それだけ」
わかばは、しばらく黙っていた。それから、いつもの顔に、戻っていった。
「じゃあ、お母さん。今の話、情報料」
(もう、立ち直ってるのかよ)
「先生の気持ちを、円に換算する気か」
「換算する」
わかばは、電卓に手を伸ばした。だが、指が触れる前に、母さんが先に口を開いた。
「なら、こっちも、もらう。話を届けた分、報告料」
(母さん、いつの間に、わかばの土俵に)
電卓に伸ばした手が、止まった。
「情報料と、報告料。相殺……先に取られた」
「母は、あなたより、長く生きてる」
母さんは、そう言って、今日はじめて笑った。
俺はコーラに手を伸ばしかけて、やめた。
……刺された。妹が刺される日も、あるらしい。
「それとは別に。今月から、家計簿の外注料、700円に上げる」
「本当?」
「本当。マイナス10万ペリカでも、たまには、出しどきがある」
いつもの決め台詞が、今日は、罰でなく褒美に聞こえた。
わかばは、素直に、うれしそうな顔をした。それから、すぐに、電卓を取り出した。
「700円。先月とあわせて、いくら貯まったか、計算する」
守銭奴は褒められても、結局は数字に戻っていく。
わかばの情報料と、母さんの報告料が、0対0で、相殺されていた。




