第44話 つむぎの新しい癖と聞き役の相場
夏休みに入って、最初の日曜日だった。
エレベーターのない階段に、蝉の声がこもっていた。
つむぎが五階に来るのは、久しぶりだった。
正座のまま、楽譜じゃなくて、プリントを広げている。
「わかばちゃん、聞いてください」
「なに」
「図書委員の、副委員長になりました」
「おめでとう」
「ありがとうございます。よかったです」
言ってから、つむぎは少し間を置いた。
「よかった、です」
もう一度、同じことを言った。まるで、答え合わせをするみたいだった。
(今の、なんだ)
「つむぎ、今2回言った」
わかばが、先に気づいた。
「……言いました?」
「言った。よかったです、って2回」
つむぎは、少し赤くなった。
「最近、癖なんです。言ったことが合ってるか、確かめたくて」
「確かめて、どうすんの」
「合ってたら、安心します」
わかばとあおばは、顔を見合わせた。
(新しい癖、来たか)
それから、つむぎは何を言うにももう一度確かめるように繰り返した。
「今日は、暑い。暑い、です」
「宿題、まだ、終わってません。終わってません」
最初は気の毒に思っていたが、つむぎの「です」が重なるにつれ、おかしみのほうが勝ってきた。笑いを堪えるのに必死だった。
「つむぎ、それ何回も聞くと面白い」
わかばが、めずらしく正直な感想を言った。
「……面白い、ですか」
「面白い。もっと、聞きたい」
つむぎの目が、少し泳いだ。
「からかって、ますか」
「からかってない。本当に、面白い」
わかばは、ためにゃんの電卓を取り出した。
「聞き役、始めます。1回、5円」
「お金、取るんですか」
「取る。でも、これはつむぎの癖を笑う料金じゃない。聞かせてもらう料金」
妙な理屈だったが、つむぎは納得したような顔をした。
(金を払われると、笑われてるんじゃなくて聞かれてる気になるのか)
「じゃあ、言います。今日は、来てよかった。来てよかった、です」
「1回」
わかばが、電卓をぺたっと押した。
「本当は、副委員長、不安です。不安、です」
「2回」
電卓の音が、続いた。つむぎの声は、繰り返すたびに少しずつ軽くなっていくようだった。
「止まらなければ、次で、直る。次で、直る、です」
「3回」
その理屈は、前にも聞いたことがある気がした。いつ聞いたかは、思い出せなかった。
(言わなくても、伝わることも、あるらしい)
「図書委員の仕事、ちゃんとやります。ちゃんとやります、です」
「4回」
「最後、確かめます。今日は、楽しかった。楽しかった、です」
「5回」
わかばは、電卓の画面を見せた。「25」と、YENの文字が光っていた。
「25円。今度、ちくわで払っていいですか」
「だめ。ちくわは、わたしの好物であって通貨じゃない」
つむぎは財布から、5円玉を5枚丁寧に数えて出した。数え終えたところで、癖のまま確かめるようにつぶやいた。
「25円、渡しました」
わかばは、それには値段をつけなかった。ただ、黙って受け取った。
つむぎが帰ったあと、わかばは電卓をちゃぶ台に置いた。
「あの癖、いつまで続くんだろうね」
「さあな」
「続いてる間は、儲かるけど」
守銭奴らしい締めくくりだった。だが、わかばの声はいつもより少しだけ優しかった。
俺は、ちゃぶ台のコーラに手を伸ばしかけて、やめた。
……刺された。金の話をしていたはずが、いつのまにか、それだけじゃなくなっていたらしい。
つむぎの5回繰り返した「です」と、わかばの5回鳴った電卓が、5円玉5枚で、今日はうまく釣り合っていた。




