第40話 転がった鍵と、貸しの時間
玄関の戸を開けると、わかばがこっちを見ていた。
テレビもつけずにちゃぶ台の前に座って、待っていた。
「……なんだよ」
「なんか、あった」
開口一番だった。挨拶より先に、それが来た。
(顔に出てるのかよ、俺)
「別に、なにも」
「嘘。声、いつもより高い」
声の高さまで、測定範囲らしい。俺は靴を脱いで、上着を脱いだ。今日一日で、いろんなものを妹に見られた気がした。
「上着、貸して。畳んどく」
わかばはたまに家事の一部を巻き取ってくれる。無償ではない。今日は珍しく、先に手を出してきた。
「……珍しいな。金取らないのか」
「今日はいい」
言われるまま、上着を渡した。わかばがそれを畳もうとした瞬間、ポケットから小さな音がした。
畳の上に、金属がころんと転がった。
「……なにこれ」
わかばがそれを拾い上げた。真鍮の小さな鍵だった。俺は、答えられなかった。
「うちの鍵じゃない」
「……そうだな」
「玄関の鍵、もっと大きい」
妹の観察はいつも答えを先に出す。それからこっちに聞いてくる。
「あおちゃん、これ、どこの鍵」
「……別に」
「別にって言うとき、たいていなにかある」
わかばはそう言って、ぼーっとした顔のまま、鍵を眺めた。それから俺の顔を見た。
(言い訳、考えろ。早く)
だが、なにも浮かばなかった。俺は昔から、妹に嘘をつくのが、下手だった。
「今日、コーラ、飲んでない」
「……は?」
「帰ってきてから、まだ1本も」
言われて、初めて気づいた。いつもなら、玄関をくぐった時点で、冷蔵庫に直行しているはずだった。
「なんか別のもので、いっぱいなんでしょ」
わかばの指が電卓のほうへ動きかけた。一瞬で、止まった。
「文月堂の鍵でしょ」
声が出なかった。図星というのは、こういう感じかと思った。
(なんでわかるんだよ)
「……なんで」
「わかんない」
わかばはあっさりそう言った。
「鍵見ただけじゃ、どこの鍵かまでは、わかんない。でも、あおちゃんの顔見て、確信した」
推理じゃなくて、顔色を読んだだけらしい。それはそれで、もっと怖かった。
「なんで、鍵もらったの」
「……それは」
「言わなくていい」
意外なことを言われた。
「あおちゃんの言いたいことまでは、教えられない。前に、わたしが言った」
同じ言葉を、今日もう一度聞くことになるとは思わなかった。家を出る前に、こいつが柄にもなく言った言葉だった。文月堂に向かう道々、頭の中で、何度も鳴っていた。
(まさか、それに、2回も刺されるとは思わなかった)
わかばは、それを知らない顔をしていた。
わかばは鍵をちゃぶ台の上に、そっと置いた。値踏みする素振りは、なかった。
「これ、いくらの鍵か聞かないから」
「……ありがたい」
「聞いたところで、値段つかないし」
わかばはそこで急に真顔になった。
「これ、なくしたら、だめだよ」
「わかってる」
「見せびらかすのも、だめ」
「わかってるって」
「ひよりさんのお父さんに、見つかったら」
わかばはそこで言葉を止めた。続きは、言わなかった。俺も続きを想像したくなかった。
(こいつがこんな真剣な顔するの、珍しい)
わかばは鍵をもう一度拾い上げた。俺の手のひらに、そっと戻した。
「大事にしまって」
「……お前、今日変だな」
「変じゃない」
「いつもより、金の話しない」
わかばはちょっとだけ口をとがらせた。
「したくないときも、ある」
妹にも、そういう日があるらしかった。俺は鍵を財布の内側にしまい直した。
「……黙っててくれるのか、これ」
「言わない」
「タダで?」
聞いてから、しまったと思った。さっき、金の話をしない、と思ったばかりなのに。
わかばの目が、すっ、と細くなった。
(来る)
「タダじゃない」
やっぱりか、と思った。
「じゃあ、時間、貸しといてあげる」
「……時間?」
「あおちゃんの暇な時間。今度なんかあったら、使わせて」
金じゃなくて、時間だった。妹の請求書に、円マークのつかない項目が乗った気がした。
「返す当てのない借金、抱えた気分だ」
「利子は、つけない」
「せめてもの情けかよ」
わかばはそう言うと、電卓をポケットにしまった。台帳にも、つけないつもりらしかった。
俺はコーラに手を伸ばしかけて、やめた。
……刺された。何回目かなんて、もう数える気にもならない。なんでだか、悪い気は、しなかった。
「あおちゃん」
「なんだ」
「今日、いい顔してる」
わかばはそれだけ言って、ちくわを1本口にくわえた。
値段のつかない貸しが、財布の内側にあった。鍵の重さと、わかばの沈黙が、その利子だった。回収日は、まだ、決まっていない。
第40話 了




