表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すずらん団地五号棟 〜わかばとお小遣いと、時々ちくわ〜  作者: 夕凪 鏡介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/48

第39話 文月堂の合鍵と手放した口実

 商店街のいちばん端。木枠のガラス戸の前で、俺はしばらく立ち止まっていた。


 手には、コーラじゃないものが、ひとつ。


(何を言うか、まだ決めてない。決めてないのに、来た)


 からりと古いベルが鳴った。


「あ。あおばさん」


 ひよりさんは、レジの奥で本を読んでいた。顔を上げて、いつもの声を立てない笑い方をした。


「今日は、返す本、ないですよね」


「……はい。ないです」


「珍しい」


 ひよりさんは、しおりをはさんで本を閉じた。俺は持ってきたものをカウンターに置いた。バウムクーヘンだった。輪の形をした、あの菓子。


「これ……お口に合うか、わからないですけど」


「わたし、バウムクーヘン、好きです」


 ひよりさんは目をまるくした。


(よし。第一関門、突破)


「なんで今日、これを?」


 俺は答えに詰まった。わかばの声が頭の中でこだまする。


(あおちゃんの言いたいことまでは教えられない)


「文月堂、休業するって聞きました」


「……ああ。改装するので」


「2ヶ月、らしいですね」


「はい。父が、前々から直したがってて」


 ひよりさんの声は、いつもと変わらなかった。俺の心臓のほうが、勝手に走り出していた。


「……行けなくなるなって、思って」


「行けなくなる?」


「本を借りに、来られなくなる」


 ひよりさんは、レジ台の本の背表紙を指先ですっとなぞった。何かを思い出す仕草だった。


「前に読んだ本に、書いてありました。理由がなくても会いに行きたい人は、たいてい答えが決まってるって」


 文脈の読めない一言だった。だが、俺にはまっすぐ刺さった。


(本の引用で殴られるとは、思わなかった)


「その本の、あおばさんのぶんの結末、聞いても?」


 ひよりさんはそう言って、俺の目を見た。逃げ道をふさぐような聞き方だった。


「口実、なくても、来ていいですか」


 言い終えてから、心臓が一拍遅れて跳ねた。


 ひよりさんはすぐには答えなかった。手元の本の角を、指で何度もなぞっていた。長い数秒だった。俺はその数秒のあいだ、コーラの缶を開ける仕草をしかけて、持ってきていないことに気づいた。習慣だけが空を切った。


「……いいです」


 ひよりさんはぽつりとそう言った。


「理由、いらないので」


 俺はそれだけで、じゅうぶんだった。だが口が勝手に、次の言葉を続けていた。


「休業中、店番とか」


「休業中は、店、開けないので」


 即座に訂正された。俺は間抜けな提案をした自分に、内心で頭を抱えた。


(今、自分で口実に戻ろうとしただろ、俺)


「……そうでした」


「でも」


 ひよりさんはしばらく黙っていた。それから、レジの奥の抽斗をそっと開けた。


「父に、なんて言おうか迷うんですけど」


 迷いながら、ひよりさんは小さな鍵を取り出した。


「休業中の合鍵です」


「いいんですか、そんな」


「よくないかもしれません。でも」


 ひよりさんは鍵を、俺の手のひらにそっと乗せた。


「口実、いらないって言われたので。だったら、鍵も、いらない理由で渡します」


 俺は鍵を受け取った。ずっしりと重い気がした。実際は、ただの真鍮の鍵だったけれど。


「バウムクーヘン、ありがとうございます」


「……いえ」


「今度、来たとき、お茶いれますね。炭酸じゃないやつ」


 ひよりさんはそう言って、また笑った。今度は、声を立てない笑い方じゃなかった。


 俺は、まだ告白していない。レンの顔が、今も、ちらつく。だが今日、俺は口実をひとつ手放した。かわりに、鍵をひとつもらった。差し引きで何が増えたのか、うまく計算できない。わかばなら、電卓ですぐに出すんだろうか。


 からりと古いベルを鳴らして、店を出た。空が、よく晴れていた。


 あおばの手放した口実と、ひよりの迷いながら渡した鍵が、口実のいらない約束で取引されていた。ただし、その約束に、まだ言えない一言は含まれていなかった。2ヶ月ぶん、置き場所だけを先に確保した。


             第39話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ