第38話 文月堂の閉店時間とわかばの逆説教
わかばが、俺の顔を、じっと見てくる日がある。今日は、そういう日だった。
「あおちゃん、元気ない」
「そんなことないだろ」
「ある。3日前から。コーラの減りも遅い」
消費量まで見てるのかよ、と思ったが、否定できなかった。
「文月堂、来月から改装で、しばらく休業するんだと」
俺がそう言うと、わかばはぼーっとした顔のまま黙った。
「いつまで」
「2ヶ月くらい、らしい」
「行ける回数、決まったってことか」
わかばは、ためにゃんの電卓に手を伸ばしかけた。
「今、計算しようとしただろ」
「……した」
「やめろ。人の恋路を営業日数で出すな」
わかばは電卓をぺしっとちゃぶ台に置いて、俺の顔をまっすぐ見た。
「あおちゃん、行かないつもりでしょ」
「そんなこと」
「休業前に、1回も、行ってない」
図星だった。ひよりさんから休業のことを聞いてから、俺はまだ1回も文月堂に足を運んでいなかった。借りていた本は、もう読み終わっている。
「なんで、行かないの」
「……本、読み終わってないから」
わかばは、しばらく、俺の顔を見ていた。それから、首をすこしかしげた。
「わかんない。なんで、そんな、すぐバレる嘘つくの」
(お前でも、わかんないことあるのかよ)
珍しく歯切れの悪い顔をしたあと、わかばは俺の部屋のほうをちらっと見た。
「机の上の本、表紙に埃かぶってる。最近、触ってない証拠」
伏せたまま置きっぱなしの本の埃まで、見られていたらしい。
「レンくんのこと、思い出してるんでしょ」
俺は、次の言葉に詰まった。
「……なんで、それを」
「レンくんが失恋してから、あおちゃん、文月堂の話あんまりしなくなった」
わかばの観察眼は、いつも、俺の予想の斜め上を行く。
(こいつ、そこまで、見てたのか)
レンが告白して、友達を失った。あれを見てから、俺は、こわくなっていた気がする。言葉にすると、壊れるものが、あるんじゃないかと。
「時間は、いくら払っても、増えない。前に、あおちゃんが、わたしに言った」
「それは、じいちゃんの受け売りだ」
「でも、あおちゃんが、わたしに言った」
わかばは、ぼーっとした顔のまま続けた。
「文月堂、来月には閉まる。それまでに、あおちゃんが行かなかった日は、あとから取り戻せない」
俺は、何も言えなかった。妹に、自分が説いた理屈をそっくりそのまま突き返される日が来るとは思っていなかった。
俺はコーラに手を伸ばしかけて、やめた。
……刺された。
今年、何回目か、もう覚えていない。数えるのを、いつのまにか、こいつがやめさせていた。
「あおちゃん、行ってきなよ」
「……行って、なにを言うんだよ」
「知らない。それは、あおちゃんが自分で考えること」
わかばは、ためにゃんの電卓を、ポケットにしまった。今日は、商売っ気を出す気配がなかった。
「わたしは、時間の値段を、教えることはできる。でも、あおちゃんの言いたいことまでは、教えられない」
妹らしくない、まっとうなことを言った。柄にもなく、感心してしまった。
「なんだよ、今日は素直だな」
「たまには」
わかばはそう言って、ちくわを1本、口にくわえた。台帳をつけない日もあるらしかった。
俺はしばらく天井を見ていた。それから、財布を確認した。図書カードの延滞金の分だけ、小銭が、いつもより多く入っていた。
立ち上がって、上着を羽織った。
「どこ行くの」
「……文月堂」
「なに言いに行くの」
「まだ、決めてない」
玄関で靴を履いていると、わかばの声が後ろから飛んできた。
「あおちゃん」
「なんだ」
「コーラじゃないの、買っていきなよ。あの人、炭酸、苦手でしょ」
なんで知ってるんだ、と聞こうとしたが、やめた。こいつはいつも、俺より先に見ている。
「今日のぶんは、あとで、まとめて回収するから」
「今日、なにもしてもらってないだろ」
「した。時間の値段、教えた」
「講師料まで取る気か」
「うん。ちゃんと言えたら、タダにしてあげる」
わかばはそう言うと、電卓を、ぺたんとポケットにしまい直した。取り立てる気なのか、送り出したいだけなのか、よくわからなかった。
第38話 了




