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すずらん団地五号棟 〜わかばとお小遣いと、時々ちくわ〜  作者: 夕凪 鏡介


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第36話 ハルの2度目の弟子入りと友達枠

 俺の妹、わかば。ハルが2度目に来たのは、じいちゃんの家から帰った翌週の日曜だった。


「わかば先輩! いますか!」


 玄関の外から元気な声がした。ハルだった。前より声に自信があった。


「今日は、なに」


「報告です。虚無ガチャの回転率、教わった通りにしたら当たりが増えました。それと、これ」


 ハルは小さなハート柄の財布を取り出した。中身は硬貨だった。数えると300円あった。


「文月堂で、いらない図鑑を売って稼ぎました」


「へえ」


「わかば先輩。お願いがあります」


 ハルはけいえいノートを両手で抱えたまま、まっすぐわかばを見た。


「週に1回、うちに来てください。300円払います。それで、いろいろ教えてほしいです」


 わかばの指が、ぴくりと動いた。俺はそれを見逃さなかった。ためにゃんの電卓を握る手に力がこもった。


(今、一瞬、金額を計算しようとしたな)


 わかばは電卓を持ち上げかけた。だが途中で止めた。じいちゃんの白い髭を思い出したような顔だった。


「300円で、週に1回」


「はい。だめですか」


「ハルちゃん、それ、時間を買おうとしてる」


「……お金じゃ、だめですか」


 わかばはしばらく黙っていた。それからぼそりと言った。


「わたしの時間は、いくら払っても増えない」


 俺はその台詞をどこかで聞いた気がした。先週、じいちゃんが言ったのと、ほとんど同じだった。


(こいつ……。じいちゃんの受け売りか。だが受け売りにしては目が本気だ)


「300円払っても払わなくても、来る時は来る。来ない時は来ない」


 ハルの顔がくもった。


「じゃあ、わかば先輩は来てくれないんですか」


「そうは言ってない」


 わかばは電卓をポケットにしまった。それからハルの目を見た。


「お金、いらない。来たい時に、来て」


「でも、それだとわかば先輩、ただ働きに」


「ハルちゃん」


 わかばの声がすこし低くなった。


「本当に聞きたいこと、まだ聞いてないでしょ」


 ハルの肩が、びくっと跳ねた。それからノートの表紙を指の先で意味もなくなぞり始めた。


「……先輩、お客さんじゃなくなったら、わたしのこと忘れますか」


 俺はその質問に面食らった。1問10円の話をしていたはずなのに、急に値段のつかない話になった。


「300円、払いたかったのは、それでか」


「はい。お金を払ってる間は、来ていい理由になるから。理由がないと、また来ちゃだめな気がして」


 声はだんだん小さくなっていった。


(学校で変わってるって言われて、友達があまりいないって、前に言ってたな)


 あの時の傷が、今日はちがう形で出ていた。あの時こわかったのは、変わってることそのものだった。今日こわいのは、変わってる自分のそばにいてくれる人を、いつか失うことだった。だから先に、お金で繋ぎとめようとしていた。


 わかばはぼーっとハルを見ていた。すぐには何も言わなかった。それからようやく、静かに口を開いた。


「お客さんじゃなくても、忘れない」


「……ほんとに」


「変わってても、見ててくれる人がいたら、平気」


「わかば先輩にとって、それはお兄さんですか」


 名指しされて、俺は次の言葉に詰まった。


 初めてハルが来た日も、わかばは一瞬だけ俺の方を見た。あの時は目を逸らすタイミングを失っただけで、何も言わずに済んだ。今日は、はっきり名指しされている。誇らしいのか、照れくさいのか、それとも自信がないだけなのか。うまく判別がつかないまま、頬のあたりだけがやけに熱かった。


「うん」


 わかばは短くそう答えた。それ以上は、なにも付け足さなかった。


 ハルは答えなかった。ただ目に涙をためて、下を向いていた。


 俺はコーラに手を伸ばしかけて、やめた。


 ……刺された。


 今年5回目のいっぱつだった。ただし今回は、わかばの言葉じゃなく、行動に刺された一撃だった。


「ハルちゃん。300円は、受け取らない。でも」


 わかばはハルの手を取って、300円をその手のひらに戻した。


「その代わり、来たい時、いつでも来ていい。友達枠」


「友達……」


「うん。お客さまじゃなくて、友達」


(タイガの時と、同じだ)


 俺は思い出した。去年、タイガにも同じことを言っていた。妹の中で「友達」は、金額のかわりに使う、いちばん高い値札らしかった。


「台帳にも、書いとく。友達枠、対価なし」


 わかばはそう言うと、ポケットから電卓を出して、またぺたんと戻した。書くものがなくても、口で言えばそれで決定らしかった。


 ハルの目から涙がこぼれた。それから勢いよくうなずいた。


「はい!」


 その日、ハルは1時間もいた。虚無ガチャの話も、学校の話も、たくさんした。300円は結局、財布の中に戻っていった。


 ハルが帰っていくのを、わかばは玄関先まで見送った。小さな背中が団地の階段を降りていくのを、二人で並んで見ていた。


 帰り道、俺はわかばに聞いた。


「じいちゃんと同じこと、言ったな」


「うん」


「教わったこと、もう人に教えてるのか」


「教わったんじゃない。もらったから、あげただけ」


 わかばは空を見上げていた。


「あおちゃん」


「ん」


「じいちゃんから、もらった分。ハルちゃんに、あげた分。それで、ちょうど、ゼロ」


「じゃあ、こっちは何ももらってないな」


「もらってる」


「あ?」


「今日のぶん、来月、アイス一口」


「回収だけは早いんだよ、お前は」


 わかばがじいちゃんから受け取った時間と、ハルに手渡した時間が、日曜の玄関先で相殺されていた。


             第36話 了


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