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すずらん団地五号棟 〜わかばとお小遣いと、時々ちくわ〜  作者: 夕凪 鏡介


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第33話 タイガの宿題とやり方の値段

俺の妹、わかば。

新学期が始まって2週間が経った。


新規顧客獲得キャンペーンは一日で畳んだ。

だが去年からの常連客、タイガとの商売は相変わらず続いていた。


その日、タイガがうちに来た。


いつもの強気な顔――のはずが、心なしか、しょぼくれていた。

手にはノートを1冊抱えている。


「わかば。頼みあるんだけど」


「重力ビジネスなら休業中。ボールは庭に落とせ」


「ちがう。宿題」


タイガはノートをちゃぶ台にどさっと置いた。

算数の割り算。びっしり数字が並んでいる。


半分くらいは消しゴムでこすった跡が残っていた。


「わからん。ぜんぜんわからん。先生に聞いてもよくわからん」


「わたしに聞くの?」


「わかば、計算得意だろ。電卓いつも持ってるし」


(こいつ、算数の宿題とわかばの守銭奴の計算力を、同じものだと思ってるな)


わかばはノートをじっと見ていた。

それからためにゃんの電卓を手にとった。


「1問10円」


「た、高くないか」


「安い。文月堂の本の貸し出しより安い」


タイガはしばらく悩んでいた。

それから財布から100円玉を1枚出した。


「10問ぶん。これで足りるか」


「足りる」


わかばは電卓をぺたぺた叩いた。

だがすぐに手を止めた。


「……あれ」


「どうした」


「答えは出せる。でも」


わかばは電卓の画面をタイガに見せた。

数字が並んでいた。


「答え教えてもタイガくん、次の問題またわからないと思う」


「……なんで割るんだ」


「同じ間違え方してる。割る数と割られる数、逆にしてる。8個」


タイガはぐぬとうめいた。

図星らしかった。


「わたしが答え10個教える。100円もらう。それで終わり」


「うん」


「でもタイガくん、来週も同じ問題間違える」


わかばは電卓をちゃぶ台に置いた。

「YEN」の文字が消えた。


「これ、わたしの商売として正しくない」


「……客がまた来るのは、いいことじゃないのか」


「ちがう。同じ商品を何回も売れるのはいいこと。でもこれは、直らない問題を毎回高く売りつけてる。それはぼったくりの悪いほう」


(こいつ、悪いぼったくりと良いぼったくりの線引きを、真剣に考えてるのか)


俺はコーラを飲みかけて手を止めた。

妹がこんな講義をするのを初めて聞いた。


わかばはノートをもう一度開いた。


「タイガくん。答えじゃなくてやり方教える。時間かかる」


「……いくら」


「わかんない。時間わからないから」


タイガは目を丸くした。


「お前がわかんないって言うの、初めて聞いた」


「時間の値段はわたしにもわからない。先日、あおちゃんに聞いた」


わかばはノートの1問目を指さした。


「これ、なんでこの式になるか、わかる?」


「……わかば」


「じゃあ、ここから」


わかばは電卓を脇にどけた。

それから鉛筆を握った。


タイガのノートに図を描き始めた。

丸をいくつも並べて、それをぐるっと囲んで分けていく図だった。


俺はその様子を横で見ていた。

わかばが電卓を使わずに宿題を教えている。


初めて見る光景だった。


タイガは何度も首をひねった。

それでも最後には「あ」と声を上げた。


「わかった……かも」


「じゃあ、次、一人でやってみて」


タイガは鉛筆を握り直した。

時間がかかった。


だが自分の力で答えにたどり着いた。


わかばはそれをぼーっと見ていた。

何も言わなかった。


「……できた」


「うん」


「わかば、すごいな。先生よりわかりやすい」


わかばはすっと目を細めた。

だが今日のは獲物を見つけた目じゃなかった。


「タイガくんが自分で解いた」


「お前が教えてくれたから」


「わたしはやり方を見せただけ。解いたのはタイガくん」


俺はそのやりとりを聞いていて気づいた。

わかばが今日、自分の手柄をひとつも取っていなかった。


けっきょく1問を解くだけで25分かかった。

10問のうち、進んだのはたった1問だった。


「あの、100円返す」


わかばは財布から100円玉を出そうとした。

タイガがそれを押し戻した。


「なんでだよ。時間使わせたのはおれだろ」


「でも答え10個教える約束だった。1個しか教えてない」


「答えはいらない。やり方を教えてもらった。それは100円より価値ある」


わかばの手が止まった。


「……それ、電卓に入らない」


「入らなくていい。おれがそう思ってるだけだから」


タイガはノートを閉じた。

それから照れたように頭をかいた。


「新学期、休み時間いっぱい話すって言ったのに。宿題に追われて全然話せてなかった。悪いと思ってた」


「知らなかった」


「今日これで、少し話せた気がする」


わかばはしばらく黙っていた。

それからぽつりと言った。


「わたしも」


タイガの顔がぶわっと赤くなった。

宿題で困っていたときの、うめき顔と同じ色だった。


……刺された。


今年2回目のいっぱつだった。

だが今度も、刺されたのは俺じゃない。わかばだった。


約束をうまく守れなかったタイガの不器用さが、守銭奴の胸にまっすぐ刺さっていた。


「タイガくん」


「ん」


「来週も来ていい」


「宿題、またあるかもだけど」


「宿題はついで」


わかばはぼーっとそう言った。

それから100円玉をそっと、タイガの手のひらに握らせた。


「これは返す。次はちゃんと10問教えるから。今日のぶんは練習」


タイガは100円玉を握ったまま、しばらく突っ立っていた。

それから耳まで赤くして帰っていった。


俺はわかばに聞いた。


「今日の商売、結局いくらだったんだ」


「0円」


「え、そうなのか」


「うん。0円。でも」


わかばはためにゃんの電卓をまた手に取った。

「YEN」の文字が光った。


だが今日はそれが、いつもよりすこしやわらかく見えた。


「タイガくんの25分の真剣な顔が見れた。それは100円より高かった」


(また、そういうこと言うんだから)


タイガの果たせなかった約束とわかばの値段のつかない商売が、宿題1問の解き方で相殺されていた。


電卓は答えを出す。

`でも『わかった』と声を上げた顔の値段だけは、どんな電卓にも出せなかった。`

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